痛みも愛すには、まだちょっとぬくい。

九良川文蔵

1.拝啓、大嫌いな君へ

庵寿あんじゅのそういうとこ本当に嫌い!」

 くだらない喧嘩で言い負かされてはそう吐き捨てて、何年経っただろう。

 僕はどうしようもなく幼稚なままだし君はどうしようもなくオッサンになった。年齢としては僕もオッサンなのだけど、君が言うには僕は気持ちが悪いほど顔が変わらないらしいし、実際老いたという実感もない。

 今も、二十年前も、もっと昔もおそらく未来も、鏡に映るのは常にただの僕でしかなく、日焼けした卒業アルバムを見たってそこに居るのは単なる僕だ。

 君がそれをどう思っているのかは知らないが、僕は今も昔も君が嫌いだ。

 年月の流れで見た目が変化するのも、かといって性格の根本は変わらないのも、好きだった煙草の銘柄が廃盤になってそこから浮浪の民になったのも、音楽の趣味が広くなっても最推しのバンドが変わらないことも。

 全部見てきた上で君が嫌いなのだ。

 今日だって君はくわえ煙草で性悪そうな顔をして、わざわざ会いに来てあげた僕に迷惑そうな視線を向けている。

「なんだよはじめ。何しに来た」

「暇してそうだから遊びに来てあげた」

「暇なわけあるかよ経営者なめんな」

「僕だって暇じゃありませーん」

 持参したディスクを君に手渡す。

「何」

「バンド、始めたの、僕。これはファーストシングルの仮音源。特別に聴かしたげる」

「マジで迷惑」

「せめてありがた迷惑って言ってくんない?」

「ありがた要素がちょっとでもあれば俺もありがた迷惑って表現したんだがなあ」

 煙草を灰皿でもみ消して、ディスクを突っ返してくる──かと思いきやそんなこともなく、特に何も書いていない表側をじっと見ている。

「お前とやってけるやつなんて居んの?」

「居るんだよねー。スリーピースバンドだけどふたりともまだ二十代です若いね」

「へー」

「ヨシマとカエデくんっていうの。ヨシマはボカロ曲作ってたからそっちで名前聞いたことあるかも」

「なんてハンネ?」

「アソウギP」

「あー『首途去らば』の」

「あれ僕歌詞むずくて分かんなかった」

「馬鹿がよ」

「うるさい。でね、ヨシマに解説お願いしたら歴史背景とか元になったり参考にしたりした史実の事件とかいろいろ喋ってくれたけど、全然分かんないの」

「可哀想」

「ヨシマが?」

「お前の頭が」

「ムカつく!」

「カエデくんとやらは?」

 君がそう話題を流すのは当然のことで、ヨシマを紹介してカエデくんには言及なしという方が無理がある。

 そして僕は君にカエデくんの存在をこそ知らせに来たのだが、しかし、口ごもってしまった。大嫌いな君の傷つく顔が容易に想像できて嫌だった。

 昨日の夜、わざと営業時間外に君が経営するライブハウスに押しかけてやろうと決意したときには、一刻も早く君に告げたかったことなのに。

「なーにをごにょごにょしてんだ、肇」

「うん、あのね、ベースボーカルなの。カエデくん」

「……」

「すごい良い子でさ、まあちょっと九九とかはギリ言えないんだけど言葉遣いとかはしっかりしてて、なんて言うの? 年上に可愛がられる才能の塊っていうか……」

 言葉が上滑りしている。

 君は思ったよりも感情を顔に出さなかった。言葉は見つけられない様子ではあるが、怒りも嫌がりもしていないようだった。

 バンドを結成すると決意したときも、それを君に伝えようと決めたときも、君が傷つくことを僕は考えていた。それを望んですらいた。

 当てつけのつもりだったのだ。

 かつて音楽を辞めて、僕を置き去りにしてどんどん変わっていってしまった君への、最大限の嫌味のつもりでこのディスクを持ってきた。

 だというのに。

 君は少し笑った。

「てことはお前またドラム?」

「またドラムですが何か」

「アソウギPの曲って過半数がドラムセット一個じゃ無理なやつだから、かなり苦労してんじゃねーの?」

「そう! そうなの! ヨシマって実際にドラム叩いたことなくってさ、今まで全部打ち込みだったからその辺ほんっと分かってないの!」

 そうだ。そのとおりだ。

 僕はまたドラムを叩く。君は二度とギターを弾かないというのに。

「……あのさ庵寿」

「ん?」

 結局僕は自分から彼の名前を出すのか。

 君から言わせて、君を傷つけてやろうと画策していたにも関わらず敗北して、自分から切り出すことになるのか。

「カエデくんはさ、クラゲとは全く声質違うし、クラゲより全然良い子だし、可愛げがあるし、なんならシンプルに歌が上手いまである」

「……ふ」

 君は肩を震わせてくつくつと笑ったのち、仰け反るようにして大笑いした。

 懐かしいあだ名が可笑しかったのか、それとも僕が滑稽で笑うしかなかったのかは判別がつかないが。しかし君は笑っている。 

「クラゲ、歌上手かったかって言うと審議だったもんな。声自体はよく通るし低くてすげえ良かったんだけどな」

「うん」

「肇それ言いに来たんだろ。そんなことだろうと思ったよ」

「何さ達観したようなこと言って」

 そういうところが嫌いだ、と口にする。

 俺だってお前が嫌いだよと返ってきた。

「庵寿だけそうやってなんにも気にしてませーん大人になりましたーみたいな顔しちゃってさ」

「そんな顔してたか?」

「ふん。してたね」

「……まあでももし仮に、お前がそのカエデくんとやらがいかにクラゲに似ているかって話をしたら、殴ってただろうな」

「グーで?」

「グーでフルスイング。顔面。前歯へし折ってやる勢い」

「ふーん」

 君はまだそれほどに怒ってくれるのか。もしも僕が、クラゲを蔑ろにしたら。

「そういえば、もうすぐクラゲの命日じゃんね」

「可哀想な頭なのによく覚えてたな」

「うるさい。庵寿なんかすんの? 地元帰るのはきついでしょ?」

「ノースマンでも取り寄せて食おうかなって。お前は?」

「あー……お花? お花買おうかな」

「ははは」

 頭を小突かれる。

「どういう嫌がらせだ、それは」

「クラゲには個人的な恨みがいっぱいなんですうー」

 クラゲは僕達のベースボーカルで。

 クラゲは花が嫌いでお菓子が好きで。

 クラゲが居たから僕達は仲が良くて。

 クラゲがもう居ないから、君は音楽を辞めて。

 馬鹿みたいな終わり方をしてしまったクラゲのせいで、僕達はロスタイムのような人生を生きている。

「まあとりあえずこれはもらっとくわ」

 ひらひらとディスクを振って、君はまた性悪そうな顔で笑う。それから僕の脛の辺りを軽く蹴っ飛ばした。

「もうそろそろ箱開けるから帰れ帰れ」

「聴いてね。聴いてよね絶対」

「聴く聴く」

 追い出されるようにして外に出て、夏の夕べに少し寂しくなる。

 クラゲに最後に会ったときもこんな感じだった。意味もなく寂しくなる夏の夕方で、なんか悲しいと口にして、君とクラゲにさんざん馬鹿にされて。

 ──楽しかったな、あの頃。

「今だって楽しいさ!」

 あらぬ思考をかき消すように声を出す。


 拝啓、大嫌いな君へ。

 僕は今も昔も楽しいよ。

 君は、どうですか。

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