第一章『辺境経済協定・不可視の梟』編
第1話 遭遇
――今よりも、遥か昔か、未来の世界――
エーン・ソーフ
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(やっぱり、またか。やれやれだな……)
壮年の、少し白髪の混じった銀髪と無精ひげの男が幌馬車の御者席でため息をつきながら、二頭の大きな荷馬を制した。
のそりと、年季の入った皮革の半長靴が地面に着く。肩からぶら下げた
だが纏っているのは、一般的な物より全体的にやや厚手ではあるものの、大衆向けの
衣装の刺繍は控えめで配色も薄墨や褐色の地味な目立たない見た目だが、左胸には
壮年の商人……リアム・ローンツリーは渋い表情で何かを思索しているようだった。
何故ならこれから交易へと向かう目的地……地方都市マガフへと続く、山間の交易路が落石で塞がれていたからだ。
この道を通過出来ないとなると、マガフへ向かうには遥かケルビ山から流れる河川沿いのルートを選ぶしかない。
それはつまり、二日ほどの遠回りを強いられるということだ。
(落石の具合からして、落ちたのは昨日か一昨日か……)
もう交易商人として十数年のキャリアを持つ彼は、周囲を見渡してこの
(……幸い、日持ちのしない作物なんかを積んでいなくて良かったな)
商人として、商品を届ける前にものが傷んで無価値になってしまうというのが一番の痛手だ。今回はその心配もなく、不幸中の幸いと、二日余計に時間をつぶす羽目になるその面倒くささを天秤にかけ……やがて考えていても仕方ないと手元の地図をあらためて一瞥した後、この地方一帯の特産品のひとつである
空を見上げる。今は雨期ではないが雨が降ったら河川の道は使えなくなる。
たなびく入道雲がどこまでも続く晴れ空の下、直近に雨が降ったのはいつだったかと葉巻の煙をくゆらせながら思い出し、復路は雨が降るかもな……と、培った経験則が勝手にリアムの頭を働かせる。
天候次第では、マガフ近郊にある村々のいくつかに立ち寄って地道に行商をしたり、狩猟や採取をして時間を潰すか……と考える。
とりあえず、大きな問題はないな。彼はそう判断して手綱を握った。
紫煙を口からゆっくりと吐いてはまた、葉巻を咥えて荷馬たちをカッポカッポと走らせる。
辺境の野路は、大都会の舗装路と比べてしまえば田舎臭い不便な道だが、リアムにとってはもう随分と長いあいだ慣れ親しんだ道であり、道端に咲く野花や、食用や薬に使えそうな野草がどこそこに茂っていないか、そうした目で景色を見ていれば退屈は感じなかった。
それでも暇を持て余せば、葉巻やワイン、あとは自宅の蔵書からいくつか持ち出してきた本でも読みながら器用に二頭の馬を走らせる。
二頭の名前は、栗毛のほうがガーベラ。
元々、軍馬だった親馬の子たちだ。先代の馬は寿命を全うした。
子を五頭残してくれたので、そのうち最も優秀だったこの二頭を二代目に、あとの三頭は自宅があるシノン村の自警団に彼は託した。
どの子も優秀な馬たちだったので荷馬の選定はかなり悩んだが、託した三頭の馬たちも村で活躍している。
ガーベラとスウォンジの尾を優しく、席から少し手を伸ばしてリアムは撫でてやる。
尻尾を動かさないと言うことは喜んでくれたのかな? と、挙動で彼は馬の感情を判断する。
二頭とも一緒になって肯定の意思表示か、ヒヒーン……と小さく
仔馬の頃から調教に手がかかることもなく、リアムが鞭を打たずとも口笛や手綱の機微を読み取って臨機応変に動いてくれるのだ。
害獣に恐れをなすこともない勇敢さも併せ持ったリアム自慢の愛馬たちだ。いざという時のために、鎖を仕込み金属片を多数張り付けた硬皮の馬鎧を着込ませ、鞍と
カッポカッポ……その自慢の二頭の蹄が軽快に響くたび、尾根がフサフサと揺れるのが愛らしい。
(しかし、参ったな。ここ最近……この道を通ろうとするたびに三度に一度はああやって塞がれちまう。戻ったら村の若い衆に呼び掛けて落石防止の補修工事をしなきゃならんな……)
葉巻を味わいながら、少なくとも商人にとって今後の死活問題になる交易路への対策を、彼は思案していた。
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ふいに――
幌馬車の進行方向、200メートル先あたりの茂みが
常人ならば……植物や土石が雑多に混在する野路で、景色に埋もれてしまって気づくことのない、わずかな動き。もし見つけたとしても、一般の商人や旅人ならばその原因が何かは瞬時に判断できない。
風だろうか? 小動物? 人や……もしかして、害獣の類か?
彼にそんな逡巡は微塵もなかった。リアムはすぐに手綱を操って馬たちを減速させる。何故ならあの揺れ方は――
嫌な予感がする……大抵、こういう時に限って
御者席の前面を開いて、
両手に握られているのは、硝石と硫黄が入手可能で、その原材料から成る物質を活用できる科学力を所持していることが絶対条件の武装だった。
つまり、【
連発式の
そうしながらも上下左右360度全てに彼は知覚をフル動員させる――あれが
(野党の類なら
生い茂る草葉を最小限に掻き分けながらも全速力……にも関わらず走る足音は小さい。枝が折れる音も聴こえてこない身のこなしの確かさは、実力者だとリアムに確信させる理由として十分だった。
だからこそ、彼は茂みの動きの不自然さに気が付けたのだが。
音の主、翠色の
全身を観察すれば、
銃身は微動だにしない――妙な気配があれば即座に撃ち込む。
そのすぐ後に茂みが大きく揺れた……五人の徒党が間髪入れずに飛び出してくる。
一見すれば女性を襲う野盗か何かだ。
しかし、『そう油断させて』の女野盗を使った、劇場型の追い剥ぎもあり得る。
そうやって錯誤に陥った挙句、不意打ちを受けて死んだ者達を彼は幾人も知っている。野党も馬鹿ばかりではない、ということだ。
女性らしき人型がこちらに気づき、声を上げた。
「はぁはぁ……ッ! そこの御方!! どうか……助太刀、願います……」
人間の声だが……害獣の一種、
リアムは一切油断せず、微動だにしない。
徒党の一人がそれに襲いかかった。
正規の兵装ではないが、野盗や山賊とも違う特異な出で立ち。
更には、視認するまで彼はその五人を察知出来ていなかった。少なくとも隠密行動の技術は手前の女らしき存在より上の徒党である。
ある意味で一番厄介な相手……そう、リアムはそれを
まさか――
(ちっ……)
噛み締めていた葉巻を吐き出し、引き金を絞る。
撃鉄が雷管を叩き、《パガァンッ!!》 と、
暗殺者らしき黒ずくめの者は、全身に痙攣を起こした後……その場に倒れた。
倒れた刺客の心臓部に
一瞬の判断、躊躇なき射撃ではあったが、彼にとっては苦渋の決断だった。黒色火薬特有の燃焼後に生じる派手な白煙の中で、彼は表情には決して出さなかったが、
どこぞの国や貴族の
「……!!」
他の刺客は一瞬驚いたような挙動を見せたが、すぐさま陣形を組みなおしてリアムを排除すべき脅威であると認識したようだ。
援護はしたが、まだ到底油断は出来ない。暗殺者らしき残り四名の集団と、それよりも先んじて向かってくる女型の何か以外の気配は……今のところ感じない。
弾倉にはあと五発。
その使い道が定まり切っていないまま――リアムの心中などお構いなしで状況は急転していく。
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――今よりも、遥か昔か、未来の世界――
エーン・ソーフ
紫海神の月、下旬の頃……
これは、死を逃れてしまう男の、過去を乗り越える物語――――
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※設定集(原案)
<交易商人リアムの使用武装情報>
◆
――
手動コック式ハンマー・レバーアクション方式
装弾数:6発(バット・ストック内部管状弾倉・改造型)
有効射程距離:約150メートル
全長:約1メートル 重量:約3.5キログラム
口径:約50口径 ライフリング:6条右回り
使用弾丸:金属薬莢製ラウンドノーズ弾(黒色火薬量:約3グラム)
正式名称:ニコラ式
製造者:レマット・デュモリエ
実在する
銃上部の
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