3.神林祭魚[中]

 神林さん――祭魚ちゃんに出会ってからの日常は、輝かしかった。

 日々一人で進めていた実践的な魔術の研究、祭魚ちゃんが開発していた新たな呪術、ワンド作り、パワースポットの実地調査に異星人との交信。それら全てを、二人で話ながら協力しながら、時には批判もありながら、実に有意義に進めていった。

 祭魚ちゃんが、不発弾の外装を溶かして作った曰く付きのペンタグラムをプレゼントしてくれると、私はろうそくの作り方を教えてあげた。

 私が作った儀式用の香をあげると、祭魚ちゃんは暴走族をカツアゲしたお金で買ったという魔術書を読ませてくれた。

 私の家に招くこともあったし、祭魚ちゃんの家に行くこともあった。祭魚ちゃんはお父さんと二人暮らしをしているらしいけど、そのお父さんと出会うことは終ぞなかった。「別にあの人のことは嫌いじゃないけど、いない方が都合はいいね」とは祭魚ちゃんの言い分だ。

 それから祭魚ちゃんの素行の悪い噂話、あれはほとんど本当だった。教師を脅したのと捨て猫を助けたという話だけ嘘で、とにかく暴力暴力暴力の生活を祭魚ちゃんは送っている。

「コンビニでいつも邪魔な単車乗りが群れててさ、他の客が入れないから単車を潰して人間を折ったら族仲間がお礼参りにカチコんできたからさすがに大勢はダルいし一旦ひとりぶっ潰して単車パクって逃げて隠れて魔術で呪って動けなくしてからボコボコにした」「中学は成績も出席日数も問題なかったし授業中に暴れたりはしないから教師に推薦かかせて今の高校に入った。進学校なら大学入りやすいしね」「カロウェルの魔術はかなり洗練されてるけど、やっぱ少しショー的な雰囲気もあって、その実それは本気で魔術を広めようとしてたんだろうね」「立ちションしてるおっさんがズボンをめっちゃ下げてたから、後ろからズボンを上げてやった。良いことをした」「あんたのこと呼び捨てにしたくないから、新嵐さんって呼ぶわ」「猫は誰かの使い魔かもしれないし…」「なんか引ったくりをぶん殴ったら反撃されてボコボコにしたけど、やりすぎだったみたいで警察からの褒められとしてはプラマイゼロだった」「勉強は好き。何かを学ぶことは、武器が増えていくみたいで楽しい」「悪いやつをぶん殴るのはマジで気持ちがいい。本当におすすめ。この世で一番いい身体の使い方だと思う。新嵐さんもやった方が良いよ」

 などなど。全て同じ人間の言葉だ。

 ただ祭魚ちゃんは暴力大好き人間だったが、粗暴な人間ではなかった。でも別に仁義に熱いとか実はいい人ということもなく、マジで自分と暴力とオカルトが好きな、ただただ規格外の女だった。

 理不尽な力を持ち、自らの理屈で動き、混沌をもたらす。

 そういうのってどっかの神様みたいだ、なんて思う。

 ある意味で祭魚ちゃんは私にとって「神」的な存在だったろう。

 私のオカルトの話も真剣に聞いてくれるし、新しい気づきを与えてくれる。彼女のオカルトの話も私には興味深かった。学校ではお互い不干渉だったけど、彼女は私の世界を広げてくれた。



 とりわけ、私たちがのめり込んだのは新魔術であった。

 近代魔術の体系としてはかなりカジュアルな魔術で、六十年ほど前に魔術移民三世の世代がアメリカで興したものだ。主に悪魔との交信を主としており、ベースとなっているのはソロモン七十二柱の悪魔とそれを呼び出す黒魔術だったが、それをこっくりさんのようにカジュアルに呼び出す方法がまとめられている。

 現代魔術の界隈では取るに足らない非学術的な体系とされ、女学生の「おまじない」くらいにしか見られていない新魔術だったが、私はこの新魔術に可能性を感じていた。

 新魔術はシンプルが故に、ある部分に手を加えるとあらゆる悪魔と交信できたからだ。

 詳細は省くが、この魔術は基礎の理論が全く出来ていないのである。しかし簡単に、悪魔と交信が出来る。これは恐らく、何人かの天才が戯れに、手癖で作った魔術体系なのだ。新魔術という名にもそれは表れている。「新しい魔術の在り方」であると、そう言っているのだ。

「新嵐さんのその話、面白いね」

 なんて、祭魚ちゃんも新魔術の研究を始めると、それはどんどんと解析が進んでいった。

「これさ、アサメイの意味がこの魔法円のルーンと繋がるのかも……」

「シロキタケのオイルをこのタイミングで使うのって、もうこの時点で何か別の悪魔に接触が……」

「この呪文って実は意味のないやつかも、リズムだけっていうか……」

「あ、これヤバい」「あ、ヤバいね」

 私たちの新魔術の研究は、世界でも誰も見つけていないかも知れない新しい扉を開こうとしていた。


 ――しかしこんな平和な日々は、少しずつ終わりを迎えた。

 つまりゾンビ病である。ゾンビ病の流行は次第に私たちを遠ざけていった。外出も憚られるようになったし、学校への登校も少しずつ減っていく。祭魚ちゃんの顔を見る機会もどんどん減って、私たちはInstagramのDMばかりやりとりしてる。


「学校から全然出られないよー」

 『マジ? 何やってんの?』

「なんかみんなのケアとか」

 『アタシはもう学校は行かないかも』

「え、どうして?」

 『授業ないから』

「そうだよね」

 『新嵐さんの顔が見られないのは嫌だけど』

 『まあ学校で話すこともないし』

「私も」

 『電波悪くて全然送れないや』

「通信がダメになってくると不安だな」

「そういえばこのあいだ一年生の子から限定のカントリーマアムもらった。ブドウ味。大事にとってる」

 『カントリーマアムのブドウ味、想像できなさすぎる』


 そんな他愛のないやりとりだけが、私の日々をつないでいた。

 私は皆に求められるまま、学校を守ろうとしていた。ゾンビ病を恐れる皆をなだめ、子供たちを見捨てようとする大人に発破をかけ、出来るだけ「学校」という日常を守るために、この学校の守護神となる必要があったのだ。

 この学校は、比較的に安全だった。

 私立の進学校で校舎や外壁も堅牢だったし、何より私の元で皆が結束しており、町に溢れるゾンビと暴力に対処できた。

 元々水や食料は、皆が自発的に集めてきたものだった。

 少しずつ町は機能を失っていって、その中で集められるものを集めて、学校で生活が完結できるようにしていた。

 ……それでも、人は減っていく。

 電気の供給が止まり、水道もほとんど止まり、町の完全閉鎖が決まった頃、学校に残ったのは半数の生徒と教師、それからその家族の一部。そろそろ潮時だ。私たちは逃げ出さなければならない。私は皆に、そう提案するつもりだった。

 しかし、それはできなかった。

 なぜならここに私と残ることは、残った人々にとっての信仰になってしまったからだ。

 私が抜けるわけにはいかない。

 なんて――この時は思った。それはやはり私の日和見主義的な思考の帰結で、別に自分勝手に抜け出しても良かったはずだ。ただ不安がる皆がいて、私が求められるのなら、ここにいるべきだと思った。

 私がゾンビに噛まれたのはその頃だ。

 私はゾンビ化した教師に、皆の前で噛まれてしまった。噛まれたが――しかしからゾンビにはならなかった。

 それは周りから見れば、かなり奇跡的な出来事だったろう。祈りの淵のカルト化、私の神格化はこの時から一気に加速した。

 私はやがて取り巻きの連中から神秘的な存在に仕立て上げられ、神格化のためにこの身を幽閉され、誰かがどこからか調達してきた献血マシンで定期的に血を抜かれている。

 ぞんざいに扱われているわけではない。むしろ必要以上に、不健全なほど丁重に扱われている。――心を病み、意思を喪失するほどには。

 結局のところ人は、形式を作ることで安心するのだろう。私をあがめ奉る、どこかでぼんやりと覚えたであろう儀礼的な振る舞いが、しかし私への信仰を生む。

 それでも私は……私には私の、ある意味で信仰があった。

 折に触れ、私はもう電波の繋がらないスマートフォンで、彼女とのDMのやりとりを読み返す。

 そして私はその名前を心の中で三度唱える。

 神林祭魚、神林祭魚、神林祭魚。

 これは暗示だ。

 心の中で彼女の名を唱えるたびに、彼女の心に触れている気がする。

 彼女もその呼びかけに答えてくれているような、不思議な安堵感がある。


 この友情を信仰だと言うのなら――

 私は何を捧げたって、構わないのに。

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