八人の住人
桐生甘太郎
第1話 終わりを始める
お久しぶりです、五樹です。
端的に言うと、前作、「六人の住人」でのハッピーエンドは、人格の統合が上手くいかなかった事で、一旦お預けとなりました。
この一話では、「六人の住人」にて何が語られたのかと、今作を読む上で知っておいて欲しい、「PTSD」についての話を少し長くします。
主人格の「時子」は、二十八歳で結婚し、夫の前で安らぎを得た時、幼い頃に母から受けていた虐待が元で、「解離性同一性障害」を発症した。
初め数人だった人格は、最終的に八人になり、統合が成されたと思った所で、「六人の住人」は終わった。
ここからは、病気の詳しい説明に入ります。
解離性同一性障害とは、多重人格の症状です。多重人格とは、人格の「解離」と呼ばれる物です。
そして、それを引き起こす可能性の高い病気の一つとして、「PTSD」と略される、「心的外傷後ストレス障害」があります。時子は、PTSDの悪化による多重人格でした。
話をPTSDに移して、説明を続けましょう。PTSDは、大きなトラウマによる心的外傷により、それが過ぎ去った後も、苦痛のフラッシュバックに、度重なり悩まされるという病気です。
フラッシュバックで蘇る思い出は、人によって違います。実際に今起きている事かのように、苦痛だった記憶が映像のように見える人も居れば、記憶を思い返すかのように、恐怖や不安が蘇るだけの人も居ます。時子の場合は後者でした。でもそれは、ある意味では厄介な一面もあったのです。
昔の事を思い出して泣いている人は、よく居ます。だから、周囲から見ても「何か異常が起きている」とは察知しづらい。このような事情から、フラッシュバックを何度も起こしながら、長年放置される患者は、一定数居るそうです。でも、周囲の人を責める訳にはいきません。もし、昔の事を思い返して落ち込んでいる人が居たなら、どうしても、「もう忘れなよ」と言って慰めてしまいたくなるでしょう。
それに、鮮明に苦痛の記憶が蘇るのだって、充分過ぎる程辛いでしょう。どちらが楽かなんて、誰にも決められません。
PTSDになる原因はいくつか大別出来ますが、僕達の主人格「時子」の場合は、母親からの虐待と、学校でのいじめ、それから、友人の自殺でした。どれか一つだけでも、PTSDにはなり得ます。
ここから、少しずつ現在へと話を進めて行きましょう。
初め、僕達の存在は秘匿されていて、実際に僕達は表には出ませんでした。それは、時子が環境に安心出来なかったから。
母から虐待され続ける日々から逃れるため、家出をして母の家を離れ、優しい父と長く暮らしながらも、心の安らぎは少なかった。
でも、二十八歳で夫に出会い、結婚をして、やっと出口がやってきたのです。
僕達の主人格「時子」は、小説家志望で、腕を磨いている最中です。彼女は人に優しく責任感が強い。なので、自分は病気だというのに、少し調子が良くなるとすぐに、“家事は自分でやる”と息巻く癖がありました。
時子の夫はとても良い人で、時子によく尽くしてくれます。時子に代わって家事を全部やっても、「無理しないで休みな」と時子に言い添える余裕まである。
時子が「そんなの申し訳ないよ、自分でやるから」と言っても、夫は、「いいからいいから。具合悪いんでしょ。無理してもっと具合悪くしたら、それを見てる俺だって辛いんだよ」と言ってくれるのです。
それから、時子が落ち込んで、昔母に辛く当たられた時の話などしていると、夫は、昔の事だから知らないながらも、慎重に、時子の問題を理解しようと努めてくれました。
日々、夫は献身的に自分を助けてくれて、自分の過去の悲しみにも寄り添ってくれる。彼女はそれを知って初めて、“もう自分は脅かされないかもしれない”と、解ってくれたようです。
それから彼女は、自由な感情表現が出来るようになった。それが、“別人格の表出”という現象でもあった。
僕達は、時子が押し殺し、自分でも辛くならないように隠した、過去の感情であり、記憶です。
怒りの人格「彰」や、寂しさの人格「悠」、分析を担う僕「五樹」など、様々な感情を、時子は表に出します。ですが、時子自身はその時「眠っている」状態であり、僕達が何をしたか、何を言ったかの記憶はありません。
目が覚めてから、他の人格の話を周囲から聞かされたり、残されたメモを見たりすると、時子はいつも混乱して受け入れられず、泣いて困っていました。でも最近では、少し戸惑いながらも、事態を把握したら後の生活に戻る位の事は、出来るようになりました。
でも、よく表に出て、時子のツイッターアカウントを勝手に使っている僕は、時子にあまり良く思われていないようです。
残念ながら統合は維持出来ず、今はまだ全ての人格を抱え直す強さはなかった。でもそれは、“統合まではまだ出来ない”というだけで、時子はしっかり回復しています。
その事をこれから、日々を綴るように書いていくつもりです。
今回は長々とお付き合い頂き、有難うございました。またお読み頂ければ嬉しいです。
つづく
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