第9話 月浪縁の語り/翁の伝承

【月浪縁】


 さて、これから私が語る話もお芝居の話だ。

 日本の「芸能」の起こりは神事・祭祀から来ていると聞いたことはあるだろうか。

 例えば、奥菜理花さんが執心していた「能」の始まりも神事の一環の仮面劇だ。

 能において、面を被った人間はその瞬間鬼であり、神である。

 面を媒介して、演者を超常の者とシンクロさせるんだね。

 だから演者が人でないものになることも、ままある話なのかもしれない。


 ——おそらく鎌倉から室町にかけての話だ。能の前身、猿楽を生業とする一族があった。

 この一族は公的な流派に属さない土着の舞いを踊る人々で、翁の面を使った踊りがいずれの流派よりも見事だったために「翁」という名字を城主から賜るほどだった。

 翁一族には双子の兄弟の舞い手がいた。背格好も顔立ちもよく似ているが、踊りの才覚だけに明確な差があった。


 兄は幼い頃から麒麟児と呼ばれるほどの舞い手で、長じても才覚にいっぺんの翳りもない。それどころか歳を重ねるごとに演技は磨かれ円熟し、輝きを増していく。兄が舞台に立つと輪郭が光を帯びたように見え、その一挙手一投足によって性別の垣根を超え、人であることさえ超越し、見る者の心を打って止まなかった。

 変幻自在の演技は素直で清々しい柔軟な性格から来ているようで、才覚に驕らず謙虚な人だったそうだ。


 弟もそれなりに優れた舞い手ではあったが兄と比べるとどうしても見劣りがした。心映えも普通の男だ。とりわけ善人でも悪人でもなかった。他人を嫉妬し恨みもする。弟は優れた兄を尊敬しながらも妬んでいた。それでも人前で諍いを起こすのを慎むだけの分別があったので、他人の目から見ればこの双子は仲が良いと思われていた。


 だから土地を収める城主の前で『翁』の舞を奉じる前日、大晦日の夜に、弟が兄の顔を火箸で焼いたのは一族にとって寝耳に水の出来事だった。

 夜に轟く、顔を焼かれた兄のつんざくような悲鳴。

 これに呼び寄せられるように集まった一族の人間に取り押さえられた弟は、舞台でかける面のような、静かな顔で兄の火傷を見つめると「これでようやく釣り合いがとれる」と呟いたという。


 この事件に困ったのは一族の人間である。何しろ明日には大舞台が控えているのに、役者の顔が焼け爛れていては差し障る。

 城主に舞を納めるのを待ってほしいと言うわけにもいかない。城主は兄の舞を目当てで一族を優遇しているのは明らかだから、代役も立てられない。

 手当を受ける兄の横でああでもないこうでもないと意見を交わす一族に向かい、

「私は踊れます」と、か細い声で兄が言った。

「弟を相方にするなら私は踊れます。怪我を面で隠せば良い」と。

 火傷の痛みも引いてないだろうに兄の言葉は不思議と落ち着いており、有無を言わせぬ魔力があった。己を傷つけた下手人を舞台にあげたいと願う奇妙な注文だったが、一族の人間は従うことをためらわなかった。


 結果、兄が采配を取って、その年の一族が演じた『翁』は掟破りも甚だしい代物になった。

 そもそも『翁』という演目は神事の一環として舞う演目だ。

 現代に伝わるしきたりからもそれは窺える。舞台に立つものはみな精進潔斎し、中でも舞い手は七日間火を遠ざけなければならない。上演当日には楽屋と舞台にある精神統一のための部屋——「鏡の間」に祭壇を設けお供えをして面を祀る。舞の直前、演者はお神酒を順番に飲み干し、邪気を払うために火打ち石で切り火をする。

 このように厳格に身を清めてから舞わなければいけない『翁』を、まして遠ざけられるべき火を持って兄の顔を焼いた弟と、焼かれた兄とが演じたのは冒涜と言うほかにない。


 しかし、城主は一族にふんだんに褒賞を与えた。

 白と黒の翁面をそれぞれかけて舞った兄弟の演技はまさしく神の降臨そのもので、また鬼気迫るものがあったからだ。

 見るものは皆涙をこぼし、演奏の只中にいたはずの一族の人間は、何やら大きなものに取り巻かれるような不思議な感触を覚えて、常にない手応えはあったものの記憶が曖昧であると口を揃えて言うばかりだった。

 演者の振る舞いが鼓の音を引き立て歌の声を伸びやかにした。舞台の上で起きる物事が完璧に調和し、神事として相応しい猿楽だったと、人を納得させるだけの力があったのだ。

 不思議なのは才覚は兄に劣ると言われていた弟が、その日ばかりは兄と同等の演技をしたことである。「これでやっと釣り合いがとれる」という弟の言葉は、皮肉にも翁の演技で真実だと証明されたわけだ。

 とにもかくにも、表向きには翁の演目は大成功だった。けれど、ここで話は終わらない。


 この翁の演技を終えた兄は怪我が元で病がちになって伏せり、春を迎える前に亡くなった。病の種類はなんだったかはっきりしないが、まるで火傷が全身に広がるように皮膚が爛れて亡くなるという惨いものだった。

 一族はたいそう悲しみ、そしてまた困り果てた。兄は唯一無二の演者だったので、代わりがいない——そう考えたところで気づく。

 弟がまだいる。兄とともに翁を舞った弟が。


 本来、兄の顔を焼いて神事を汚した弟は死を持ってその罪を償うはずだったが、神がかりの舞台を演じたことに免じて殺されはせず、一族によって座敷牢に軟禁されながらも生きていた。

 弟は兄の代役を務めるよう求められた。牢から出されて話を聞いた弟は、やつれても兄とそっくりの端正な顔を歪めて笑った。


「結局私の同胞は、芸に矜持を持っているわけでもなく、神に仕える敬虔な気持ちなど微塵もなく、金と享楽を目当てに人の才を磨いて、欲を貪り尽くすためならば、とりかへばやも厭わないのだな」


 そう言い放った弟は正月に使った面を一族のひとりにとって来させると、二つ並べて目の前に置き、託宣する巫女のように一族へ告げた。


「ならば舞を続ける意味などない。なに、黙っていても金なら供してやるとも。私が死んだそのあとも未来永劫、食うに困らないように言祝ことほいでやろう」


 口にするや否や、弟は白い翁面と黒い翁面を足蹴にした。地団駄を踏むように、何度も、何度も。

 それは狂乱そのものの姿だった。止めに入る人間さえも振り解いて、ついに弟は二つの面を踏み砕いた。


「だが、金輪際、一族の血を引く人間が芸能の道に足を踏み入れることは許さん」


 血塗れの素足のまま立ち尽くしていた弟は、やがて穏やかな笑みを浮かべた。


「芸能の道を志した者が次の〝私たち〟であることを、ゆめゆめ忘れえぬように」


 このような経緯で翁の一族は神を祀ることを止め、舞い踊ることを忘れた。


 だから「翁」の名字は読み方だけが残って字が変わり「奥菜」になって今代に至る。

 双子の舞い手の恩寵によってもたらされた強運に支えられながらいまも生きている。

 奥菜の一族は『面移し』の儀式ある限り繁栄が約束されているからだ。


 ——芸能に才ある人間を〝生贄〟にして繁栄する。奥菜の『面移し』の儀式はこうして始まったわけだね。

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