第42話 暗殺者 ナナシ

私の名前は、「ナナシ」界隈ではそう呼ばれている。

どこの界隈だって? 


あなたが、想像しているモノよりずっと闇の深い界隈だ。





今回の任務は単純だった。

対象は「カフェ・アンリミテッド」の店主。

依頼元は――悪魔の子らの会という団体からだ。詳しくわ言えない。一つ言えることは、連中は本気だった。

標的が「鍵を握っている」可能性があると。

私のような暗部の実行者が動員されるのは、たいてい本当に消したい時だ。


深夜一時。

閉店から数時間が経ったはずの静かな店内に、私は侵入した。

システムは簡単だった。扉の電子ロックは解除コードを取得済み。

防犯カメラは物理的に潰す。隣接の通りの防犯網は、今は眠っている。


音を立てずに店内へ。

硝子の壁、木のカウンター、アンティーク調の椅子。

場違いなほど穏やかな雰囲気に、私は一瞬だけ足を止めた。


「いらっしゃいませ、夜更かしさん」


声に振り返った。

そこにいたのは――店主だった。

……私のミスだ。裏口から入ったはずなのに、なぜか店主は先にいた。


「……」


私は咄嗟に構えた。

銃声を響かせない道具は手にしていたが、撃てなかった。

なぜなら、ソイツは、にっこりと笑って、

カウンターの奥で――コーヒーを淹れ始めたのだ。


「飲んでからにしない? 覚悟決まるかもしれないし」


まるで、客を迎え入れるような、完璧な接客だった。

私はそのまま、促されるままにカウンターに腰を下ろしていた。


なぜだ? 命のやり取りの場面で、私は……


彼女が静かに差し出してきた一杯のコーヒーは、

温かく、ほろ苦く、妙に心をほどいてくる味だった。


「……どうして、逃げない」


「逃げなきゃいけない理由がないからよ。あなたは殺す気がない」


「……!」


「目が言ってた。“迷った”でしょ」


私は沈黙した。

図星だった。たしかに、あの瞬間、コーヒーの香りに包まれた時――

『……その時、私は、店主を殺害することはやめた』





そして、私は自然と気持ちを吐露し始めた。


「……私の仕事は、人の命を奪うことだ。必要とされるから、やってきた。

でも時々、本当にこれでいいのか、わからなくなる」


「……誇りがない仕事は、長くは続かないよ」


店主は静かにそう言った。


「でも、誇りを持てないのは、その仕事のせいじゃない。

あんた自身が、“誇りを持っちゃいけない”と思ってるからよ」


「……」


「誰に命じられたとしても。あなたの一手は、あなたの意志で選べる」




静かだった。

静かで、まるで深海のような夜。

私は、店主の言葉を、心のどこかに染み込ませていた。


「ごちそうさま」


立ち上がった私に、店主は穏やかな笑みを返した。

それは、奇妙に美しい別れだった。





…外に出た私はふと星を見上げた。

都会は、星が良く見えない。

そんな、当たり前のことすら此処で空を見てみるまで知らなかった。

ずっと夜に仕事をしていたのに。


「実家にでも帰るか」

星がやけに綺麗に見えた実家に私は一度帰ることにした。


今日は晴れやかな気分だ。

ミスを二度もしたのに。


一度目は、店主に先回りされたこと。



二度目は



――あの瞬間、コーヒーの香りに包まれた時


私は、店主を殺害することはやめた


そして標的の店主は、男のはずだ。




私は歩きながら、小さく笑った。


「……おそらく、違う店に入ったんだろう。今日は二度もミスをしたな」


しかし、店の名前は「アンリミテッドで間違いないと思ったんだが」

本当は何処の店に入る予定だったんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る