燃ゆる帝国と炎の革命(4)
セイディに返事したのはアルネでもグレンダでもなかった。声がした方角、部屋の窓際からビュウと生暖かい風が吹く。
窓はさっきまで閉まっていたはずだ。入室の折には何度もグレンダが確かめたのだから。
しかもここは二階。人の声が聞こえてよいような高さではない。
だが現実には、どこかで聞いたような甘ったるい声と共に、その見てくれを忘れるべくもない女が、開いた窓のふちで優雅に腰掛けている。
女が両手に抱え込んでいたのは、こんがりと揚げていそうな棒状のパンを何本も詰め込んだ紙袋。
『雨の魔女』ジュビア。
幾度となく公国を混乱の渦に沈めた憎き災厄を、アルネもグレンダも忘れるはずがなかった。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「貴様……!」
真っ先に動いたのはグレンダだ。
決してジュビアをアルネに近づけさせないよう間に割って入り、床へ置いていた剣を抜いたあたりで。
「なんて言ったんだ、今」
ジュビアに聞き返したのだろうか。アルネが真顔のまま、
「エスニアが安全だと言い切る、きみの根拠は?」
「魔女と口を利くのはお止めください!」
グレンダは思わず叫んだ。
ついさっきセイディの大声を諌めようとしていた、自分の立場をすっかり忘れている。
「アルネ様、この女はとても話の通じる相手ではありません」
ジュビアは平然と、三人の目前で持ち込んだパンを口に運ぶ。
子どもがお菓子を頬張るみたいに、大口を開けてもっしゃもっしゃと食べている様子を、アルネはやはり真顔のまま眺めていた。
彼女の登場に一番驚いていたのは、声も上げられなかったセイディかもしれない。
「あたしたちを尾行していた? ……いえ、だとしてもどうやってここまで……」
「今更驚くものか」
アルネは誰よりも冷静だったのだ。
ボムゥル領やイース城で受けた屈辱を忘れているはずもなかったが、
「イースでも神出鬼没だったじゃないか。『魔女』をわざわざ名乗るような女は、僕の魔法をも貫通する偉い奴ってのは、もう嫌というほど思い知ったよ」
あまりにも図太くふてぶてしいアルネの態度に、グレンダもセイディも面食らってしまう。
彼らしいといえば彼らしいが、あまりに物分かりが良すぎて、少しばかりアルネの将来が心配になる。
「うふふ、やっぱり素敵な公子様」
ジュビアも姿を現してからいたく上機嫌だ。
一本パンを食べ終え、唇についた粉をのんびりと指で拭う。
「あたしねぇ、昨日はエスニアからこっち来たの。普通にそこら辺の馬車で。今日もすぐ帰るけど、あなたたちも一緒に乗っていく?」
「愚弄者。たとえ世迷言であっても、それ以上ふざけるなら今度こそ斬り捨ててやる!」
衝撃的なことを口走るのでグレンダは再び激昂した。
剣先をジュビアへ向けた、その手首をアルネは強く握る。
「──っ、アルネ様!?」
「
グレンダは耳を疑う。話を聞く? この女から?
彼はあくまでも、帝国内外で誰よりも信用ならない相手から情報を引き出すつもりなのか!?
「きみも聞いたろうグレンダ。事もあろうか国を行き来していると抜かしやがった」
「そ、んなこと……まさか、女の話を鵜呑みにするおつもりですか!?」
「話半分に聞けば良いよ、僕も信じてないし。ただ、でかい口を叩く奴は時々、僕たちの発想が及ばないようなことを言う場合だってあるんだ」
アルネの主張は、すでにグレンダの発想が及ばない領域まで至っていた。
グレンダもセイディも武器を持ったまましばらく頭を悩ませていたが、
「ね、お腹空いてるでしょう。あなたたちも食べない?」
床へ音もなく降り立ったジュビアが、紙袋をわしわしと揺さぶる。
粉砂糖をまぶした棒切れから、ほのかに甘い油と小麦の香りが漂ってきて、その良い匂いがグレンダたちの脳をも大きく揺さぶった。
「『チュロス』っていう名前なの。そのエスニアでパン屋さんに寄ってきたから。分けてあげる」
「へえ、魔女の
「もちろん」
むしろ、戦いよりも団らんをするために来たと言わんばかりの甘い笑顔で。
「お友達の大事な人からのお願いであれば、なんなりと」
ジュビアはあくまでも、終始睨みを利かせたグレンダを友達呼ばわりすることで、いっそう彼女からの怒りを買いたいらしい。
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