第8話 居酒屋 猫柳亭にて

【芦屋啓介】


 国分寺の駅のほど近くにある居酒屋、猫柳亭は店主の趣味でそこかしこに招き猫が置かれているので有名で、店の前にも看板がわりの巨大招き猫が立っている。その横に、ほとんど同じ背丈の縁がスマホを見ながら立っていた。今夜は玲奈と待ち合わせての食事会である。


 待ち合わせ時間の五分前、ネオンきらめく駅の方から現れた玲奈が縁を見つけて大きく手を振って近づくと巨大招き猫の影からぬっと顔を出した芦屋の姿を見つけたらしい。玲奈は満面の笑みを崩して瞬いた。


「なんだ、芦屋くんも居るのか……」

「おい」


 あからさまに不服そうな玲奈の言い草に芦屋が突っ込むと、縁も不思議そうに首を

傾げる。


「あれ? 芦屋くんが同席すること、教えたよね?」

「教えてもらってたけど、実際目の当たりにするとなんの集いなんだろう、これ、と思って」


 芦屋はいつまでも店先で話すのもどうかと思い、さっさと暖簾をくぐって奥を指差した。


「とりあえず入ってから喋るぞ、月浪。奥菜」

「はいはい」


 玲奈が軽く答えて、一行は猫柳亭に進む。

 通されたのは一番奥のテーブル席である。やはりこちらも猫尽くしの内装で、テーブルの上にも黒い招き猫が置かれていた。

 テーブルを挟んで縁と玲奈が向かい合い、芦屋は縁の横、入口側に陣取った。

 適当につまめそうなものを芦屋が頼むと、玲奈は横並びになった芦屋と縁をまじまじ見比べて首を傾げる。


「さっきもちょっと言ったけど、これって怪奇会サークル繋がりの集まりなのかな?」

「いいや。話したいことがあったんだよ」


 店員が皿を並べて去っていくのを見送ると、それが合図だったかのように縁はにこやかに微笑んで、口を開いた。


「——玲奈さんは絵を描くことは好きかな?」


 芦屋は縁が真っ先に本題へ切り込んだことに気がついた。

 縁は芦屋の時と同じ怪談を口にする。

 月浪縁が霊能力者であると打ち明ける話だ。

 芦屋がこの話を聞くのは二度目である。となれば、周囲に気を配れるだけの余裕があった。

 縁の方は慣れた様子で語っていくが、その表情は乏しい。芦屋に語った時は常の微笑みを崩さなかったのに、今回は物憂うように言葉を連ねていく。

 対する玲奈はというと、こちらも縁と似たり寄ったりの無表情だ。最初こそ驚くように目を見張ったと思ったが、そのあとは落ち着いて縁の話を聞いているように見える。


(……いや、落ち着きすぎじゃないか?)


 芦屋には玲奈の反応が腑に落ちない。

 玲奈は春休み中に面の怪異に遭遇しているから怪異の存在は飲み込めるにしても、縁の異能まですんなり受け入れそうなのは意外だった。

 芦屋の時は縁の兄、月浪健の精神操作の異能を目の当たりにしたのと、目の前で出力された写真の中身が変化するという混じり気のない超常現象を見せられたからこそ、納得できたというのに。


 だが、縁が語り終えた途端に、玲奈の表情ががらりと変わった。


「縁さんが人を描くと、厄払いになるけど、絵の内容が不気味に変わる……。その上、縁さんは怪奇現象を引き寄せる霊媒体質の持ち主だから、縁さんと関わる人にまで、被害が及ぶかもしれないって、こと、だよね?」


 確かめるように、おずおずと縁の顔色を伺う玲奈に、先ほどまでの落ち着きはない。


「怪談が除霊の代わりになるって話は、聞いていたけど……」


 にわかには信じられない様子で戸惑う玲奈だが、すぐに何かに思い至ったらしい。ハッと顔を上げて縁に尋ねる。


「じゃあ、縁さんが描いてくれてるっていう、私の絵は……」

「赤いテクスチャが載っている」


 縁は淡々と答えて、持ってきていたタブレット端末を開いた。

 芦屋に事前に見せたのと同じ、赤いテクスチャが顔半分を覆う自身の肖像と対面して、玲奈は息を呑んだ。


「ええと、最初からこういう絵を描いたわけじゃ、ないんだよね?」

「もちろん。……とはいえ証明するのも難しいんだけどね。多分、ケリが付いたらこのテクスチャも取れるから、まずは終わらせないとだ」


 芦屋は縁と玲奈のやりとりに〝また〟違和感を覚える。

 玲奈は感情表現が豊かで、クルクルと表情が変わる人間だが、今日はなぜだかそれが上滑りしているように見える。

 そして縁の語り口には覇気がない。


「面の怪異を終わらせるために、今夜はもう一つ、別の怪談を話さなければならないんだ。……ねえ、玲奈さん」

「なに、かな?」


 玲奈は縁の挙動がいつもと違うことに気づいてはいるらしく、怯えた様子で縁を見つめた。


「怪談はね、できる限り自分の身に起きた物事を正確に話さなければ意味がない。嘘を吐いたり、嘘じゃなくてもわざと肝心な部分を抜いて誰かに語って聞かせたなら、除霊にはならないんだ」


 芦屋は縁の横顔を見やり、改めて玲奈の顔を見やった。

 その顔は強張っている。


 奥菜玲奈は怪談を語るにあたり〝かたった〟のだと、縁は指摘したのだ。


「……それは、どういう意味で」 


 問いただそうとした玲奈を遮って、縁は静かに続けた。


「君はとても、お芝居が上手だね」


 猫柳亭のテーブルにどこか白々しく響いた言葉に、玲奈は黙り込んだ。


「それから、君は多分〝お面のお化け〟が唱えた呪文の意味も、きっと知っているはずだ。とうとうたらりたらりら、に始まるこれは、祝詞だよ。だ」


 縁は意味深に吐き捨てて、新たに怪談を語り始める。

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