アクセルの初恋(2)
グレンダの左胸と、アクセルの左胸。
双方が心臓を向かい合わせれば、そこには二輪の
「……変わらないなあ、きみは」
上流を離れ、アクセルはグレンダの後を追うようにして、朝日がしっかりと差し込む大きな岩まで進んでいく。
身体を洗いにきたつもりが、元の用事をすっかり忘れ去ったアクセルは、隣で
「……なによ」
その視線がよほど気になったのだろう。
グレンダは結び目へ軽く触れ、つんと川水より冷たい反応を返す。
「似合わないなら似合わないとはっきり言えば?」
「とんでもない」
アクセルは
「とても似合っているよ。きみが自分で思っているより、うんとね」
「あらそう、素敵な世辞をどうもありがとう」
「世辞じゃないってば。それに、きみはどんな格好をしようが、髪型を変えようが、装いに拘らず立ち姿だけで『ああ、彼女は騎士だな』ってわかる佇まいがとっくに完成されている。なにも恥じることはないさ」
「……あらそう」
本心を告げたつもりだった。
が、岩へもたれかかったグレンダの嘆きに、アクセルは不意をつかれる。
「あなたこそ、そういう、世辞や綺麗事だとわかっていてもわざわざ口に出すみたいな、薄気味悪い話し方が染み付いてて、まったく変わり映えしていないわね」
「……ははっ、なんて言い草だよ」
笑い飛ばしながらも、アクセルはそっとグレンダの隣を陣取る。
今の、複雑にいくつもの感情を絡み合わせた顔を、彼女にはあまり直では見られたくなかった。
「そっか。……バレてたんだ」
船上で、スヴェンにもうっかり口を滑らせた本音だ。
公子としても騎士としても中途半端な有り様を晒し続けてきた自分が、せめて同じ空間で互いを居心地悪くさせないように、いつもその場しのぎで、当たり障りなく、他愛なさげな話題を選んで話すように心掛けてきた。
下ネタや色恋の話なんか、騎士学校や男ばかりの環境下ではもろに意図して選んでいる。
そういう話を自ら振ってやれば、大概の男は乗ってくると踏んでいたからだ。事実、寮では幾度もエリックや同期の訓練生たちと、夜な夜な女性の理想的な体躯で盛り上がっていた。
その度にグレンダが軽蔑するような視線を送るとともに、そそくさと歓談の輪を離れていったことも、当然アクセルは知っていたけれど。
「言葉に芯が通ってないのが、みんなにも透けていたのかな。『
足元へ目線を落とす。
弱音を吐ける機会など、騎士学校を離れて以降、どこにもなかった。もちろん話せるような相手も近くにはいない。
葬式の後、つい耐えきれなくなってメロディアには色々吐き出してしまったが、騎士の事情を深くは知り得ない妹にぶちまけたところで、ただアクセルが一人ラクになるだけでしまいだ。
ただ、思い煩っていた彼女に会いたかったという卑しい事情だけではない。
同じ『騎士』たるグレンダにこそ、長らく抱え込んできた胸の内を、すべて曝け出してみたいという欲求がアクセルにはあったのである。
アクセルが誰よりも尊敬し、騎士としての模範回答であった、彼女にこそ。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「正直、きみに合わせる顔もないくらいにね」
「公国を抜け出てしまった以上、あなたや騎士団各位に合わせる顔がないのは私の方でしょう?」
淡々と言葉を返す、グレンダの顔を、アクセルは直視できない。
どんな顔で、どんな言葉で罵られるか。あるいは、軽口でもなんでもなく、本当に彼女に失望されてしまうか。
暴露願望を持っておきながら、同時にグレンダの一挙手一投足がひどく怖かった。
「とはいえ、この私から軽々と首席を奪っていった、不届き者の言い草とも到底思えないわね」
「だからこそ申し訳が立たないんだよ、グレンダ。きみが公国を離れている間、僕は『
「そういうことなら私も同じ気分だったわよ。ボムゥル領に配属された最初の仕事が、よもやアルネ様の無くした書類探しになるとはね」
「お安い御用じゃないか、それくらい。いや、アルネ公子の管理能力には問題があるけど。僕は、そんな雑務すら、『
「へえ? よほどお高くとまっているように見えるのね、あなた。……いえ……」
思い直したみたいに、グレンダは口を一旦つぐむ。
「私も、今になって思えば、セイディやヨニー、アルネ様にすら、しばしば『騎士様』と呼ばれることがあったわ。あまり人のことは言えないかしら」
「きみはいつだって、誰からも慕われていただろう? 少なくとも僕は、きみの優秀さを妬んでいる騎士なら、まあ何人かは見かけたことがあるけど。冗談でも、きみという人間が嫌いだなんて抜かす騎士は、ただの一人だって見たことがないよ」
緩やかな夏風が吹くと、アクセルは岩影越しに、木々が、グレンダの髪が揺らめいているのが視認できた。
森とグレンダが共鳴して、ひとつになったような感覚。
「この島、きみの故郷なんだってね。機関長に聞いたよ」
「え。……ハルワルド教官が?」
「アルネ公子やタバサ嬢、いろんな人の力添えで、きみが故郷に帰ってこれたということは、つまりそういうことだろう? みんな、きみのことが好きなんだ」
グレンダの動揺が気配で感じ取れる。
自分の生い立ちを、とうとう同期の騎士にも知られてしまったと。
この身がどのようにして大地へ産み落とされたのか──なにを代償にして、出来上がった生命であったかを、知られてしまったと。
だが、アクセルは気に病むどころか、その生い立ちを羨んだ。
「やっぱり僕とは違うなあ。よほど必要とされているんだね、きみという人間は」
「……え。なによ、それ」
「だって、きみがボムゥルで目一杯可愛がられている間、僕は便宜上あるじなはずの公爵には『え、お前騎士になったの?』的な扱いされるし、団長には剣の強さにかまけて適当にあしらわれるし、メロディアやミュリエルには逆に、僕の心身を案じられる始末だ。ここ数ヶ月、騎士としての面子を保てていた試しがない」
半島に大災害をもたらしてまで、生まれた美しき命。
それほどまでに、グレンダという人間は不可欠な存在であったと。
アクセルの綺麗事をも悠々に飛び越えた解釈で、グレンダはふぅと脱力し、長い息を吐いた。
「本っ当……耳障りが良くなるように物事を捉えるのが上手ね、あなたは」
その声には呆れをも匂わせている。
「そういう綺麗事がすぐに出てくる時点で、心配しなくとも、あなただって立派な騎士よ。ええ、とても不本意だけれど」
「はは。生憎、その方便を自分の騎士道に生かせた試しもなくってさ。それで騎士団本部でも早々に居た堪れなくなって、学生気分でヴェールの皆さんと船旅に興じたくなってしまったわけさ。どうだい、笑っちゃうだろう?」
「笑えないわね、ちっとも。もしその悪運が尽きてしまえば、下手な戦場よりも海は
「なかなか骨が折れる冒険ではあったよ。なにも起こらないよりはマシだけど」
「……馬鹿は死ななきゃ治らないって、あれ真理だったのね。今からでも遅くないから、もう一度ジュビアの使い魔と戯れてくれば?」
女でありながらも男社会に身を投げ、騎士を志したグレンダ。
公子の身でありながら騎士道に惹かれ、騎士を演じようとしたアクセル。
どこか似た境遇を有し、己が理想郷を騎士の世界に求めてきた二人。
淡々と、二人にしか形成できない空間および時間が、朝の森で穏やかに積み上げられていく。
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