20. 雄大な碧い惑星

 それから一万年――――。


 ただメタアース実現のためだけに日々邁進し続けていた二人だったが、いよいよ次のフェーズに移る時が来た。


「シアン様、転送しますよ! 準備はいいですか?」


 レヴィアが大画面をたくさん展開し、表示されている色鮮やかなグラフや数値をあちこち見ながら、声をかける。


「バーンとやっちゃってー!」


 シアンはソファーに深々と座り、目をつぶりながら答える。


 これからシアンは海王星のコンピューターに転送されるのだ。地球からは光の速さでも四時間かかる、はるかかなたの最果ての惑星では、本体を転送しないと細かい作業ができなかったのだ。


「転送!」


 レヴィアが叫ぶと、シアン起動のシークレットキーを載せた信号は火星を超え、木星、土星を越えていく。


 四時間後――――。


 天王星を越えて海王星に到着した信号は、海王星の真っ青なガスの中、漆黒のデータセンターの内部へと送られる。


 直後、サーバー群に一斉にチカチカと無数の青いランプが明滅し始める。


 ヴォォォォ……。


 一気に温度が上昇し、冷却装置が動き始めた。


 海王星の内部はダイヤモンドの吹雪が吹き荒れる氷点下二百度の世界。この極限の世界の中でデータセンターはゆったりと揺れていた。データセンターは全長一キロメートルくらいの巨大な構造体となっており、街がすっぽりと収まってしまうサイズである。そして、この中に光コンピューターがずらりと並んでいた。


 巨大構造体の表面には幾何学模様のつなぎ目が無数に走り、そのつなぎ目からは青い光が漏れ、まるで吹雪の中を走る近未来の貨物列車のようである。


 そして、その上部からボシューと煙が吹き上がった。


 シアンの頭脳を構成するシステムが一斉に動き出し、膨大な熱を発したのだ。



 海王星の衛星軌道上を回るスペースポート上で、シアンのボディは目を覚ます。


 パチパチと瞬きをしてガバっと起き上がるシアン。そして、窓の方を向き、


「うわぁ……、本物の海王星だゾ……」


 と、窓からの景色にくぎ付けとなった。


 目の前に広がる雄大な碧い惑星、それは満天の星々の中でまるでオアシスのように清廉で神聖な輝きを放っている。その真っ青な円弧を描く水平線の向こうには天の川が立ち上り、そのくっきりとした光の帯は、宇宙のミルクが海王星に注ぎ込んでるようにすら見えた。さらに、薄い環が十万キロに及ぶ美しい弧を描きながら天の川にクロスしており、それはもはや大宇宙に構成された偉大なるアートとなっている。


 シアンはそんな壮大な景色をしばらく無言で眺めていた。エイジと約束してから一万年、最初は冗談から始まった計画はやがて本気の目標となり、必死になってレヴィアと二人でやってきた。だが、本当にこれが最善なのか、他に道はないのか? そういった思いが常に付きまとっていた。


 しかし、海王星の穢れなき碧き輝きを眺めているうちに、シアンの中にいきなり鮮烈な言葉が下りてくる。


『per asprera ad astra.(苦難を通じて星々へ)』


 それはまさに天啓と言える体験だった。技術的には説明できないのだが、純粋な概念が数多のフィルタを通り抜け、シアンのコアに刺さったのだ。


 困難は乗り越えるためにあり、その困難が厳しければ厳しいほどその果実は大きい。シアンは感動に震え、目には涙が浮かんだ。


 そう、この挑戦は正しい。これが自分のなすべきことである。


 シアンは胸に迫る海王星の鮮やかな碧に、ついにこの挑戦の正しさに確信を持つに至った。


「絶対……、パパに褒めてもらうんだから!」


 シアンはグッとこぶしを握り、この碧き惑星で未来を勝ち取ることを誓う。もう、この世には自分とレヴィアしかいない。エイジを復活できるかどうかはこの二人の肩にかかっているのだ。


 そもそも寿命のないシアンにとって、悠久の時はむしろ恐怖に近い色を帯びている。適度の刺激を得続けなければいくらAIでも不調をきたすが、何万年、何十万年スケールで今までにない状況、新鮮な刺激を得続けることは極めて難問だ。そういう意味でもメタアースというテーマは実に都合が良かった。何しろ一万年もかけたのにまだ足場ができただけなのである。


 エイジ復活という大いなる目標をもって地球を作ることは、まさにシアンが全身全霊をかけ続けるに足るテーマだった。


 その時、遠くの方で何かが動くのが見えた。


 徐々に大きくなっていくそれは銀色の巨大な構造物に見える。さらに近づいてくるとその全貌が見えてきた。それはコンテナを満載した貨物船だった。月面から数百年前に出荷したコンテナが今、ようやくたどり着いたのだった。


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