第7話



 フット・イン・ザ・ドアというテクニックを知っているだろうか。


 行動、発言、態度、信念などを一貫したものを保つことにより、他者から高い評価、意思決定を簡易にするため、人は一貫性を保ちたがる。


 それを利用したのがフット・イン・ザ・ドア。小さな要求を呑ませ続けると、要求を呑むという一貫性の立場を好むようになり、段階的に大きな要求も呑ませられるというテクニックだ。


「何で私、姫宮と朝食をとっているんだろ……」


 グレーの上下スウェット姿の犬上を見ながら、コーヒーを嗜む。


 今、犬上が食堂で俺と共に食事を取っているのはまさにそれ。


 昨日、荷ほどきや、覗くな、といった数々の小さな要求を呑ませ続け、今では食事を共にとろうという要求まで呑むようになっている。


 内心ほくそ笑む。


 俺は犬上を落とすために、二つの手法を用意した。まず一つ目がフット・イン・ザ・ドア。これを続けて犬上を要求を呑むという一貫性の立場を好むようにする。最終的に女子を好きなれとの要求を呑ませる。


 そして二つ目。


「犬上さん、下の名前はなんて言うの?」


「あん? 言うわけねえだろ」


「命令」


 犬上は歯噛みした後、ぼそりと言った。


「……優子だよ」


 俺はコーヒーカップに口をつける。すぐには返事しない。というのも、この時間が犬上に俺が何をするつもりなのか考える時間になるからだ。


 これが二つ目だ。


 こうやって俺のことを考えさせる時間をつくり、俺のことを考えるように躾ける。するとまた、一貫性の原理で、俺のことを考えることに犬上は心地よさを覚えることになる。


 結果、犬上は俺のことで頭がいっぱいになり、恋愛感情と錯覚してしまうようになるのだ。


 さらに。


「優子。そう呼んでもいいかな?」


 朝日が差し込んだタイミングでキラキラな表情を向ける。


「うっ……」


 犬上、いや、優子は顔を真っ赤に染めた。


 この提案をしたのにも、もちろん理由がある。下の名前で呼び合うことは、一気に心の距離を縮めることになるのだ。


 だが本命はあくまで、俺のことを考えるようにするしつけ。


「優子にも桜路って呼んで欲しい」


「そ、それはよぉ……」


「ダメ、かな?」


 いくら壁を張る優子とて、この俺のねだる声を聞いて、不安そうな顔を見て、断れるはずはなかろう。


「わ、わかったよ……その、桜路」


「ありがとう、優子」


「〜〜〜〜〜っ!?」


 優子は声にならない声をあげたと思えば、朝食のパンを咥えて立ち上がる。


「で、でも、しょれ以上はないかんな!?」


 そう言い残して、走り去ろうとしたので待ってと引き止める。


「それ以上って、私が何をするつもりだと思ってるの?」


「にゃ、にゃにって……」


「わからないなら、考えてみてね?」


「うう〜〜!!」


 今度こそ優子は走り去っていった。


 これで完了。俺のことを考えるように躾けたので、嫌でも優子は俺のことが頭に思い浮かぶだろう。


 ふふっ、この調子だ。第一段階、押す、は十分にできている。このまま二つを続ければ、すぐにでも、つぎの段階へ移ることができるだろう。


 だとすれば、今のうちに今後のプランを詰めておく必要がある。引く、は距離を取ればいいだけなので、問題の解決、ここを詰めないと。


 まずは優子が抱える問題、そのことに当たりはついているが、まだ確信までは至っていない。正確に認識するところから始めようか。


 なんて思っていたら、お盆に朝食を載せた女子に声をかけられた。


「あ、あの、姫宮様ですよね?」


 見たことない女子だ。きっと昨日の活躍の噂につられた女の子に違いない。


 ちょうどいいな。


 優子が消えたタイミングを見計らって接触してきた。それは風聞が悪い優子のことを知っているからに違いないのだ。


「ああ、そうだよ。もしかして、一緒に食べてくれるのかな?」


 王子様スマイルを向けると、お盆を落としそうになったので、手を添えて安定させる。


「危なかったね?」


 そう言うと、こっちを見ていた女子たちのキャーという声が食堂に響いた。


「ひめみやしゃまぁ……」


 蕩けた女子。これなら何でも答えてくれるだろう。


「そうだ、聞きたいことがあるんだけど、教えてくれないかな?」


「なんなりと!」


「じゃあちょっと、同室の犬上さんについて聞きたいことがあるんだ」


「ええ! 知っていることなら何でも! と言っても、外部進学組の犬上さんはあまり知らないんですが……」


「外部進学組?」


「は、はい! 穏ヶ咲は中高一貫ですので!」


「なるほど。外部進学組って珍しいの?」


「そうですね、そう珍しくはありません。犬上さんのように、普通の公立中学から進学してくる子も多いですし。ただ……」


「ただまあ、犬上さんの通っていた中学も一貫校の名門で、わざわざこの高校に進学する意味がわからないのはあります」


 そう。なら、薄い可能性であったけれど、お嬢様高校のノリに馴染めなかったという線は消えた。


「へえ。ねえ、犬上さんが休日に何してるとか知ってる?」


「あまり親しくないので知らない、といいたいところですけれど、犬上さんはいつも寮にいるので」


「寮に?」


「ええ。一年の一学期までは出ていたらしいですけど、今はたまに出ることもあるだけ。それも、実家の送り迎えで日用品を買うだけらしいです」


「間違いない?」


「一年の時の同室の子に聞いたので、間違いないかと」


 なるほどよくわかった。


 犬上の抱えている問題の全容が見え、完全にプランが組み上がる。


 少々面倒だが、やりますか。


 俺は女の子と話しながら、これからの行程を固めていった。

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