第4話 ドッペルゲンガー

 芦屋の質問に縁は逡巡するように顎に手を当てたのち、ストン、と再び腰を下ろした。


「〝厄払いの絵画〟の能力では怪異に取り憑かれた原因を予測はできても特定することはできない。実のところ葉山くんがドッペルゲンガーに取り憑かれているとわかったのも渋谷で芦屋くんから話を聞けたから。つまり、今から私が言うことは全部推測だということを頭に置いておいてくれ」


 芦屋が頷くと、縁は口を開く。


「人は自分で自分を追い詰めて〝生き霊〟という怪異になることがある。ドッペルゲンガーは生き霊の一種だ」


 縁の言いたいことを汲み取って、芦屋は目を見開く。


「葉山は自分で自分を、呪った……?」

「その通り」


 信じがたいことだが縁の見解だとそういうことになるのだろう。現に、芦屋が驚愕を滲ませて引き取った言葉に、縁は深々と頷いている。


「ドッペルゲンガーは葉山くんの自殺願望を喚起する生き霊だった。ここからは私が君に質問していこうかな。——ねえ、芦屋くん」


 縁は芦屋の顔を見て首を傾げた。


「合同展示の企画は誰が主催でやってるんだい?」

「俺だ」

「芦屋くんはどうして合同展示をやろうと思ったの?」


 子供のようにどんどん質問をぶつけてくる縁に、芦屋は眉根を寄せながらも答える。

 縁にはおそらく葉山がドッペルゲンガーを生み出した理由の見当がついている。そして素直に教えてくれるつもりはないらしい。

 あるいは、芦屋自身から答えを引き出そうとしているようにも思えた。

 答えを知るために、芦屋は質問に正直に答えなければいけないと、改めて気を引き締める。


「授業で評価されるのとは、違う作品を作りたかったからだ」

「どうして?」

「……葉山が」


 芦屋は一度ためらうように言い淀んだ。が、隠すことではないと思い直して口を開く。


「教授に、かなり厳しい講評を受けたんだ」


 口に出した言葉を、心中で芦屋は言い直した。


(いや、厳しいを通り越してあれはほとんど、罵倒と人格否定だった)


 険しい顔の芦屋を窺って縁は怪訝そうに眉根を寄せた。


「……葉山くんって作品づくりで手を抜くような人じゃないでしょ。そんな酷評されるようなことある?」

「葉山の提出した写真が、合成や加工をいとわない作品だったからだよ」


 大勢の学生が集まる前で葉山を吊し上げた教授、三角みすみを思い出し、芦屋は密かに拳を握る。


「講評で教授が言っていたこともだいたい覚えてる。『加工と合成をするような人間は一流の〝写真家〟にはなり得ない』『そういうのは写真を素材としか思っていない〝デザイナー〟や〝アーティスト〟のやることで虫が好かない』『写真とは文字通り「真を写すもの」であるべきだ』『だからコンテストでは合成や加工を禁止するものが多いんだ。若いうちから小手先の技術に頼るな、猿真似にも程がある』……」


 思い出せば思い出すほど、芦屋の眉間に深いしわが刻まれていく。


 ひどい講評だった。

 八十人ほどいるはずの映像科の教室がシンと静まり返った中、三角教授の痛烈な酷評ばかりが響いている。作品の前に立って数分程度、朗々と作品解説を行なっていた葉山は、教授が言葉を発してからどんどん青ざめて、最後には俯いて震えていた。

 側から見ていた芦屋にも、葉山に学生たちの視線と三角教授の声が凶器となって突き刺さっているような気がしたほどだ。


「挙げ句の果てに教授は『君の作品は現状、論ずるに値しない』とまで言ったんだ。——葉山が加工や合成をいとわない作品を作っていただけのことで」


 のちに、芦屋が先輩や助手から聞いたところによると、三角教授は一度目の課題で提出された〝出来の良い〟加工・合成を使った作品を槍玉にあげて酷評し、新入生に加工や合成に頼らない写真の技術をまず評価することを強く印象付けるらしい。

 ——つまり、葉山は見せしめにされたのだ。


 芦屋は悔しさに歯噛みする。


「そんなの、場合によるだろ」


 例えば、報道写真において加工や合成は許されない。

 報道写真は被写体のありさまや本質をありのまま人に伝えるための写真だからだ。

 写真家が手を加えた写真を報道写真として発表することは写真家の〝意図〟が入ったものを見せることになるので、「改ざんした写真である」として評価されない。

 一方、広告や雑誌のグラビア写真などでは加工や合成は大前提だ。

 商業誌に掲載されるポートレート肖像写真は被写体を魅力的に見せることが目的だから、被写体が映えるように写真の色合いを調整し、モデルの肌のくすみや隈、ニキビなどを修正することは全く当然のこととして行われている。

 写真が「なにを表現するために撮られたものなのか」によって、加工や合成の是非は変わる。

 それなのに一方的に吊るし上げられるのは間違っていると、芦屋は思ったのだ。


「俺は、葉山が撮ったみたいな、加工や合成をふんだんに使った作品があってもいいと思う。たとえ教授好みの作品じゃなくたって、俺は葉山の作品が好きだ。だから葉山に合同展示をしようって持ちかけた。教授が評価しなくても葉山の写真はいい作品だ。展示を成功させて、自信を取り戻して欲しかった」


 芦屋の言葉に縁は納得したように頷き、スッと目を細めた。


「だからだ。葉山くんはそれでドッペルゲンガーを生み出したんだね」


 芦屋は縁の言葉をうまく飲み込めず、一拍をおいて尋ねる。


「……なんだって?」


 驚嘆する芦屋に構うことなく、縁はマイペースに言う。


「その、葉山くんを吊し上げた教授って三角教授でしょ。芦屋くんは彼の経歴を知ってる?」


 縁が知っているくらい三角教授は有名なのだろうか、と思いながら芦屋は首を横に振った。


「恥ずかしながら、三角教授についてあまり詳しくは知らない。自然物を多く撮ってる写真家だったと思うが」


 初回の授業の前に教授が自己紹介がわりに自分の作品を見せることもある。三角もその例に漏れなかった。三角がスライドで見せたのも自分で撮った自然風景や大自然の中で暮らす人々の写真だ。徹底的なリアリズムが魅力だと思ったのを覚えている。

 縁はにこやかに続けた。


「三角教授は自然写真を使ったで有名になった人なんだよ」


 芦屋は瞬く。初耳だった。

 大抵、世間で名を売った代表作があるような教授はその作品を真っ先に学生に紹介するが、どうも三角は違ったらしい。


「でも、その仕事ではどちらかというと三角教授じゃなくてデザイナーの方が名前を売ったんだよね」


 縁が芦屋でも知っているグラフィックデザイナーの名前を挙げて、縁は続けた。


「葉山くんは博識だ。三角教授のことも当然知ってただろう。それに一線級のプロから直接教わるなんて機会はそうない。数ある芸大や美大の中で東美を選んだのも、もしかしたら三角教授の授業があったから、かもしれない。芦屋くん、どう思う?」

「……あり得ると思う」


 葉山は東美以外の美大もいくつか受かっていたが、他を全部蹴って東美に進学した。広告写真家を目指してもいた。もしも、教授陣の中に特別思い入れのある人物がいたのが東美進学の決め手になったとしたら。……もしも、それが三角だったとしたら。


「となると、葉山くんは憧れの作家から八つ当たりのように吊し上げられたわけだね。『君の作品は論ずるに値しない』と」


 縁の指摘に芦屋は奥歯を噛んだ。


「作家として優れている人間が必ずしも教師に向いているわけではないし、人間いつでもご機嫌っていうわけにもいかないけど、その三角教授はとりわけひどいね。邪推するけど、自分の写真が広告に使われたときに嫌な思いをしたんじゃないかな」


 縁曰くの〝邪推〟にはそれなりの説得力があった。三角のデザイナーやアーティストを毛嫌いする言動にもなんとなくの説明がついてしまう。


「で、葉山くんは酷い講評のあと、芦屋くんから合同展示の提案を受けた。『これまで通りの作品でいい』って、芦屋くんは励ますように言ったんじゃないか? 悪気なく、良かれと思って」


 図星だった。黙り込んだ芦屋をよそに、縁はなめらかに葉山の苦悩を推察する。


「葉山英春は相当に悩んだのだろう。かたや憧れの師。かたや親友。どちらの意見も受け入れたいが、どちらかしか受け入れられない。悩むうちに気づく。自分には通せる『我』がないと」

「いや、葉山はこだわりの強いタイプだし、個性だって……」


 反射で否定した芦屋だが、言っているうちに尻すぼみになった。


 葉山は凝り性だ。その作品はクオリティが高い。それは間違いない。けれど、個性的だったかと問われると疑問符がついてしまうかもしれない。ジオラマ風の写真にも、加工や修正をいとわない洒落っ気のある写真群にもある種の既視感があった。

 だがそれが悪いわけじゃない。少なくとも合同展示の雑然と言うテーマには合っていた。どこかで見たような、それでも葉山にしか撮れない写真だった、はずだ。


『猿真似』


 三角の冷淡な指摘が芦屋の脳裏に蘇る。

 葉山は自分で『雑然』というテーマを決めて作品を作った。葉山は自分の作風を承知していた。自分の作風を生かして、展示に臨もうとした。

 おそらくは芦屋が、それを望んだから。

「今まで通りの葉山の作品が好きだ」と言ったから。

 しかし葉山はそれを、心から納得していたのだろうか。

 沈黙する芦屋に目をすがめ、縁は腕を組んだ。


「だからドッペルゲンガーがとり憑いた。葉山くんは知らず知らずのうちに自分を呪った。自分で自分の向かう道がわからなくなったから。自分でない自分を望んだから、葉山英春は生き霊ドッペルゲンガーを生み、自らの鏡像さえも恐れるようになった」


 芦屋は縁の見解に、膝に置いた拳を握る。

 もしも、縁の言うことが正しいのならば、葉山のドッペルゲンガーは芦屋のお節介も一因となって生み出されたと言うことになる。


「俺の、せいか?」

「さあね。本当のところは誰にも分かんないよ」


 なんとか口を開いて尋ねてみても、縁はのらりくらりと受け流すばかりだ。

 芦屋はうなだれて、額に手をやる。


「いや、そもそも、そんなに切羽詰まってたなら、……相談してくれたら、いつでも力になったのに」

「あはは。それも無理な相談じゃないか?」


 あっさりと笑いながら切り捨てた縁に、葉山は眉をひそめて問いただした。


「なんでだよ」

「葉山くんはどう考えても芦屋くんに格好悪いところを見せたくないタイプだもの」


 縁は目を丸くする芦屋に首を傾げながら答える。


「葉山くんはこれまでずっと、芦屋くんの相談に乗っている立場だったんでしょう? 頼りにしてくれる友だち相手に弱みを見せるのって、なかなか勇気がいることだと思うな」


 芦屋啓介は葉山英春をきっかけに写真を始めて、美大にまで進学した。

 葉山はセンスが良く、写真の歴史や技法についても博識で、芦屋は同い年ながら一目置いていた。だからよく進路の相談をした。芦屋は葉山を尊敬していたし、それを葉山に臆面もなく伝えていた。

 芦屋はぐっと眉をひそめる。

 縁の指摘はきっと正しい。

 葉山はこだわりが強い男だ。決めたことには頑固だ。面倒見が良くて……格好をつけたがるやつなのだ。芦屋はよく知っていたはずだった。


「俺は励まし方を、間違えたんだな……」


 芦屋が展示をやろうと誘ったとき、ズタズタに傷ついていた葉山はきっと取り繕おうとしたのだ。芦屋のために無理をして応じた。無理をして作品を作った。その無理が、ドッペルゲンガーを生んだに違いない。


 俯いた芦屋に、縁はなおも続ける。


「でも、そんな風に『今まで通り加工や合成を使いながら作品を作っていくか』『教授の言うように加工や合成をしないように作っていくべきか』で死ぬほど迷ってた葉山くんは、どこかで〝教授の考えに迎合する自分〟を『自分とは思えなかった』んじゃないかな?」


 芦屋は顔を上げて、淡々と言う縁を見やった。


「だから葉山くんは最後までドッペルゲンガーを自分自身と結びつけずに済んだ。ドッペルゲンガーの怪異としての『見たら死ぬ』という効果が発揮されなかったわけだ」


 ドッペルゲンガーは〝死の前兆〟として語られることがあると言うのは、芦屋も知ってのところである。

 だが、葉山はドッペルゲンガーを見ているのに死んでいない。

 縁が葉山を描いて〝厄払いの絵画〟の能力が発揮されたからだろう。

 芦屋はそう解釈していた。


「葉山くんが怪異に殺されずに済んだのも、芦屋くんが葉山くんの作品の方向性を認めて、励まし続けた結果かもよ」


 しかし縁は別の解釈を披露した。

 言葉を失う芦屋に、適当なことを言う。


「だったらそこまで自分を責めることでもないよ。たぶん」


 芦屋にとって気が楽になるような見解でもあった。


 同時に、芦屋は一歩間違えば死ぬかもしれない状況に置かれていたことを察して、肝が冷える。


(もしかして相当にまずい状況だったんじゃないか、葉山と……俺は)


 縁は渋谷の喫茶店で「ドッペルゲンガーを二回見ると、本人でなくとも見た人も死ぬ」と言っていた。それはおそらく真実だったのではなかろうか、と芦屋は平然とした顔の縁を見て思う。


 だから縁はわざわざ怪談をしにやってきたのだ。葉山と芦屋を除霊するために。

 ——助けるために。


「とりあえずドッペルゲンガーについては解決した。今後も怪奇現象で困ったらまた私を頼ってくれて構わないけど……一つ忠告しておこう」


 それまでずっと何かを面白がるように笑っていた縁の顔から笑みが消えた。


「基本的に、怪異っていうのは〝クソ野郎〟なんだよ」


 率直な罵倒だが、縁の語り口には全く嫌悪感がない。ただただ事実を述べているだけのように聞こえた。


「幽霊ならおとなしくあの世に行くのが摂理だというのに、未練がましく現世にとどまって、あまつさえ生きてる人間に危害を加える。生き霊は、生きてる人間が人を呪うことで身を削って成り果て、危害を加える。そして一番始末に負えない、神にも等しい力を持った連中は人の理に配慮がない」


 全てに諦観しているような口ぶりで語ると、芦屋を見据えて真顔で言う。


「どんな形であれ普通の人は本物の怪異と関わらない方がいい。だいたい人間の命が削られて終わるんだから」


 芦屋は忠告する縁を見返した。


「……おまえはどうなんだ、月浪」

「私は別だよ」


 パッと縁の顔に常の笑顔が戻る。


「なにしろ私は怪談が好きだ。こういうお祓いなり病院なりの紹介も好きでやっている。私も私で〝クソ野郎〟というわけだ。そういう認識でよろしく頼む」


 芦屋が険しい顔で黙り込んだままなので、縁はさらに付け加えた。


「つまり、私に関わることもあまりオススメしない。何しろ霊媒体質なのでね。また似たようなことが起きるかもしれないわけだ。ほんとにろくな目に遭わないよ」


 そこまで言うと今度こそ縁は立ち上がり、いつの間にか手にしている葉山の部屋の鍵を指で引っ掛け、手慰むようにくるくると回した。


「それでは芦屋くん、せいぜい用心したまえよ」

「待て」


 しかし芦屋も立ち上がって、縁のことを引き止めた。


「それだと俺の気が済まない。なにかしら礼をするのが筋ってもんだろ」

「……なんだって?」


 目を丸くする縁であるが、芦屋はその反応すら苛だたしいと、縁のことを睨み据えた。

 全く納得いかないからだ。


「今回の件、明らかに『ありがとうございました』の言葉だけで義理を果たせるような話じゃない。葉山だって、あのドッペルゲンガーを自分自身だと認識した瞬間、死んでたかもしれないんだよな?」


 縁は一瞬目を泳がせたが、無言で圧をかける芦屋の気迫に負けて、ごまかさずに答える。


「まぁ。……そうだね」

「危ない。紙一重すぎる」


 疑問が確信に変わって、芦屋は唸るように低く呟いた。

 やはり葉山も芦屋も、気づかないうちに危ない橋を渡っていたらしい。


「それで、月浪に助けられておいて、今後は関わったら怪奇現象に巻き込まれるんだから遠巻きにしろって言われても、そいつは不義理が過ぎると思う。借りがデカすぎる。このままなにもしないんじゃ俺が全く納得できない」


 芦屋の駄々に、縁は困ったように頰をかいた。


「そう言われてもな……実際私が好きでやってることだし。葉山くんも治療の対価を兄の勤める病院に払うんだからいいじゃないか、それで」

「全く納得できない」


 頑として譲る気のない芦屋である。


 それに、芦屋には他にも気になることがあった。


「月浪はいつもこんなことを、……怪奇現象に遭遇するたび、兄貴と一緒に気を配って、描いた人間のフォローに回ってるのか?」

「再三言うことだけども、好きでやってることだから。兄もそれが仕事だからね」


 縁の言いようはあっけらかんと聞こえたが、芦屋はどうも危なっかしさを感じていた。


 葉山と芦屋を描いた絵から赤いテクスチャが剥がれたときの、満足げで深く安堵したような顔を見ると、縁は赤いテクスチャを剥がすためならどんな危険もかえりみないように思えたのだ。


 そう思い至った瞬間、芦屋の口から言葉が溢れた。


「手伝う」

「は?」


 縁は怪訝の単音で返してくるが、口にした途端決意も固まったので、芦屋は堂々と答えた。


「俺も手伝うと言った」

「なんで?」


 心底わけがわからない様子の縁に、芦屋は静かに告げる。


「もう少しで、友人を失うところだったかもしれないんだ。この借りは返さないと気が済まない」

「芦屋くん、人の話聞いてたか? 関わったら寿命が縮むかもしれないんだよ?」


 全く理解に苦しむ、と言った顔で、まるで深海魚や珍獣でも見るかのごとくの視線をぶつけてくる縁に、芦屋は戦法を変えた。

 ここは取引をするべきだ。


「俺は映像学科で主に写真を勉強している」


 突然の宣言に、縁の頭上に巨大な疑問符が浮かんだような気がした。


「うん? 知ってるけど?」

「映像学科の人間が大学構内で写真を撮るのは当然のことだ。大勢の人間の写真ポートレートを撮るのは俺にとっても勉強になる」


 そして縁のように、葉山や芦屋を助けられる機会を伺うような人物なら、不幸を軽減できる〝厄払いの絵画〟のための参考写真はいくらあっても困らないはずである。


「月浪が知り合いに俺を紹介するとか、月浪の行動範囲に俺を連れていけば自然に写真を撮れると思う。そうやって俺が撮った写真を月浪に渡せる。それを参考に絵を描けるだろ?」


 次第に芦屋が何を言いたいのか理解したらしい。縁の表情から、徐々に真面目に芦屋の提案を検討していくのがわかった。


「そしたら月浪はもっと、自分と関わった人間をモチーフにして絵を描きやすくなるんじゃないか?」


 ここが正念場だと芦屋は念を押すように頼み込む。


「頼む。手伝わせてくれ」


 深く頭を下げた芦屋の耳に、しばしの沈黙のあと、縁の諦めを含んだ返事が聞こえた。


「……わかった。協力を頼むことがあると思う」

「了解だ。よろしく頼む」


 顔を上げて明朗に言い放った芦屋を見て、縁が不服と怪訝の入り混じった複雑な顔をするのを、芦屋は見ないフリをする。


「『ついて行けない』と思ったらいつでも協力を打ち切ってくれて構わないからね」

「借りを返さない限りはそうもいかない」


 意見を曲げる気など毛頭ない芦屋の返事に、縁は「変な人だなぁ、君」と失礼なことを呟いた。


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