第5話 神隠し

「そんなこと、気にしてないよ。というか、本当にあの時俺が、ちゃんと送って行けばよかったんだから」


 七年前の夏休みに入ってすぐの頃、六花は一週間行方不明になった。

 あの日の夜、友達の未希みきちゃんの家へ泊まりに行く予定だった。俺は六花を未希ちゃんの家まで送るつもりだったが、途中で大丈夫だと六花は言うのでその場で別れ、県道沿いにあるコンビニへよってから家へ帰った。


 次の日の夜になっても六花が帰ってこないと、祖母が騒ぎ出し未希ちゃんの家に連絡すると昨晩は来ていないと言われた。そこで初めて、六花が行方不明だと判明したのだ。


 警察に捜索願を出し、村人総出で探したがみつからない。二日たち村では六花は神隠しにあったのだと断定して、かねと太鼓を打ち鳴らし「かえせ、もどせ」と誰に対してか訴えて歩いた。


 この村では、神隠しの子供が出るとこうして探すのが風習だと聞いた。それが効いたのか一週間がすぎた頃、山の中をさまよっていた六花が発見された。


 着ていた洋服は泥だらけ。おまけに行方不明の間の記憶があいまいで、何をしていたかどこにいたのかも覚えていなかった。


 六花はしばらく入院したあと祖母の家に帰ってきたが、夏休みがあけてからも学校は休みがちになった。神隠しにあったものは、しばらく気が抜けたようにぼうっとして寝て過ごすという。


 俺は祖母の家に六花を訪ねにも行けず、たまに高校で見かける六花はぼんやりとしていて声もかけられない。

 そのまま疎遠になって、俺は次の春には東京の大学へ行くため家を出たのだ。


「あの時のこと、本当に何も覚えていないのか」


 ハンドルを握る手に、汗をかいていた。


「不思議や、本当になんにも覚えてへん。気づいたら、サンマイにいたのは覚えてる」


 県道の信号が青から赤に変わったタイミングをつかみそこね、急ブレーキを踏んだ。


「ごめん。大丈夫か」


「大丈夫。でも、珍しいなあ、お兄ちゃん慎重やのに」


 妹の『慎重』という単語が、頭に反芻される。『慎重な男』とは、表向きによく言われる俺に対する賛辞だった。しかし、内実は違う。


「俺、けっこううっかり者だよ」


「そお? そんなイメージなかったけどな。お兄ちゃんは背も高くてイケメンで、勉強も教えてくれるわたしの自慢のお兄ちゃんやった」


 前方を見る六花の横顔は、窓の外の光によって影ひとつなく輝いていた。その横顔がふっとこちらを向いて、花のつぼみがほころぶように愛らしくほほ笑む。


 ……この顔に何度、欲情しただろう。


「六花、会社の始業時間大丈夫か? もうそろそろチェーンはずそうかと思うんだけど」


 村から出て、大きな県道に出ると雪はもうほとんどつもっていなかった。


「今日は、雪で遅れるって言うてあるし」


 俺は県道沿いのコンビニに車をとめて、外へ出た。体にまとわりついていた車内のじっとりとした熱気はすぐさま離れていき、頬に冷気が突き刺さり身震いをする。


 チェーンをはずし、運転席に座るとさっきよりもいくぶん頭がすっきりしていた。

 ふたたび県道を走り始めると、車の流れはゆっくりでかなり到着時間が遅れそうだ。


「ほんまは今日、休んだらって会社の人にも言われてん。お父さんにもそう言うてたんやけど」


「父さんは、強引だからな」


 俺は、すこし皮肉な色を声ににじませた。


「それもあるけど、お兄ちゃんに会いたかったし。こんなことでもない限り、ふたりっきりになれる時間とれへんやろ?」


 たしかに正月であろうと、母屋と離れに行き来はない。お互い、学校に通っていた時は違った。登下校はいっしょだったし、図書館に行きよくふたりで勉強をした。


 六花が神隠しにあってから何もかもなくなったけれど、それまでは血は繋がっていなくても、仲のいい兄妹だった。

 子供の頃夢みた妹を、いっしょに住んでいなくても、やっと手に入れた。そう思っていた。


「あんな、今日会社にちょっと顔出したらすぐ退社するし、どっかでランチせえへん?」


 変な含みのないカラっとした六花の誘いに、ついついのせられ俺は了承した。

 六花の顔はぱあっと、はじけたように屈託なく笑う。会社が終わったら連絡するからと前置きをして、信号待ちのわずかな時間でメッセージアプリを交換した。


 このまま家に帰っても、やることはない。ただ夕方に父と母を迎えに行く時間に遅れなければ、何をしていてもいいわけで。それが、久しぶりに会う妹とのランチでもおかしくはない。


 宇土市の市街地に入り、不動産会社の前でおろすと六花は「あとで」と軽く手をふりビルの中に消えて行った。

 近くのファミレスで二時間ほど時間をつぶしていると、スマホにメッセージが入る。


『もう終わった。会社の前だとちょっとあれやから、近くのコンビニまで来てくれる?』


 会社を早退して、男と会うとなるとやはり人目が気になるのだろう。俺たちは、はたからみても兄妹に見えない。

 巨大な親指のスタンプを返しすぐにコンビニに向かったが、六花はぬかるむアスファルトの駐車場で待っていた。


 朝には輝いていた雪が、黒く汚れその足元に広がっていた。

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