第37話 ベアロボス第一王子ベアル
ベアル様の部屋にお伺いに行ったクロードさんが部屋に帰ってきたのは、それから数分後のことだった。
「これから大丈夫だそうだから、会いに行こう」
クロードさんから放たれた予想外の言葉に、私は身体をフリーズさせた。
今から!?
どうしよう。まさか今日の今日で、と思っていなかったから、心の準備ができてないわ……!!
「ああの、この姿で問題はないでしょうか? 一度着替えて……」
「そのままでいいよ。十分可愛いから」
予想以上に早めの訪問で慌てた私に、苦笑いしながらクロードさんが手を差し出す。
「お手をどうぞ、俺のたくあん聖女様」
そうか。
聖女という立場として紹介されるのよね。
それらしく振る舞わないと。
私は一度深呼吸をしすると、意を決して彼の手に自分の手を重ねた──。
ベアル様の扉の前にはベアロボスから連れてきたであろう獣人の騎士が二人両脇に立って控えていた。
「ベアル殿に、クロードと聖女が来たと伝えてくれ」
彼らに言伝を頼むと、一人が「少しお待ちください」と一言断ってから確認のため部屋へと入っていった。
そしてすぐに出てきた獣人騎士によって「どうぞ」と通されることになった私たち。
「失礼する」
クロードさんについてベアル様が滞在している部屋へと足を踏み入れると、窓際でこちらに背を向け、外を眺める銀色のケモ耳の後ろ姿が……。
「ベアル殿、早速連れてきたよ。彼女が聖女、リゼリア・ラッセンディル公爵令嬢だ」
クロードさんが声をかけると、びくりと体を揺らしてベアル様が反応した。
「よく、来てくれました」
ゆっくりと振り返ったベアル様の姿を見て、心の中で驚きの声をあげるも表面ではにっこりと淑女の笑みを浮かべる。
「初めまして、ベアル様。リゼリア・ラッセンディルと申します」
銀色の狼の耳がピクピクと動き、シュッとした顔つきにきりりとした金の瞳。
狼獣人初めて見た……!!
カッコ可愛い……!!
も……もふもふしたい……!!
心の中でぴょんぴょん飛び回るも、一切顔には出さない。
公爵令嬢モードの時はこれができるのに、何で普段は顔に出てしまうんだろう。不思議だわ。
「は、初めまして、リゼリア嬢。僕はベアル・ベリル・ブレア・ベアロボスです。ベアロボスの第一王子です。聖女に会えるなんて、光栄に思います。……よかった────あ、あなたは僕にとって、良い人間のようです」
おどおどした物言いに逸らされた瞳。
それに【僕にとって良い人間】?
何だかとっても引っかかる言い方。
「ベアル殿。実は彼女は普段神殿の食堂で働いているんだ」
クロードさんが言うと、ベアル様が初めてしっかりと私と視線を交わした。
大きくまん丸に開かれた金色の瞳。
そして彼は「しょ、食堂で?」と驚きの声を上げた。
「り、リゼリア嬢、公爵令嬢がそんな、平民と混ざって働いて、大丈夫なんですか? それに、食堂って、切ったり焼いたりするのでしょう? 怪我などは──」
あ、この人あれだ。完全なるおぼっちゃま系王子だ。
でもこれが普通よね。
普通の公爵令嬢はそんなことしないもの。
「大丈夫ですよ。それに、皆さんと過ごす日々が……、『おいしかったよ』って言ってくれる笑顔が、私は大好きなのです」
思い浮かべるのは、常連のお客さんやレジィ、アイネの顔。
そして神殿の皆や孤児院の子供たち。
私が出会ったかけがえのない人たちだ。
「……そうか。あなたは、そんな笑顔に囲まれて食事ができるんですね。……羨ましいな」
俯き加減で発せられたベアル様の呟きに、私は首を傾げる。
この人、本当は皆と食事したいんじゃないのかしら。なんだかとても、寂しそう。人間が嫌いというわけでもなさそうだし。
「あぁ、すみません。何でもないです。リゼリア嬢、あらためてよろしくお願いしますね」
分厚く毛に覆われた手を差し出すベアル様に「こちらこそよろしくお願いします」と言って私はその手を取り握手を交わす。
少しざらついた硬めの肉球が気持ちいい。
「ベアル殿、リゼさん、近づきすぎ」
ぬっと間に現れるクロードさんに、私はベアル様からバッと手を離す。
「あぁそうだ、ベアル殿。明日からあなたの食事は彼女が担当する。彼女の聖女の力は、料理系でね。ぜひあなたにも体験していただきたいんだ。何か食べたいものがあれば、遠慮なく言ってくれ」
さりげなく料理のことを持ち出すクロードさん。さすがです!!
だけどベアル様の方が一枚上手だった。
「そ、そうなんですね。ありがとうございます。僕は特に……い、今の食事で大丈夫ですから、お気遣いなく」
それとなく食べたいものを聞き出しちゃおう作戦、敢えなく失敗!!
くっ、手強いわね、ベアル様。
「そうか。じゃぁ、紹介も終わったし俺たちはそろそろお暇するよ。また晩餐で、ベアル殿」
ごく自然にクロードさんが話を切り上げて、私も合わせてカーテシーをすると、ベアル様が見送る中、二人で部屋を後にした。
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