第3話(5) 『咆哮を上げて』

 俺は、俺達は『あれ』を見たことがある。

 だけど『あれ』は2m程しか無かったはずだ。


 ……なのに。


「グオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 その獣……5m程ある大熊は巨大な咆哮を上げながら近くの建造物を破壊し暴れ回っていた。


「あれって、あの時の熊だよな……?」


「そう、やと思うけど……」


 俺達の考えは一致しているが、同時に困惑もまた一致してしまっている。


 どうしてあの熊が暴れているのか。

 そしてどうして熊が巨大化しているのか。


 それはわからないが、なんにせよこのまま大熊が暴れている姿を見ているわけにはいかない。


 大通り付近の建造物は大熊の剛腕によって大きく破壊されていた。

 建造物や建築物の素材である木や石、鉄が勢いよく宙を舞う。


 これでは外で倒れている可能性のある人や、まだ室内に取り残されている人達に甚大な被害が出てしまう。

 何としてもあの大熊を止めなければならなかった。


「《アイシクル【大雨(レイン)】》!!」


 テーラが無数の氷の刃を空に出現させ、一気に大熊へと降り下ろした。

 魔法は大熊に直撃する。

 無数の氷の刃が大熊の身体へと突き刺さった。


 ――だが。


「回復、してるぞ……」


「……そうみたいやね」


 突き刺さった氷は瞬時に溶けてしまい、傷すらもゆっくりと塞がっていた。

 そして氷が刺さっていた部分の魔力が大熊の後ろ首へと吸収されているのを俺達は決して見逃さなかった。


 大熊の後ろ首には紫色のクリスタルが埋め込まれた固定具のようなものが埋め込まれている。


「あれは魔導具やね。見た感じ強制的に埋め込まれとる。このタイミングから察するに犯人が闇魔法を魔導具に溜めてあの熊に取り付けたんやと思う。闇の魔力で暴走しちゃってるんや」


「なんで、巨大化してるんだ?」


「持てる魔力の器には限りがあるって言ったやろ? 本来上限があるべきその器を魔導具で強制的に拡張してるんやと思う。溢れた過剰魔力は身体に大きく影響を与えるから、きっとその影響で一時的に巨大化してるんやないかな」


 つまり、あの魔導具を外さない限りこの大熊は無限に稼働してしまうということか。

 無限とは言わなくても三番街を破壊し尽くすぐらいには暴れ続けることが出来るだろう。


「グオオオオオオオオオオオオ!!」


「「――っっ!!」」


 傷を回復しきった大熊は俺達の存在に気付くと強烈な咆哮を上げ阻むもの全てを薙ぎ払い、粉砕しながら突進してきた。


 すぐさま聖剣を抜き取り、戦闘態勢に入った。

 お互い左右に分かれてヘイトを分散させようと試みるが、俺が左にズレた瞬間大熊も同時に左へ進行方向を変えてくる。


 ――標的は最初っから俺か……!


「くっ!!」


「オオオオオオオオオッッ!!」


 鋭い爪を持った剛腕が振り下ろされる。

 聖剣を振るって弾き返そうと試みるが、やはりパワーも桁違いに上がっているらしく咄嗟に中断し後方へ大きく跳び避けた。


 剛腕は地面へと当たると舗装された道は簡単に砕け散り、大きなクレーターが出来上がる。


 ――だがその瞬間、風魔法で飛んだテーラが全長2m程もある氷の槍を持って大熊の真後ろへと回り込んでいた。


 狙いは一点。

 大熊のうなじにある魔導具へと視線は向けられている。


「《アイシクル【大槍(グランド・ランス)】》!」


 巨大な氷の槍が超至近距離で放たれる。

 しかしそれでもとてつもない強度を持つ魔導具によって氷の槍は砕け、魔力の粒子となって散ってしまった。


 大熊の振り払うような剛腕がテーラへと狙いを定める。

 だがテーラは風魔法で軽々しく回避すると、そのまま距離を取ってしばし考える姿勢を取っていた。


「……んー相当威力の高い魔法じゃないと、あの魔導具は砕けんね」


 あの魔導具は治癒効果だけでなく、強度も相当なものがあるらしい。

 テーラの魔法も効かないとなると、このまま二人共一緒に戦う意味をそこまで見出せない。

 彼女と同じように、俺も物事を冷静に捉えていた。


 このタイミングで狂暴化した大熊が放たれている。

 どう考えても救出を遅らせる時間稼ぎ、そして可能であれば住民の殺害を考えてるとみて間違いないはずだ。


 このまま俺達がこの大熊に手間取っていたら確実に衰弱死する人間が出て来てしまう。

 天使だからイマイチ予想出来ないが、少なくとも生命力に関しては人間は貧弱過ぎるのだ


 住民をタイムラグなく救出出来るのはテーラだけ。

 そしてそのテーラの魔法はこの大熊を倒す決定打にはなっていないからジリ貧が続く。


 俺も大熊を倒せる手数など一切ない。

 俺は救出も撃破も、現状何も出来ない使えない天使の一人だ。


 ……なら、俺は何をするべきだ、メビウス・デルラルト。


「テーラ」


「ん、どうしたん? 倒す方法ならちょっち待って――」


「俺がコイツの相手をする」


「……!」


 俺の言葉にテーラは思わず目を丸くする。

 テーラの今の気持ちがよく伝わってくる。

 お前がどうやって大熊を倒すんだと、きっと困惑しているのだ。


「……何か勝算でもあるん?」


「ない。けどもしテーラが何かしらの勝機を見出したとしても、結局考えてから倒すのには時間がかかる。この状況でお前が好きに動けないっていうのは即ち俺達の負けを意味するのと同じはずだ」


「まあ、そうやね……」


「だから、俺が時間を稼ぐ」


 テーラは現状大熊を倒せない。

 倒すための思考にも貴重な時間を使ってしまう。

 だったらその時間は三番街の住民救出に使うべきだ。


 その点、俺は何も考える必要はない。

 俺も大熊を倒せない。

 それどころか俺の聖剣では大熊に切り傷一つ付けることも出来ない。


 だが……時間を稼ぐことは出来る。

 俺に恨みを抱いているであろうこの大熊をこの大通りの中心部に固定させることは出来る。


 それはテーラでも出来るが状況的には俺にしか出来ないことだ。


「でも避け続けるのは難しいんとちゃうん? 一撃でも当たれば致命傷は避けられないで?」


「それはお前も同じだろ。それに……みんな頑張ってる。みんな必死に生きようとして、必死に助けようとしている人達がいるんだ。戦いの場まで指を咥えて見ていることなんて出来ない」


「……」


「一時間でも二時間でも、俺は必ずコイツをここに引き留め続けてやる。人間じゃない。天使である、俺を信じてくれないか」


 大熊の突進が俺へ狙いを定めている。

 使い慣れている翼がないためテーラのような立体回避が出来ないのがもどかしいがそれでも何とか回避して決意の籠った瞳をテーラへと向けた。


 決して人間を下に見ているわけじゃない。

 だが天使には人間を超越した力があることは事実だと思う。


 急所さえ外せば天使はそう簡単に死ぬことはない。

 それはテーラもわかっているはずだ。


「……わかった。男のプライドに免じて自分のこと、信じるで」


 だからテーラも俺の言葉を受け入れてくれて、俺のことを助けない。

 そして踵を返して大通り付近の住民の捜索を開始し出した。


 お互い見ているのは、お互いのみ。

 大熊はテーラに視線を一切向けることなく俺一点にのみ注がれていた。


 口角がつり上がるのを感じる。

 これは孤独による恐怖か、はたまた武者震いなのかはわからない。


「……さっきぶりになっちまったな。左目を潰したのは悪いと思ってる。ここは俺の謝罪に免じて引き返してはくれないか」


「……グオオオオオオオオオオオオッッ!!」


「まあ、今度は無理だよっな……!」


 突貫する。

 人型と戦った経験は何度もあるが、こんな大型の化け物と戦ったことなど一度もない。


 速度を付けて突進すると見せかけて大熊の攻撃を誘い、想定通り剛腕が振り下ろされた。

 もう一度地面が砕け散り土煙が舞うが、俺はその腕を足場に飛び乗り、振り下ろされないよう毛を引き千切るぐらいに握り締める。


 そして一気に蹴り跳んで大熊の頭部まで辿り着くと、もう一度潰れた左目に追い打ちをかけるように聖剣を押し込んだ。


 ――大熊の絶叫が至近距離で鼓膜に響く。

 俺を振り下ろそうと強く暴れるが、それを封じるように聖剣を全体重をかけて突き立てた。


 この大熊は驚異的な治癒能力があるのに俺が今日潰した目だけは何故か治っていなかった。

 そこから察するに魔導具の影響を受ける前にあった傷は治癒出来ないのだと思われる。

 であれば、それはまさしく弱点を曝け出しているのと同じだ。


 だから唯一曝け出されている弱点を攻める。

 ひたすらに攻める。


 魔導具を破壊することなど、テーラでも出来なかったのに今の俺に出来るわけがない。

 出来る方法がない。


 それでも、今日の俺が切り開いてくれた道があるのなら、俺はそれに縋り続けなければならないはずだ。


「――――いいっ!?」


「グオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 けれど、いつまでもそんなこと許してくれるはずもなく。

 振るい続けられた剛腕が俺の身体を捉えると、そのまま力任せに近くの建造物へ叩き付けた。


「がっ――!」


 身体中に強烈な鈍痛が走る。

 何とか聖剣を手から離さずに済んだし、幸いにも爪によって引き裂かれることは無かったが、それでも一撃喰らっただけで相当なダメージを受けてしまった。


 このまま壁に寄り掛かっているわけにはいかない。

 次がすぐに来る。


「――くっ!」


 大熊の体当たりを何とか間一髪回避する。

 だが大熊の身体は俺が寄り掛かっていた建物へと激突し、遂に一軒の家が完全に倒壊してしまった。


「やっばっ……」


 早速あそこの家の住民から笑顔が消えてしまうことが確定してしまった。

 けれど命あっての物種なはずだ。

 命ならともかく、さすがに無機物まで守ろうと思える程完成された天使ではない。


 俺がやるべきことは『倒す』ことじゃない。

 あくまで『足止めを行う』ことだけだ。


 先程はワンチャン行けないかな? と思ったがあれだけ目への攻撃をゴリ押しても結局致命傷には至らなかった。


 現状大熊をこの場所に釘付けにすることは出来ている。

 それに身体への負荷的にも倒す気もないのに無茶は出来ない。

 このまま回避さえしっかり行えていれば俺の役割は順当に果たせるはずだ。


 大熊の攻撃を避ける、避ける、避ける。

 破壊力は抜群にあるが、速度があるのは攻撃だけで大熊自体が機敏に動いているわけではない。

 距離を離してもすぐに詰められてしまうから常に至近距離での戦いを強いられているものの、比較的攻撃は読みやすい部類だ。


 このままなら、行ける……俺の役割を果たすことが出来る。


 大熊の剛腕による薙ぎ払いを回避しつつ、俺は気持ちが昂るのをひしひしと感じていた。


 ――――だが、そこで唐突に大熊の動きが止まった。


「……ぁ?」


 身構えていた俺だったが、それでも尚大熊は一向に動く気配がなかった。

 すると大熊のうなじに固定されていた魔導具に巨大な紫色の魔法陣が浮かび上がる。


 大熊の瞳も、紫色に輝いた。


「――――グオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」


「――っっ!?」


 巨大な咆哮を上げる。

 そのあまりの音量に反射的に耳を塞いでしまったが、大熊は何事もなかったように俺を無視して何処かへ歩き出してしまった。


 帰った、のか……?

 歩き出す大熊が周りの建造物を破壊する様子はない。

 先程までとはあまりにも行動が違い過ぎていた。


 けれど何はともあれ三番街に来ないのなら、俺としても救出に専念することが出来る。

 またいつここに来るかわからないのは怖いが、倒せない以上ひとまずは安心出来るだろう。


「…………」


 しかし、頭の中に突っかかるようなものを感じていた。

 確かに大熊の進行方向には森がある。

 だがあそこはメイト捜索の際に大熊がいた方向ではないはずだ。


「…………ちょっと待て」


 そうだ。

 大熊の縄張りのある方向ではない。

 進行方向には人がたくさん集まっている【セリシア教会】がある。


 そしてあの急な大熊の行動原理の違い。

 それはまるで、誰かに操られたみたいな――


「――ッッ!!」


 一瞬だけ気が抜けてしまったからか、身体のダメージが響き若干よろけてしまう。


 けど、聖剣を握る。

 しっかりと握り締める。

 そして地面に落ちていた建造物の残骸、鋭利に尖った木片を拾った。


 俺は、目の前にいるこの怪物を『足止めする』のではなく、『倒さなければならない』のだと確かな実感として脳に刻み込んだ。


「結局やるしかないのかよ……」


 やらなければならない。

 無茶を、しなければならない。


 奴は……奴の瞳には【セリシア教会】が映り込んでいた。

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