美大生・月浪縁の怪談
白目黒
美大生・月浪縁の怪談
プロローグ 月浪縁の怪談
【月浪縁】
今から荒唐無稽だが誓って嘘偽りのない真実を語ろうと思う。
私、
……君、「なんで霊能力者が美大生なんかやってるんだよ」と思ったでしょう? たしかに「霊能力者」と「美大生」じゃ、全然関係ないような気がするけど、実際、私の進路は私の異能との兼ね合いで選んだものなんだ。
ふつう、美術大学に進路を決めた人っていうのはものを作ることが好きな人、ものを作ることに向いている人なんだろうと思う。もしくは大学より先の進路、広告代理店やゲーム会社への就職や美術の研究者への道を志して、作品作りが得意じゃなくても受験する人もいるのかもしれない。
私の場合は物心ついた頃から絵を描くのが好きだったクチでね。暇さえあればなんでも描いた。飼っていた猫や家族をモチーフにすることが多かったかな。中でも一番枚数を描いたモチーフは兄だったと思う。
私が小さいころは両親が仕事をしているあいだ、兄が遊び相手になってくれてたんだけど、なにしろ八つほど歳が違う。そこまで歳が離れていると喧嘩もしないが話題も合わない。だから二人でいるときは兄が漫画や本を読んだり宿題を済ませているところを、クレヨンとかマーカーペンでスケッチする、という過ごし方をしていた。
兄はときどき思い出したように私の描く絵を見て「マジックを使うときは薄紙を下に敷いとけよ」と注意してきたり、「よすが画伯」とか茶化しながら大げさに褒めることはあったけど、描くことや作品をけなされたり、からかわれたりしたことは一度もなかったから、私は調子に乗ってどんどん描いていった。
あるとき色鉛筆で描いた、本を読む兄の横顔の絵は五歳の女の子なりに結構いい感じに完成できたんだ。
特に芸術にピンと来る方じゃない兄も絵を見て何か感じるところがあったらしい。
「おっ、いいじゃん」なんて言って笑って、髪の毛を混ぜ返すように撫でてくれた。
その絵は私にとってお気に入りの一枚になった。
あんまり気に入ったものだから、スケッチブックから丁寧に絵を切り離して、子供部屋の壁にセロハンテープで貼って飾ることにしたんだ。
次の日、目が覚めたらテープの粘着力が弱まって絵が床に落ちていた。せっかくの絵なのに汚れてしまうのは嫌だったから、すぐに貼り直そうと拾い上げて、絵を見て、——目を疑った。
兄の顔が変わっていた。
横顔を描いたはずなのに絵の中の兄はこちらを見て、嘲笑うような、とにかく嫌な笑みを浮かべている。
おまけにハケで乱暴にインクを垂らしたみたいな、粘度のある赤い
絵の中の兄は頭から血を被っているように見えた。
血みどろの顔の中に光る、弓なりに細められた目が異様で、怖くて、変わり果てたお気に入りの絵に私はもう、火がついたように泣いたよ。
「私の描いた絵はこんなのじゃない」って。
泣き声を聞きつけてすっ飛んできた母に事情を言い、要領を得なかったところは兄を呼び出して代わりに説明してもらった。とにかく、昨日描いた絵が朝起きて全くの別物に変化したことは納得してもらったんだ。
母は絵を眺めて、これは厄払いになっていると言った。兄がするはずだったケガを、私の描いた絵が代わりに負っているのだと。
強力な霊能者の母が言うことだから……不気味に変質した絵だけど、母曰くの厄払いになっているなら捨てるわけにもいかないと思った。
私は絵を本棚の端、ファイルに挟んでしまいこんだ。あんな不気味な絵はもうしばらくは見たくもないし、見る機会もないと思っていた。
でも、そうはいかなかったんだよね。
その日の夕方のことだった。
中学校から帰った兄を出迎えに玄関に行くと、兄は額を押さえながら、靴も脱がずに立ち尽くしていた。シャツの袖口が赤く汚れていて、ケガをしているようだったから、私は慌てて救急箱を取りに行った。
どうしたのか、なにがあったのかを尋ねると、兄は
「母さんの言ってたこと、本当だった」
と、自分で絆創膏を貼りながら眉をひそめて言った。
曰く、バイク事故を間近で目の当たりにしたのだと。
右眉の上、おでこのあたりにできた傷はその事故のとばっちりで、運悪くこしらえたものなのだと。
兄は青ざめた顔で事故の瞬間、それから体験した奇妙な出来事についてたどたどしく語りはじめた。
いつもの道のりだった。
駅から少し離れた交差点で、兄は特になにも考えずに信号待ちの列に加わった。横にいるサラリーマンのおじさんも、大学生らしい女子グループもなんとなく見覚えがあるようなないような気がする普段通りの光景で、なんの前触れもなかった。
それなのに本当に突然、周囲にいた人間が全員ピタリと動きを止めた。ちょうど、動画の一時停止を押したように。
フラッシュモブかなにかの撮影かと思ったけれど、カメラもなく、それらしい様子ではない。そもそも動くモノが何もないのだ。
突如として無音・不動に変貌した世界の中に、低く轟くエンジン音が聞こえてきた。
バイクだ。
一車のバイクだけが静止した世界で爆走している。
遠目から見た運転手は鬼の形相の赤黒い顔をした男。
彼が自分を轢き殺す気だと、兄にはすぐにわかった。
しかし、兄もまた猛スピードで近づいてくるバイクを前に指一本動かせなくなっていたんだ。
逃げられない。
視覚と思考のみが動くのを許されていた。
このままだと確実に死ぬ。
兄はあまりの出来事に焦りを通り越して変に冷静になったそうだ。妙なところが引っかかったらしい。
(なんで俺は運転手の顔がわかるんだろう? あの人ヘルメットしてるはずなのに)
——そう思った途端。
兄と衝突する手前でバイクが、見えない足に蹴り飛ばされたように、奇妙な軌跡を描きながら横転した。運転手の男の体がバイクから投げ出されて地面に転がる。騎手を失ったバイクはものすごい速さで兄の横をすり抜け標識にぶつかり、断末魔の轟音を立てたかと思うと、無惨な姿でようやく止まった。
車道に投げ出された男と、ひしゃげたバイクを呆然と眺めていた兄は周囲の悲鳴、喧騒で我に返った。
音が戻ってくるのと同時に右眉の上に鋭い痛みが走る。どうやら飛んできた石かなにかの破片で額を切っていたようだ。
再生ボタンが押されたかのように、いつのまにか止まった時間が動き出しているのを確認すると、兄は、混乱したまま騒然とする交差点を足早に立ち去った。
家に帰るまでのあいだ、兄はずっと私の絵と母の忠告とを思い出して、もしかして間一髪の状況だったのではないかと肝を冷やしていたらしい。
硬い声で「直感したんだ」と言う。
「やっぱり、本当は俺は、あのバイクに轢かれているはずだったんだ」
「それを縁の絵が守ってくれたんだ」って。
私は兄の言葉を聞いて、しまいこんでいた絵を見に行った。
するとファイルに挟み込んでいたあの絵は確かに、私が描いた横顔の構図に戻っていたよ。
赤いテクスチャは剥がれて、すっかり元どおりになっている。ただ、兄がケガをした眉の上だけは、絵の中でも色が少し薄くなっていたけど。
後日、母が話してくれたところによると、バイクの運転手は母の仕事がらみで揉めた人間だったそうだ。
母はどうも彼を不幸にするような仕事の仕方をしたようで、母への憎悪と殺意が彼を怪異にしてしまったのだと言った。
人は殺意や自殺願望なんかに取り憑かれると生きながら怪異に変じることがある。
怪異は注がれる思念が強いほどに力を増し、人が怪異を怖いと思えば思うほど強くなる。バイクの運転手は教えていないはずの兄の居場所や顔を探し当てたり、時間停止の力を持っていたのだから、母はよほど強く恨まれたんだろうね。怪異を祓うのが仕事なくせに、怪異を生んでどうする、とは思ったよ。
「恨まれるのは慣れている」と平然と公言している母だけれど、その一件では珍しく兄に真剣に謝って、私を褒めそやしたからよく覚えている。
兄のバイク事故の一件は、私の絵に異能があるらしいと気づかせる出来事だった。
……実はこれっきりですまなかったんだ。
いちいち話してると夜が明けちゃうから省くけど、何度か同じようなことを繰り返した。
そうしてわかったのは、私が自分でいい出来だと思った人物画には赤い
赤いテクスチャはモデルに振りかかる災難——いわゆる厄を予告し、また厄を軽くすること。
厄が終わると赤いテクスチャはなくなるけれど、モデルが厄によって受けたダメージが絵画に反映されるから、放っておくと私の描いた本来の絵には戻らないこと。
そして、この〝厄払いの絵画〟の法則がわかるまで、何度も怪異と遭遇してしまうほど私の周囲では怪奇現象が起こるということ。
勘のいい人なら気がついていると思うけれど、私はいわゆる霊媒体質というやつだ。
ありとあらゆる怪異が私のそばに寄ってくる。
怪異はさっき話したバイクの人みたいに普通ではありえないような超常現象を引き起こすし、生きてる人間には一部の例外を除いて有害だ。
そんな怪異が四六時中寄ってくるわけで、私の置かれる状況は探偵小説の探偵が常に事件に巻き込まれているような感じと思ってくれたらいい。
これはもう、生まれた頃からの宿命のようなものなんだと思う。何しろ家系が家系だ。
母の血筋は全員霊能力者なんでしかたない。
それに、私に備わる異能〝厄払いの絵画〟は怪異の動向を捉え、災いを払い、人を死なせないようにできる。前向きにとらえれば貴重な手段だ。
だから美術を学ぼうと思った。
絵を描くのが下手くそのままだと思うように異能と付き合っていけないからね。
「私が納得できる良い絵」を描かないと私の絵は怪異に反応してくれない。異能を使いこなすためには美大に通って、絵を描くためのしっかりした理論や上達の方法を勉強、模索する必要があったんだ。
こうしてここに美大生の霊能者が誕生したわけだ。
最後まで聞いてくれて、どうもありがとう。
※
語り終えて月浪縁はにこやかに微笑む。顎のラインにそって切りそろえた髪の毛が柔らかく揺れた。
「さて、君にも語るべき怪談があるはずだ」
落ち着いた声に誘われるように、聞き手はおずおずと口を開いた。
聞き手と話し手が入れ替わる。
そうしてまた、怪談が始まる。
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