雨が止んだ日

カラミティ明太子

それでも冬はやってくる

 私達の関係を問われれば、彼はなんて返すのだろうか。

 こうして同じベッドの上に横たわり、各々のスマートフォンで別のコンテンツを見ながら、けれど毛布の下で互いに足を絡ませている。

 怠惰で、緩い。

 この空間だけ時間の進みが遅いような、けれど時刻はもう正午を過ぎていて。

 外は雨が降っている。秋の暮れに降る雨が止んだらいよいよ冬の訪れだ。

 本格的に冬の装いをしなきゃ、なんて思いながら彼の方を向いて、意味もなく頬を突く。


 そんな今を共有する私達のことを、彼は何て言うのだろうか。



「悠君、今日の夕飯何がいい?」

「今日は俺が作るよ。俺今日早いし」

「そうだっけ。それじゃあ、お願いしようかな」

 朝の会話。

 私と彼の会話は朝と夜。朝食を食べて、夕飯の確認をする。

 それぞれ身支度を整えたら私は仕事へ、彼は学校かバイトへ。駅までの道を一緒に歩けば、改札の向こうで私達は逆のホームへ向かう。

 限られた時間


 電車の中でスマートフォンをいじっていると、通知バーに3日後が彼の誕生日である旨のメッセージが表示された。

 もちろん知っている。この通知はどちらかといえば、私の気持ちを盛り上げるためのものだ。彼の誕生日を祝ってあげたいし、サプライズをしたときにどんな表情を見せてくれるのかを考えただけでもマスクの下でにやけが止まらない。

 年甲斐もなく、なんていう年齢ではないけれど彼のことを考えている時の私は間違いなく2,3歳は若返っていると思う。ちょうど彼と年齢が並ぶような年頃になっている気がする。それどころか彼より歳下であるように振る舞っていると自覚する時もある。

 今年で私は27。彼は22。5歳差の、歳下の彼氏。それが彼──悠君だ。


 出会ったきっかけはたまたまだった。

 共通のゲームがきっかけでオンライン上で知り合ったのが去年の春。ゲームをプレイしながら雑談でお互いのことを話し合う内に音楽の趣味や好きな漫画、食べ物の好みの共通点の多さに意気投合したのがその年の初夏の頃。

 住んでいるところも近く、なんとなくご飯を食べようってことで会ったのが去年の晩夏。

 会って、一目で惹かれてしまったのは自分自身でちょろいというか、浮ついているんだと思った。けれど、初めて会った時の彼の雰囲気、話すときに少しだけ首を傾げる癖、ストローを奥歯の方に寄せて吸う飲み方、それら全てが今でも思い出せるほどに私は彼に目を奪われていた。

 その後何度か会い、お互いの家に足を運び、いつしか泊まることに抵抗感が無くなりだしたのが秋の雨が降り止む頃。


 彼が私の家で夜を明かすことが3回目になった晩、私達は体を重ね合わせていた。

 告白はなかった。

 私も彼も相手の想いは分かっていたから。



「進路?」

「そう。そろそろ決まったんでしょ?」

「うん、まあ」

 日付が変わる数分前。

 最低限の下着だけを身に着けて、彼は左手でスマートフォンをいじっている。私も右手でスマートフォンを見ながら、明日──あと3分後に迫った彼の誕生日のことを考えていた。

 布団の中で絡み合う指は時折僅かに動き、相手の動きに合わせて自分も握り返したり小さく手の甲に指先を滑らせる。

「就職先決まったの?」

「そんな感じ」

「そんな感じって」

 彼はよくこの言葉を使う。大体返事をするのが億劫な時にこの言葉を使う。適当に使える便利な言葉と思っているのだろう。過去に「どんな感じ?」と聞き返した時、少しだけ反応に困ったような素振りを見せていたのがかわいかった。

「前に話してたとこ?」

「あー、いや、違う」

「へえ。他にどこか受けてたんだ?」

「まあね」

「遠いの?」

「それなりに」

「どれくらい?」

 うーん、と悩んでから彼の首が壁の方を向いた。

「引っ越そうかな、って」

 窓ガラスにうるさいくらい雨粒が当たっている。

 そんなにけたたましく音を立てていたら寝れないじゃないか、と雨に聞く耳があるなら言いたくなるくらいの強い雨。

 けれどそんなことを言っても降り止むわけでもない。

「そんなに遠いところ?」

「いや、ここから20分くらいだけどさ、なんか……」

 その後を悠君は言わなかった。

 その夜、私は無性に泣きたくなった。悠君の腕を抱いて、胸に顔を埋めて泣きたかった。体にすがりたかった。

 だって、だってと喚きたかった。

 終わってほしくなかった。

 雨だけが変わらず降ってくれていた。


 目を覚ますとテレビが点いていた。台所でやかんが甲高い音を立てている。

「おはよ」

 彼が少しだけ笑う。インスタントの味噌汁を茶碗2杯分用意して、私が学生の頃から使っているローテーブルの上に置いた。

 机の上に置かれていたコンドームの箱と開封した後のゴミをまとめて入れたビニール袋は持ち手が結ばれてゴミ箱に突っ込まれていた。

「目、腫れてるよ」

「本当?顔洗ってくるね」

 何気ない朝であることを努めなければ。

 今日、私は何をしたかったんだっけ。

 彼の誕生日で、帰りに予約したケーキを持って帰って、それで……

 洗面台の鏡に映る私は目に涙を浮かべてこちらを見つめている。

 まだ泣かないで。向こうの部屋に悠君がいるから。

 今は、まだ。


「ねぇ」

 

 悠君の声が背中越しに聞こえて、腕が後ろから回りお腹の前で組まれた。

 私の背に彼の胸板が密着している。

「なーに、どうしたの」

 思い過ごしだと思いたい。私が嫌な妄想をしているだけなんだと。

 でも、そうじゃないことがもう分かる。

 名残惜しむように、彼は私のうなじに鼻をこすりつけ、静かに抱き締めている。

 首筋の唇は少しだけ強めに吸うように触れている。

「どうしたの」

 声が震えるのを我慢した。

 離れて、なんて言えない。

 私自身今の状況に脳が蕩けそうなほど嬉しさを覚えてしまっているから。

「なんとなく」

「そっか」

「うん」

「朝から私チャージですかー?」

「そんな感じ」

 しばし無言で、それから彼は手を解き、そのまま玄関に向かう。

「ねえ」

「ん?」

 靴を履いている後ろ姿は一切振り返らない。

「誕生日おめでとう」

「あー、うん、そっか」

 うーん、と少しだけ悩んでから彼はこちらを向いた。

 少しだけ開いた玄関の向こうは眩しいくらいに気持ちのいい秋晴れの青空が見えている。

「ねえ」

 ドアがさらに開き外の冷たい空気が流れ込む。

 先程までの火照った気持ちに冷静さを無理やり与えるように、冬の始まりを告げる風が私の体から悠君の温もりを剥ぎ取っていく。

「ありがとね」

「ううん」

「それじゃ」

「うん、頑張ってね」

 閉じたドアは開かない。

 冬が訪れた洗面台で私は泣いた。

 口をつけた痕が残っていない首筋を手で抑えながら私は泣いた。

 だってそうだ。私達は告白して付き合ったわけじゃない。

 彼氏彼女の関係でもない、一線を超えたゲーム友達。私達はそれでしかなかった。

 でも、それでも。

 

 1人分消えたフレンドリストをしばらく眺めて、私はいつもの朝を取り戻すべく仕事に出た。

 1人分の夕飯を考えるのはちょうど1年ぶりだった。

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雨が止んだ日 カラミティ明太子 @Calamity-Mentaiko

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