最初の花火

霞(@tera1012)

第1話

 シュパン。


 缶ビールのプルタブを起こしたとたん、意外に音が響き渡り、周囲の数人がちらりとこちらを振り向いた。

 わあ、ごめんなさい。

 その視線に少々肩身の狭い思いをしながら、あふれ出す泡に慌てて口をつける。


 夕暮れの河川敷には、あちこちに人々が固まり、思い思いの時を過ごしている。目の前には、スマホ片手に必死に周囲を見回しているおばあちゃん。その先には、初々しいカップルの彼氏の方が、一生懸命にコンビニの袋を広げてその上に浴衣姿の彼女を座らせようとしている。


 やがて目の前のおばあちゃんの横顔がぱっと輝き、飛び跳ねんばかりに手を振りはじめた。そこに、ゆっくりと歩いてくる若い夫婦と、小さな女の子。女の子の髪の毛には、カラフルなボンボンのような形の髪飾りが、電球でピカピカと光っている。

 女の子がおばあちゃんに抱きつくと、おばあちゃんはその髪飾りをなでて、二人はうふふと笑いあう。

 

 平和だなあ。

 私はさきいかをくわえながら、川を渡って少し湿り気を帯びた夏の夜風を額で感じていた。

 今日は、地元の花火大会だ。




 空はゆっくりと藍色に染め変えられてゆき、西の山ぎわに淡い茜色が残るのみとなった。河川敷は急速にモノクロの世界になる。

 夫がおもむろにLEDペンライトを点灯する。相変わらず、恐ろしいほど準備がいい。


 私たちは、持参した折り畳みのキャンプ椅子に腰かけ、組み立て式のローテーブルに広げたおつまみを食べながら、保冷バックでキンキンに冷やされたビールを飲んでいる。

 普段から、夫の、美味しくビールを飲むことへの情熱はすさまじいが、特にこういったイベントごとでの用意周到さは、ちょっと引くほどだ。海もキャンプもスキーも、ほぼビールをおいしくするために計画してるんじゃないかと思う。まあ、ご相伴に預かれる私としては、喜ばしい限りだ。


 ちらちらと、家族サービスに徹している周囲のお父さん方の視線を感じる。

 ごめんなさい、……おいしいでーす。


 やがて周囲は夕闇に沈み、人々のざわめきも大きくなる。


 ぱん、ぱん。


 夜空に、開演を告げる破裂音が響いた。




 パッと上空に最初の花が開いた瞬間、背後から、

「わああ……」

 という、感に堪えないといった幼い声が聞こえた。


 ひゅるるー、ぱん!

「わああ……」


 ひゅるるるるー、ぱんぱん!

「わああ……」


 一回一回、うっとりとした声は続く。

 私は、振り向きたいのをやっとのことでこらえる。

 どうしよう、かわいすぎる。


 ひゅるるるるーるるるるー

 ――来るぞ来るぞ。


 バーン!!

 ――来た!四尺玉!


「うわーん!!」


 あらら……。


「ユウちゃん、どうしたの」

「この子、打ち上げ花火を見るの、初めてで。大きい音が、怖かったかしら」

「そうかそうか、ほら、ユウちゃん、みてごらん。ニコちゃんマークだよ!」

「……。……わあ、おリボン!」

「すごいねえ」


 私は、背後の舌足らずな歓声をつまみに、ビールをあおる。少しぬるくなったビールは、それでもおそらく、この夏の一、二を争う美味しさだった。




 花火が終わってしばらくは、暗闇の中でペンライトの明かりを頼りに、ふたりでビールを飲み続けた。帰りの人波が落ち着いたところで、私たちはゆっくりと腰を上げる。

 前方のカップルは、川をみつめたまま寄り添い続けていた。


 駅までぱらぱらと続いている人の列に加わりながら、思わず私はつぶやく。


「花火、きれいだったね。うしろの子、お母さんが、生まれて初めての花火大会だって言ってたよ」

「あー、2年、中止になってたからな」

「……なんか、他にも色々、できなかったこととかあるんだろうねえ」

「まあな。子供の1年って、俺たちの10年分くらいの重みがあるよな」


 まだ人でごった返している駅前が徐々に見えてくる。

 花火大会なんて、人混みだらけで好きじゃなかったのに。人の声を聞きながら飲むビールは、美味しかった。まともな生活の味がした。


 もし、何かの拍子に花火が大嫌いになっちゃって、二度と花火大会なんて行かないと思う日が来たとしても。

 その最後の花火は自分で決めたい。


 海も、山も、街を行く旅も。

 あの子たちが、自分たちで経験して、選び取れる日々が続きますように。


 私は静かに、夜空に祈った。


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