第2話 おっさん、奮闘する

 先ほど助けを求める声を上げ、一見……襲われそうになった頭巾フードの女が約30メートルのところまで迫る。


 亜人種……半エルフエルヒールか?


 頭巾フードのすき間から僅かに見えた特徴、半エルフ特有の長耳でその女の種族を捉えた。


 武装は……腰差しの短剣のみ。

 10メートルの距離まで半エルフが近づいた。


「止まれ!! ……お前の所属はどこだ? あの刺客どもの所属も言え! 答えなければ、即座に撃つ!!」


 威嚇……さぁ、どうでる?

 毒の塗った暗器でも投げてくるか? それとも……。


「援護を申し出ます!! わ、私はエレンディラ皇国第三皇女、サラ=アデライード=エレンディラと申します!! あの者たちはハンザ共和国へと外交に向かう途中、我々を襲撃してきた刺客たち……所属は不明ですが、今回の外交を快く思わなかった者が差し向けた暗殺者だと考えます!」


 半エルフの女はこの状況でも毅然とした声と振る舞い、さらに気品を感じられる流れるような所作で――、はっきりと返答した。


 エレンディラ皇国……以前、交易で何度か赴いた事がある。シノン村が属しているファルス・スタンレー共和国の隣国だ。建国から数百年間、ハーフエルフ種のものとしては唯一、現存している国家。語っている所属……いや、この場合は身分か?


 ――確かに、そこの第三皇女と同じ名だ。


 そして……行為――これはエレンディラ皇国特有の貴族階級が行う簡易式礼である。

 襲われている最中、流れるように行われた所作の練度からして、とても付け焼刃の振る舞いには見えなかった。


 簡単に見えるが、一連の式礼の所作ひとつ取っても……それは社交界では品位を示す重要な行為だ。

 地方領主や、豪族・貴族などともこれまで何度か顔を合わせてきた事はあるが、その爵位や立場が上がるほど、そういった所作の品位に歴然とした差が出る。……無論、中には例外もいるがね。


 この皇女を名乗った者にも、数秒ほどの返答と礼節の中に――確かな王族クラスの品格を感じた。


 ――この辺りに出てきたという事は、ドルドレイ城砦の関所を経由して【空中庭園街道】を抜けた先にある……最近、エレンディラ皇国と経済協定の話が進んでいると噂されているハンザ共和国への外交特使……という事ならば、ここに存在する辻褄も一応、合う。



 ……いざとなれば――出来ることなら使いたくはないが――これまで何度か窮地を脱するために使用してきた『呪物』も、念のため腰に差している。



 いったん今は、その襲ってきた刺客とやらに注意の優先度を上げることにしよう。まだ、完全に気は抜けないがな。一流の諜報員や工作員ならば、そういった所作の類に関しても完璧に振る舞うことは可能である。


 ひとり欠けた状態からすぐさま四名陣形フォーマン・セルに移行し、統制が取れた動きで射程距離20メートルの所まで刺客達は迫ってきている。


 歩法を見るに……暗殺を生業とする使い手なのは、確定だな。チラチラと隠形術もさっきから使ってやがる。そこらの野盗なんぞと比べ物にならん動きの練度だ。だが……。


 音もなく、出どころすらも分からないナイフが飛んでくる。気配絶ち……隠形術の一種だ。

 しかし、それが来ることを予測していたように銃身で弾く。


 相手の力量を計るための牽制がてらの攻撃――その戦法は。そしてさすがに、連発式小銃相手は分が悪いと判断したか。撃たせる前に距離を詰めて殺る気だな。ならば――こちらにもそれなりに事前策は用意してある。



❖❖❖❖❖



 突然、幌の中に逃げ込んだ壮年の男を見て、暗殺者達は瞬刻、躊躇いを見せながらも荷台の幌へとナイフを乱れ投げた。

 しかし本来、馬車の幌など易々と抜ける筈のそれらは、悉く弾かれてしまった。


 激発。弾薬が爆ぜる音が、攻勢に出たために生じた刺客どもの僅かな間断を突いて鳴り響いた。《ガァンッ!!》 大口径の弾丸が撃ち出されたその出どころは幌の中だった。積荷の影に潜んでの狙撃。


 皇女を名乗る女、リアム……その位置を、もうひとつの要素――つまり暗殺者ども――を加えて三角形の直線ラインで結んだ際――お互いへの距離が、最も近かった暗殺者の頭があっけなく弾け、吹き飛んだ。


 定石の戦法。遮蔽物を活用して姿をくらましつつ、有利な場所から件の女と彼に距離が近い刺客から、確実に狙撃で仕留めていく。


(戦力は己のみ……攻撃対象の優先順位を間違えればそこで終わりだ)


 眼前で容易く命を散らした刺客の無残な姿に、皇女の表情が少し強張った。


「ちぃッ!!」


 布陣の真ん中に居た暗殺者が悪態をつきつつ、残り二名の仲間に指示を出そうとする。その動きから見て……どうやら、こいつがこの徒党の統率者だと彼は目星を付けた。


 三発目の銃声が響いたのは馬車の底面からだった……車輪の隙間から暗殺者のひとりが片足の膝を正確に撃ち抜かれる。

 伏せ撃ちプローンショット。すでにリアムは狙撃位置を変えていた。


「ッッ!!」


 覆面をしているからか、暗殺者故の訓練の賜物か、膝を銃撃で破壊された暗殺者は声を上げなかったが、地面に崩れ落ちて激痛に悶絶している。



(残るはあとふたり……)



 一対多数の会敵では、圧倒的力量差がない限り、機動による撹乱と迅速な攻勢に力点を置いた電撃戦しか勝機はないことをリアムは理解していた。もはや単純な狙撃に対しては警戒を強めているだろう。即座に戦術を切り替える。


 間髪を入れず今度は、馬車の後ろから袋詰めの球のような物体を三つ取り出し、そこから数センチほど飛び出している細縄――導火線を金属製の点火器具によって次々と瞬時に着火させ、刺客達と皇女を名乗る女の居る場所に放物線を描くよう投擲した。


 それは地面に触れる寸前に少しくぐもった音とともに爆ぜ、大量の粉塵をばら撒いた。


 手製の発煙弾――灰色の濃煙が一斉にあたりを包み込む。


 煙の展開と同時に、リアムは馬車の荷台に積んでいた木箱の蓋を盾代わりにして、小銃の銃床ストックを脇に挟みながら視覚の効かない煙の中へ突っ込んだ。


はやはり効かないが、すでに全員の配置は覚えた。最後尾の刺客――奴に俺は見えていないはず……当たれ!!)


 煙幕の中で記憶を頼りに、そこに居るであろう暗殺者の胴体回りを狙ったリアムの片手撃ちは、幸い……その肩口あたりに直撃したようだ。

 回転する小銃ライフルの弾丸がバキバキッ! と骨を砕きながらめり込んだ微かな音、視界が塞がれた状態で狙撃され、さすがの暗殺者も「ぐぁッ!」と声を上げたことから彼は命中と判断した。


「全員動くなぁッッ!! 動いた奴から頭が吹き飛ぶぞ!!」


 リアムは木箱の蓋を地面に捨てながら、残り一発しか残弾のない小銃を振りかざして叫ぶ。


 木箱の蓋には二本、ナイフが刺さっていた。互いに視界不良の状況下で、命の奪い合いが繰り広げられていたのだ。


 灰煙が徐々に薄れ、人影が見える程度に視界が露わになった。


「貴様が頭か!! エレンディラの皇女を狙うとは良い度胸だッ!! そこの死体の様に脳漿ぶちまけて無様に死にたくなけりゃあ、何処の手の者か吐けば見逃してやる!!」


**


 ――これは嘘だ。暗殺組合アサシンギルドの構成員ならば依頼人の名を吐く筈がない。

 そんなことが外部に漏れたら組織の信用は失墜し、瞬く間に暗殺組合アサシンの利用価値は失われ、瓦解する。


 そして、こいつらをここで逃がせば……必ず自分は近いうちに暗殺される。それが暗殺や諜報を生業とする裏組織イリーガルグループの『掟』というものだ……ならば、見逃すことは出来ない。


 投降――が、一番有難いのだが……こんな脅しに屈せず、暗殺者ならば死兵となって皇女を殺そうとするだろう。

 狂信的洗脳。己の命より任務を優先するほどの……それこそが暗殺者アサシンという存在の、最大の脅威である。


**


 無傷の刺客……おそらくさきほどの挙動から見て徒党の統率者であろう者から、皇女を名乗る女までの距離は7、8メートルほど。

 対して彼は女と刺客そいつらに対して、均等に10メートルほどの位置を取っている。


(最悪なのは、皇女というのが芝居でこいつも別組織の非合法諜報員だったり、ということだが……その場合は現在、死地に一番近いのは自分だ。最後まで気は抜けない)

 ――それゆえの位置取りだった。


(弾は裸で三発、上着の隠しポケットに入ってるが……再装填リロードを許してくれる時間は、くれんだろうな。隠し銃は半長靴ブーツに仕込んでいる。だがこいつは至近距離じゃあなきゃ殺傷能力は期待できない……ここからは博打だ)


 内心生きた心地のしないまま彼は、その動揺を表には決して出さず殺伐とした表情ポーカーフェイスを装いながら、刺客に銃口を向け続ける。一方で、皇女を名乗る女と絶命を免れている二人の手負いにも気を配る。



 発煙弾の煙幕が晴れた……さっきまでとは一転した静寂を迎える……。


 膠着。次の行動がおそらく雌雄を決する交錯になる。故の、極限に張り詰めた静かなる探り合いが水面下で行われていた。洞察力が明暗を、生死を分ける睨み合い。



 リアムが叫んでから数秒しか経っていない筈だが、とんでもなく長い体感時間を彼自身は感じていた……汗が一滴、頬を伝って地面に落ちる。


 瞬間――徒党のリーダーがふと、笑った気がした。

 覆面で目だけしか見えないが、それは……覚悟を決めただった。


(馬鹿、野郎……)


 解っていた。

 それでも……彼の内に込み上げたのは、在りし日の哀しき投影から来る感情であり、言い換えれば同情の念でもある。



 刺客が己の命を顧みず最短、最速の動きで女に投げナイフを懐から抜き放とうとした刹那――冷徹に頭を撃ち抜く銃声が、野路に響いた。


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