第8話
ミランダの事情は気になるが、そうばかりも言ってはいられない。高校に入学してから初めての定期試験の時期になった。
この学校は、中等部から高等部への持ち上がりに特別な試験などは必要ない。それは進学するのが簡単という意味ではない。いわゆる進学校というやつで、生徒たちの学力が高いのだ。それゆえ偏差値も高く、編入試験では苦労した。
きっと中間試験もレベルが高いのだろう。周りと違って俺はこの学校の試験にも慣れていない。普通初めての定期試験となればもう少し慌てるやつもいそうだが、中等部での経験が彼らに余裕を生んでいた。
せめて赤点は取らないようにしよう、と苦手な理系科目を中心に勉強に励む。その甲斐あって、試験中にひどく絶望するようなことはなかった。
中間試験2日目の放課後、俺は1度家に帰ったにも関わらず、もう1度学校に足を向けていた。日本史のワークを教室に忘れてきたのだ。ノートも教科書も家にあるからなくてもいいのだけれど、念のため持って帰っておきたい。
幸い中間試験は明日で最後だ。気持ち的にも余裕がある。人気のない廊下を歩き、自分の教室の前に立つと中から話し声が聞こえてきた。大方生徒が残って勉強会でもしているのだろう。
「ね、能登山くんってさ」
談笑しているクラスメイトたちのいる場に入るのは気まずいな、と悩んでいると、突然自分の名前が飛び出して驚いた。中から漏れ聞こえる声だけでは誰が話しているのかはわからない。それでも俺はそっと聞き耳を立てる。
「あいつと付き合ってんのかなあ」
その“あいつ”が誰のことをさしているのかは、考えなくてもわかった。俺が学校でそんな話をされるような相手なんて、1人しかいない。俺の脳裏には、ミランダとそのクラスメイトの顔が浮かんでいた。
「いやー、能登山くんあれだしなあ……」
と言うのは、おそらくうちのクラスの女子だ。聞き覚えのあるような声な気もするが、誰かなんてわかりたくはない。
「でもさ、あいつのことだしあり得るかもよ」
明らかに嘲笑を含んだ声で女生徒が言う。一体何が面白いのか、彼女たちは下世話な笑い声をたてていた。俺はそっと、足音を立てないように教室を離れる。もうワークなんてどうでもよくなってしまった。
心臓がばくばくと音を立てている。怒っているのか、悲しいのか、悔しいのか、自分ではわからなかった。しいて言うなら、そのどれもがごちゃ混ぜになっている。
あんなやつらに、俺らの何がわかるんだと叫びたかった。けれど言えない。それがどうしようもなく情けない。
俺が普通の格好をしていたら、あんなふうに言われることもなかったのだろうか。みじめな気持ちで教室にいることもなかったのだろうか。
誰もいない下駄箱で靴を履き替え、外に出る。雨が降りそうだった。生ぬるい風がスカートから出た素足を撫でる。鎖骨のあたりまで伸ばした髪が視界を邪魔した。ふわふわ舞うそれを手で押さえ、足早に学校を離れる。
どこか遠くに行ってしまいたかった。誰も俺に興味を持たない場所に。今だって、誰からも見られていないと思っていたのに。
ぐっと唇を噛む。そうしていないと、涙が出てしまいそうだった。道に八つ当たりをするかのように、ローファーのかかとを鳴らして歩く。中途半端な時間だからか、誰ともすれ違わない。
家に着いても勉強はちっとも捗らなかった。きっとワークを持って帰ってこられていても、開くことさえしなかっただろう。翌日のテスト用紙は、昨日よりも余白が多くなってしまった。
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