第14話 支社長の後悔
グレープの法人契約が成立した時には支店長も大いに満足してくれた。それだけではない。これで来年度における増員の確約も頂いたのだ。太田は歓喜した。
だがこの決断は間違っており、その代償が大き過ぎたことは後に痛感させらたのである。まず想定外だったのは、この案件について事後報告をした加納が難色を示したのだ。しかもこの一件を思い悩んでか体調を崩し始め、会社を休みがちになった。
これには焦った。第一支社の稼ぎ頭である彼に倒れられたら、支社はたちまち立ち行かなくなる。太田は彼が休んだ日には代わりに担当代理店へと走りまわった。さらには若くてフットワークの良い田中にも手伝って貰いながら、なんとかカバーしてきた。
だがそれにも限界がある。だから早く年度が明け、使える戦力が増員されないかと待ち詫びていた。だがここにも誤算が生じた。支店長は確かに約束通り総合職を増員させたが、他の課支社で営業経験のある社員では無かったのである。
しかも新たに支社へやって来るのは四月からではなく、本社で二カ月間研修を受けた後の六月赴任の新人だと言う。その上総合職ではあるが東海圏限定の女性エリア総合職だと聞いて落胆した。
総合職も営業職も男性が多い中で、最近では女性の採用が増えている。社会的に女性の雇用促進が叫ばれているからだろう。会社としても積極的に採用しているとアピールしたい表向きの理由があってのことだ。第一支社はそのあおりを受けたのである。
こんな手酷い仕打ちはない。第一支社のエースが不調な折の緊急事態に、営業ノウハウを一から教えなければならない新人をあてがわれたのだ。
これには頭を抱えた。そんな余裕などこの支社にはない。それでも与えられた駒でやり遂げることが支社長の役目である。心中はゲッソリとする思いだったが、やるしかないのだ。管理職である限り決して逃げることは許されなかった。
それに太田も一生この支社に居続ける訳ではない。転勤族である保険会社の総合職にとって、ここはキャリアにおける一通過点にしか過ぎなかった。よってなんとか次の異動まで待てば、少なくとも今の地獄からは逃れられる。ただ次の部署でもこれ以上の困難が待っている可能性はあった。
太田は小曽根第一支社に来て三年目に入る。着任した時は使える担当者が加納だけで、後はミスの多い後藤と入社二年目のまだ社会人になり切れていない田中しかいなかった。
一年目は我慢の年だと自分に言い聞かせ、支店長からの罵倒も何とか耐え忍んだ。代わりに次年度以降で実を結ばせるための工作を、加納や田中の担当代理店を中心に行ったのである。
その結果は見事年度当初から成果が表れ、途中苦戦した時期もあったが損保と生保、両部門での予算目標の一〇〇%越えを達成できたのだ。
しかし増員したとはいえども今年度は間違いなく苦戦するだろう。頼みの綱の加納がほぼ使い物にならない状態に陥り、田中が孤軍奮闘しているだけだ。幸い増員された天堂は真面目で一生懸命だったため、機動力としては使えたがまだ戦力にはカウントできない。
そう言っている間に十月の異動で支店長が変わり、新たな上司の元で第一支社の実績割れを責められた。当然のように加納の欠員状態など全く取り合ってもらえない。
昨年度の実績となっている好成績も新支店長にとっては過去のもので関係ない。あるのは今自分がいる支店でそれ以上に数字が上げられるか否かだ。
結局加納不在のまま、田中と天堂の頑張りでなんとか好成績とはいかないまでも、七支社中で中間程度の成績を維持してきた。このままなんとか次の異動まで耐えればいい。そう思っていた小曽根支社で五年目を迎えた時にまた新たな試練が訪れた。
それ以前から体調不良で休みがちだった天堂が、とうとう倒れてしまったのだ。彼女がそう遠くない時期にこうなることは予想していた。日によって大きな波がある症状が加納の時と同様だったから余計だ。その為その前の四月異動で自分の名が出ないものかと祈ったが、願いは叶わなかった。
その結果とうとう自分の在職中に総合職二名、さらに女性事務員も一名の脱落者を産んでしまったのである。その為女性事務員の補充は勿論、総合職の補充を支店長席に依頼をし続けることとなった。
すると加納の長期離脱が決定した時には天堂が増員されたばかりだった為、なかなか受け入れられなかった補充の要請も、天堂まで長期療養に入ったことを受けてようやく支店長席は重い腰を上げた。総合職と女性事務員一名ずつの補助要員を出してくれたのである。
それでも焼け石に水状態だったことは否めない。太田はなんとか時が過ぎるのを待っていただけだった。おそらく加納と同じく天堂も長引くだろう。
それに彼女はまだ一人身で若く、あの件のからくりについても気付いているようだ。おそらく退職を決断するのも時間の問題かもしれない。
加納の場合は養うべき家族がいるため、すぐには辞めないはずだ。会社が許す長期療養中でも給与は出る。彼の場合入社十五年目以上だから、四年間は給与のほぼ全額が支払われ、その後一年は給与の七割が支給されるはずだ。完全に体調が戻らなくても、最長五年の休職期間一杯は退職しないだろう。
いずれにしても今回は加納達の事も影響したせいもあり長く在任しているが、小曽根第一支社長として五年目に入った今年こそ異動となるはずだ。
これまで課支社長として二つの部署を経験してきたが、いずれも赴任期間は四年だった。もう少しの辛抱である。そう自分に言い聞かせるしかなかった。
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