第30話 新たな作戦

「時計の横に小さなボタンがついているだろう。各自、それを押してみてくれ」


 時計横を探すと、時刻を調節するネジの下に小さなボタンがあるのに気づく。指摘されなければ気付かないほどのそれを、恐る恐る押してみると、時計の上に光のスクリーンが映し出された。その画面に表示されていたのは紛れもなく、慧が開発したアプリのホーム画面。特徴的な時計の下にチャットや予定表のアイコンが並んでいる。


「……これって、もしかして」


 奏斗のつぶやきに、慧がいっそう得意げな顔をする。そうして、彼は右腕の裾をまくってみせた。


 慧が腕に付けていたのは、奏斗と同じモデルの時計。皆と同じようにボタンを押して、スクリーンを表示させた後、慧は先ほど見せていた自身のスマホ画面を皆に見えるようにして置いた。腕時計の上で人差し指をチャットアイコンの上に持っていく。すると、見慣れたチャット画面が腕時計上にも、スマホの画面にも表示された。


「この時計は、俺の作ったアプリと連動するようにできている。もちろん、三人それぞれのスマホと時計が対応するように作ってあるから、皆試してみてくれ」


「これも慧のお手製なの……⁉」


「またすごいものを。……慧って一体何者なんだ?」


 どこか近未来的な時計に興奮する奏斗。未知すぎる慧のポテンシャルに若干引き気味の小夏。各々がそれぞれの反応を見せるなか、ふゆは貰った腕時計を凝視しながら、不思議そうにつぶやいた。


「……わざわざ普通の腕時計に見せかけるよりも、デジタル画面の腕時計を作る方が容易だったはずです。ですが、慧くんのことですし、こうしたのには何か理由がありそうですね」


 ふゆの問いかけ。奏斗と小夏はそこでようやくその疑問に気づいたという表情を浮かべる。一方、問われた慧は「……全く。ふゆは敏いな」と言って、参ったように笑った。


 慧は少し考えると、ふいに悪い顔つきになった。


「これは俗に言うイカサマするための細工だな」


 想定外の言葉にぽかんとする三人。緊張気味に、続く言葉を待っていると、慧はこれも合宿が円滑に行われるための策だと言う。


「無事に班決めが終わって安心しているところだとは思うが、俺はこれで矢坂が小夏を諦めたとは考えにくいと思う。むしろ班決めが思うようにいかなかったことで、アイツの不満は高まっているはずだ」


「合宿でも何か仕掛けてくる可能性があるってこと?」


「それは確かにあると思います。矢坂はこなっちゃんへの執着が異常に強い。班決めの際のねちっこいやり方を見て確信しました」


「………」


 班決めが無事に終わり、一件落着なように思えていたが、一気に現実に引き戻されてしまう。真剣に顔を突き合わせる三人に対して、小夏は口をつぐんだまま顔を歪ませていた。


「だからこそ、策を練るんだ。小夏。お前の要望はまだ果たせていないんだからな」


「……慧」


 小夏が三人に出した要望は、舞を自身に近づけさせないように協力してもらうこと。つまり、矢坂舞との決別。そのため、合宿の班が同じになるのを阻止することが初めの目標であった。無事に班決めが終わり、目標達成に安堵していたものの、これはまだ初めの一歩に過ぎない。根本的な解決は未だなされていないのが現実である。


「矢坂は班決めの際に、大勢の前で小夏に近づくことに失敗している。アイツはまわりを味方に付けようとして失敗したんだ。だからこそ、今度は少数精鋭かつ人目につかない場所で小夏に近づいてくるだろうと俺はふんでいる」


 班決めの日。舞はクラスメイトの前で奏斗たちの関係性を暴きつつ、それをかばうような形で周りの情を集めようとした。しかし、その作戦も想定外の奏斗の参戦により、あえなく失敗に終わっている。


 慧の推察もあながち間違っていないのかもしれない。


「そして、その戦法を取られた場合、俺たちとしてはかなり体裁が悪い」


 そう言って、慧は小夏に目をやった。その視線の意味は、他の三人にも明確に伝わっていた。向けられた視線に、小夏は「ごめん」と言って俯いてしまう。


 小夏は、舞と二人きりの状況に弱い。それは、初めて彼女が小夏に言い寄ってきたあの放課後の様子からして明らかである。まわりに助け舟を出す人がいない状況では、小夏は舞に言いくるめられてしまう可能性が高い。


「じゃあ、小夏を出来るだけ一人にしないようにする必要があるってことだね」


「はい。……ですが、それにも限界があります。ただでさえ合宿は普段の学校生活よりも自由度が高い。教師の目が届かない状況も多いですし、私だって常に一緒にいられるとは限りません」


 班活動では三人が側にいる。しかし、部屋に戻れば小夏の側にいられるのはふゆだけである。ガードが一瞬でもろくなるのだ。ふゆが心配するのも無理はない。

 しかし、慧はそのための腕時計だと言う。

 

「小夏、さっきのボタンの反対側にもう一つボタンがある。それを押してみてくれ」


「……これ?」


 慧の言った通り、腕時計には少し褐色を帯びた小さなボタンがあった。小夏が押してみると、他の三人の時計が振動する。


 >>ヴヴッ


 バイブレーションのような振動が腕を伝う。奏斗とふゆが驚いたように、自身の時計を確認すると、さきほど出現させたスクリーン上にマップが表示されていた。よく見ると、ピンがついており、その指している先は奏斗たちの現在地であるショッピングモールであった。


「このボタンは緊急事態を知らせるものだ。誰かがボタンを押せば、他の三人に信号が行き、その人物の位置情報が送られる。これを使えば、小夏はいつでもSOSを出せる」


 慧によると、このボタンは小夏だけでなく他の三人にもついているという。舞がどういう策を取ってくるかが見えない限り、彼女が小夏以外を狙う可能性も少なくはないという考えらしい。自分にも危害が加えられるかもしれないと思うと、奏斗は何だか見えない刺客に狙われているような焦燥感に駆られてしまう。


 ―できれば使いどころがないことを願う……


「ただ、このシステムには少々問題がある。連絡が例のチャットを通して行われるために、信号を出したのが誰なのかはわからないんだ」


 確かにGPSが表示されているのは、例のチャット画面だった。吹き出しにマップが表示されており、それが誰の吹き出しなのかは例のごとく知る由もない。何かと厄介なチャットシステムである。


「まあ、どちらにせよ、通知が来た時点で他の三人が駆けつけることには変わりないんでしょう? それなら別に大した問題じゃないのかもしれませんよ」


「ああ。SOSが出せる状況ってだけで私は安心できるよ」


 どこか安心した様子の小夏に皆が安堵する。しかし、奏斗はどこか浮かない顔をしていた。


「この腕時計の使用意図はわかった。でも、それとイカサマに何の関係があるの?」


 今までの慧の説明では、先ほどの『イカサマ』発言の真相がつかめない。できれば、厄介な理由をはらんでいないことを願いつつ、奏斗が尋ねると、慧はなんてことないように言った。


「合宿中は基本的に、スマホの使用が禁止になっている。恐らく携帯ばかり気にして、他との交流を避けることを危惧してるんだろう。デジタル画面の付いた時計もスマホ相当にされそうだから、こういう造りにしたんだ」


 つまり教師の目をかいくぐって、連絡手段を得ようというわけである。


 ……とはいえ、腕時計では文字でのやり取りが決まった文面でしか行えず、利便性に欠けるのだという。基本的には緊急時にのみ使うことになるため、規則違反にはならないだろうと、慧は涼しい顔で言っていた。


 合宿中も気を抜かないことを再確認し、四人はきたるオリエンテーション合宿に臨むこととなった。

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