ご令嬢は真紀の話に耳をかたむける

返り桜

第1話

 侯爵の娘、エリー・ベルト・フォン・フェルセンは浴室で綿の肌着を脱ぐと、大理石の浴場に入って水を浴び汗を流した。

 大理石の白と見まがえるほど美しい肌は、水を弾き、長い黒髪を艶めかせる。

 広い室内には観葉植物や噴水があった。大浴場の広さだが、エリー以外の人影はない。

 これほど広くする必要はなかったと、エリーはいつも思うのだが、父が疲れを癒すことにこだわった結果だった。


 朝日が天井のステンドグラスから入り、石畳をアゲハチョウのように彩る。

 ふと、そのさきの噴水の水しぶきに目をやると、だれかが映っていることにエリーは気づいた。


「だ、だれだ……!」


 人影は左右に動き、明らかにエリー本人ではないことが分かった。


「ここは、フェルセン家の浴場だぞ!」


 男勝りのエリーもさすがに胸をはだけた状態で対峙できず、その場でしゃがみ込み噴水とは逆の方を向いた。その場から逃げなかったのは、どんな者であろうとフェルセン家の敷地に勝手に入る輩は成敗しないといけないと、父ゆずりの負けん気があったからだった。


 すると噴水から声が聞こえる。まるで舞踏会場のようなホールに響く声だ。


「あ、あれ! もしかして、繋がった……!?」


 若くたどたどしい、女の声が響く。


「もしかして、貴方は……エリー・ベルト・フォン・フェルセンですか?」


 女の声は震えて、動揺していた。エリーは濡れた横髪をかきあげて、噴水の残像に目を凝らす。

 ステンドグラスの光のように、鮮やかな服を身にまとっている女の子が、女神のように宙に浮いている。


「お前はいったい何者だ! この無礼者!」


 エリーが怒るのは当然で、この時代の観念上、裸を見られることは一生だれとも婚約することができなくなることを意味している。政治に関わる家系であれば、なおさらだった。貞操という観念が、武器になる政治の世界に、エリーは身をおいていた。


「も、申し訳ありません。まさか、風呂に繋がるなんて……。私は、あなたの本を読んでいる真紀と申します」


 眉間に皺を寄せるエリーは、目の前の美しき亡霊が実体であれば、裸など気にせず、殴りに行っていた。


「真紀……、そんな名は知らん!」


 その時、微かに稲妻のような光が噴水から飛び出し、真紀と名乗った亡霊が消えかける。


「え、うそ! もう切れかかっている?! エリー様! 私、あなたの大ファンなんです! その男勝りな強さと、どの姫君より美しく整った顔! 本では悪女役ですが、私は本当のあなたを知っています」


 太陽の光を雲が遮り始め、地面のアゲハチョウは光を弱める。浴場全体が暗くなり、エリーはどこか冷え冷えとした空気を肌に感じた。


「どうしても伝えたいことが――」


 エリーは真紀の話に耳をかたむけた。


***


 噴水は光を失い、真紀はもう二度と現れないとエリーは直感した。

 体を起こした瞬間、浴室のガラス戸が勢いよく開く。

 甲冑をきた兵士が五人ほど浴場に押し寄せてきた。

 白い大理石は泥まみれの兵士の靴で茶色に汚され、帷子かたびらの錆びた臭いと外気がエリーのもとまで漂ってくる。


 観葉植物の大きな葉をちぎって、エリーは肌を隠すと、帯剣した兵士の喉を叩いて横転させる。


「お前らは何者だ! ここをどこだと心得る!」


 泡を吹いている倒れた兵士をみると、続く兵士は立ち止まった。


「我々は第一皇子、カルロス様の命令であなたを国外追放するためにきました」


 国外追放……エリーは愕然とした。その言葉に心当たりがあった。

 噴水をみやると、このことを予言をした真紀という亡霊の姿はやはりもうない。


「理由は」


「……淫猥な行為により、貴方が魔女であると賢老議会で認定され、国外追放の罰が妥当という判断になりました」


 『認定』とはバカバカしい。賢老議会には権力者にへつらう、耄碌した老人しかいないことをエリーは知っている。そしてエリー自身が、第一皇子カルロスの反感を買っていることを薄々知ってはいた。


 カルロスには溺愛する妹がいる。

 その妹とエリーは同じ学年の士官学校に通っており、同じ教室で学んでいた。


 この国は他国と戦争をしており、王や貴族の女性であっても、戦や軍に関する基礎的な知識を学ぶことは、婚姻後に使用人を扱う上で必要な知識であった。

 エリーは男勝りな性格ゆえに、カルロスの妹をフェンシングの試合でコテンパンにし、それ以来カルロスの妹はフェンシングに対してトラウマを持つようになっていた。

 カルロスの妹も負けず嫌いなところがあり、様々な競技でエリーに挑むが、すべて返りうちにするエリー。学園内で、もはやエリーに歯向かうものはいなくなる。


 しかし才色兼備なエリーを陰で悪女と嫉妬する者も現れ、あらぬ噂も流れるようになっていったのだった。


***


 エリーはタオル一枚に身をくるみ、街道を歩かされていた。

 肌を見せれば婚姻相手はいない。そんな時代に、綿の織物一枚で昼間の市場を馬に引かれ罪人として見せしめにあう。

 エリーは涙が流れた。両手を縄で結ばれて、馬に引かれているので、きちんと拭うことはできなかった。

 学園で最も美しいと言われた黒髪は波をうって、街道の子供が魔女だと指さす。


 町が丘から見えなくなるまで裸足で歩くと、馬が停止した。

 兵士が下りてきて、エリーの首を掴むと道端に押し倒す。


「……俺の妾にしてやろう」


 なんでこんなことになったのか。

 私は何も悪いことはしていないのに……。兵士はエリーを隠す布切れを奪おうとして手を伸ばす。

 エリーは両手の縄を兵士のクビに巻いて、締め上げると、縄に手を伸ばす隙に股間を蹴り上げた。


 兵士はまるで石像のように膠着し倒れて失神した。

 縄を外すと、手首が赤黒くうっ血している。

 おさえると、痛みが肩まで上がってきた。エリーは兵士から服と剣を奪い、街に戻る。


 真紀が言っていた、第二皇子セナのもとへ。

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