第195話 余






 余は、ある森の一族を束ねていた。


 その森はさまざまな種類の木々が林立し、その間には生命に満ちた植物や動物たちが息づいていた。


 高い木々は空へと伸び、枝葉が太陽の光を遮ることなく差し込むように設けられている。

 そこから差し込む光は、地上に降り注ぎ、地面を照らし出す。

 それによって、森の床にはさまざまな草花や低木が茂り、彩り豊かな景色が広がっていた。


 鳥たちが木々の上で賑やかにさえずり、小さな動物たちが地面を駆け回っている。

 時折、木々の間を蝶々が舞い、花々の香りが風に乗って広がる。

 清らかな川や小川が森の中を流れ、その水音が森の静寂を彩っていた。


 そんな平和な森に余輩――我らは暮らしていた。

 時折やってくる、よそ者の魔物を追い払い、森の恵みを享受し、森とともに生きる。

 そんな日々が続いていくものだと思っていた。




 森が焼ける。

 暴れる炎が森を包み込む。


 燃え盛る火は木々を一つ一つ襲い、炎の舌が上へと舞い上がる。

 その光景は地獄の門が開かれたかのようであり、森の生命が焼き尽くされる悲劇が目の前で繰り広げられていた。


 動物たちは火の海から逃れようと必死に足を動かす。

 鳥たちは空に舞い上がり、悲鳴を上げながら翼を広げ、その炎から逃れようとする。

 しかし、炎は彼らの生息地を次々と飲み込んでいき、彼らの避難先も燃え尽きる。


 余の世界が壊れていく。

 焦げ付く臭いの中、逃げ惑う仲間の様子を見ながら助かる術を探す。

 炎は容赦なく迫ってくる。

 草むらや低木は瞬く間に炎に包まれ、隠れ場所も失われていく。


 森の中には、炎の光と煙が立ち込め、熱風が木々を揺らす。

 その中で余輩――我らは追い詰められ、絶望の淵に立たされていた。

 焼け落ちる木々の倒れる音が響き渡り、その音に混じって動物たちの絶叫が空に響き渡る。


――全てを救えないかも知れないが、それでも救うのだ。

 余は倒れて動けない者を助け、逃げ遅れている者に火の回りが遅い箇所を教えて回った。


 チリチリと熱気が余の毛皮を焦がしてくる。

 狂ったように襲ってくる火を睨みつける。

――これではこの森はもう駄目かもしれない。

 弱気になりそうな自分を叱咤し、仲間を誘導する。


「はっはぁ! こんなにいやがったか! こりゃあ間引きが必要だな!」


 余輩――我らの前に立ちふさがったのは、燃え盛る火に照らされた黒い二足歩行の狼だった。


「ガイシャリ、さっさと終わらせるぞ」


 さらに後ろから現れたのは気怠そうな褐色で長い黒髪のエルフらしき人物だ。


「ミルヒダーズ、そんなこと言ってもよぉ、ちったぁ楽しまないとな!」


――なんだ……こやつらは……

 余は驚きのあまり、動きを止めてしまった。


「っらぁ!」


 !!!

 黒い二足歩行の狼は余輩――我らを殴りつけた!

 手当たり次第に火の中に仲間が吹き飛ばされていく……。


 余は、余は、怒りで目の前が真っ赤になった。

 徐ろに脇の下の収納から剣を引き抜く。

 勢いよく飛び上がり、何回転も前転しながら勢いをつけて黒い二足歩行の狼――ガイシャリと呼ばれる者を斬りつける!


 ガキィン!

 ガイシャリの長い爪に阻まれた。


「はっはぁ! 威勢のいいのがいやがるなぁ!」


 ガイシャリはニタリと笑みを浮かべると、余を前蹴りで突き放した。


「そちらは任せた、ガイシャリ。こちらの処理はやっておくぞ」


 余がガイシャリと打ち合っている間、褐色で長い黒髪のエルフ――ミルヒダーズは余の仲間を次々と衝撃波で火の中に吹き飛ばしていった。





 ……どれくらい打ち合っただろうか? 余は怒りと、この火が荒れ狂う空間で時間の感覚がもはや無かった。

 気がつくと余はガイシャリに打倒され、地面に倒れ伏していた。

――みな、すまない……


 余は、怒りと悔しさと不甲斐なさで心がグチャグチャになっていた。手に持つ剣も半ばから折れ、まるで今の余のようだ。


「ははっ! 頃合いかぁ?」


 余はにじむ視界の中、ガイシャリを視線で射殺すように睨みつける。

 ガイシャリは腰の物入れからなにやらどす黒い瘴気を撒き散らすモノを取り出し、余の胸に付き入れてきた。


 余がガクガクと痙攣に襲われる中、ガイシャリはニヤニヤと薄笑いを浮かべていた。


「はははっ! 狂気と憎悪が供物となり、礎となるのだ!」


 耳障りなガイシャリの言葉を聞きながら、余の意識は途絶えた。

 いや、何か闇に覆われたような、ヒビの入った容れ物の中から覗いているような感覚だ。




 気づけば余は、歪に曲がりくねった枯れ木が立ち並ぶ陰気な森のような場所に独りでいた。

――憎い、ニクイ、ニクイ!

 余は新たに生えた背の翼で陰気な森を飛び回る。

 手当たり次第に枯れ木に爪を立てて回った。


 こんな事をしても意味はない。しかし、何かに当たり散らさなければ、どうにかなりそうだった。




 どのくらい時間が経ったのだろうか。もはや余はまともではなかった。

 そんな時だ。

 余は出会ったのだ。


 余の体からシュウシュウと黒い蒸気が立ち昇る。

 余のひび割れた視界が再生されていく。

 まるで無間地獄から救い出されたように、憎しみの心から解き放たれていく。


 余は疑問に思いながら目の前の人物を見上げる。

 その人物は不思議そうに余のことを見つめていた。


 余はその人物――救済者と行動をともにするようになった。

 かの悪夢のような世界では、仲間の仇討ちもできた。

 いまだに見かけたら憎たらしい気持ちになる、あのどす黒い石も救済者に浄化してもらうことができた。


「ぷぽー……」


 余は森の奥の一角、誰にも内緒の小さな泉の前で、石の上に座りながら過去を思い起こす。

 その泉は静かに波紋を広げ、まるで森の心臓のように静かに生命の息吹を奏でているかのようだ。


 ここは余のオラトリウム――祈りの場所だ。

 ここで仲間の鎮魂を願うのだ。


「ぷぽ」


 脇の下の収納からクッキーとかいう菓子を取り出し、一口かじる。

 口の中でさくほろと崩れる菓子は、なんだか心をポカポカとさせてくれるな。んむ。

 仲間にも食わせてやりたかった。


「ぷぽっぽ!」


 クッキーを満喫した余は、穏やかな泉に背を向け歩き出す。

 余の名前はポポ。

 救済者に貰った偉大な名であるぞ。んむ。

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