葉山理緒と九重美咲 37

「なんか食べたいのはある?」

「なんだろな……むしろ得意料理食べたいかも」

「得意料理か……」


 地下鉄駅を出ながらうめく。頭を掻く理緒に、倉橋はやや慌てたように言った。


「ごめんやりにくい?」

「え? あー、得意料理ってよくわかんなくて」

「慣れてると逆に得意っていうものもなくなるって感じ?」


 倉橋が納得半分疑問半分と言った様子で応じる。それでいいような気もしたが、どこか違う気もしてしまう。

 言葉を探すように視線を宙に彷徨わせる。普段からリクエストはもらったりはするが。


「どっちかというと、食べたいものを言ってもらった方がやりがいがある。かな」

「そうなんだ……それじゃあ、健康的なご飯がいい」

「健康的?」

「うん。あんまりこれってのは思い浮かばなくて。テーマ的な感じだけどダメかな」

「健康的かぁ……」


 漠然としたものではあったが、なんとなく頭に浮かぶものがあった。というか、紫に食事を作る時の共通のテーマであるともいえたからだ。

 頭の中でメニューを組み立てていると、すぐに問題に行き着いた。倉橋の顔を覗くようにして、それを口にする。


「だったら色々買った方がいいかな。お店で見てみたら倉橋の方も何か浮かぶかもしれないし」

「わかった。あ、もちろん食材にかかったお金は出すから」

「あー、うん。わかった」


 咄嗟に固辞しそうになって、それも変かなと受け入れる。

 倉橋に食事を作ろうかと提案した翌日だった。冗談で口にしたことではなかったが、倉橋が食いつきあっという間に話が進んでいった。当初は倉橋の家で作ると言ったのだが、調理道具があまりにもなかったので理緒の家で作ることになった。

 この日は二人ともアルバイトもない。お互いに学校が終わったタイミングで合流し、地下鉄に乗り理緒の家の最寄り駅に到着した。

 倉橋は物珍しそうにあたりをきょろきょろと見回している。そうしたところで何の変哲もない風景のはずだが。


「実家ではどんなの食べてたの?」

「普通だと思うけど……ご飯、みそ汁、卵焼きに焼き魚?」

「みそ汁ってどんなの?」

「みそ汁はみそ汁だよ」

「いや、具は何入ってたかなって」

「え、あ、ああ、豆腐?」


 倉橋が恥ずかしそうに答える。

 豆腐か、頭の中でメモをする。倉橋の話からざっとメニューを組み立てていく。変に凝ったものにするよりは、わかりやすいものの方がいいだろう。当たり前すぎるのも面白くないのかもしれないと、どこかで工夫が入れられないか考える。

 こう言っておいてなんだが、理緒だって普段から健康的な食事に気を遣っているわけではない。菓子パンやカップ麺ばかりらしい倉橋よりは大分マシだろうが、えらそうなことを言える食生活を送っているとはとても言えたものではない。

 だが、人がそうしていると思うと妙に嫌な気持ちになってしまう。我ながら勝手だとは思うが。


「あんまり偏食してると身体壊すよ?」

「わかってるんだけどさ。色々買ってたらどうしてもお金が……」

「漫画とか?」

「それもあるけど……あのさ、引かない?」

「なにが?」

「……コスプレしてるんだよね」

「コスプレって、アニメとかの?」

「う、うん」


 横を歩く倉橋は妙に照れくさそうにしている。

 理緒はなんてことなく応じた。


「別にそんなことで引いたりしないよ」

「そ、そっか。良かった」

「イベントとかで着たりしてるの?」

「うん、やってる……画像あるけど、後で見る?」

「あ、見てみたいかも」


 話しているうちにスーパーが見えてきた。家から近く、普段から利用しているところだ。少し離れたところにもう一軒あり、引っ越してきた当初は時々で安い方を利用していたが、面倒になりここだけを利用するようになった。

 理緒のやり方としては、その時に安い物だけを買うことだ。食べたいものが安売りしてなかったら諦め、買いやすい物だけで作る。

 とまあ、普段ならそれでいいのだが人に食べてもらうのだからいい加減にはできない。食材の費用は向こう持ちとはいえ、だからこそ買うものにも気を遣わなければいけない。

 色々と普段と勝手が違うことを意識しながら、食材を探していく。


「あー、そうだ。嫌いなものとかアレルギーとかある?」

「ないよ。なんでも食べられる」

「わかった」


 偏食のなんでも食べられるがどこまで信用できるのかわからないが(香澄も似たようなことを言うが好き嫌いが割と激しい)、会計する前に一度確認すればいいだろう。

 都度倉橋に確認しながらカゴに食品を入れていくと、倉橋が感心した口調でつぶやいた。


「なんか、慣れてる?」

「なにが?」

「僕に色々確認しながら入れてくから、人に作ったりするの慣れてるのかなって」

「あー、慣れてるってほどじゃないけど、人に作るのはたまにやってる」

「いいな、羨ましいよ」

「今から倉橋も食べるんでしょ?」


 微苦笑を浮かべてからかうように言う。自分の料理にそこまで大きい価値があるとは思わないが、期待されすぎるとプレッシャーを感じてしまう。

 そうなんだけどさ、と倉橋も苦笑した。


「会ってなかった日々を感じるなって思って」

「……あたしも倉橋がこんな偏食になってるなんて思ってなかったけど」

「それは、まあ……もともとそんなもんっちゃもんだけど」


 倉橋は指をくるくる回して話題を変えた。


「料理できるってやっぱりすごいよ。僕も一人暮らししたら料理するようになるのかなって思ったけど、いざ始めたらなんもやらなかったもんね」

「あー……」

「葉山みたいに自炊できるようになればいいんだろうけどなぁ」

「やってはみたの?」

「……最初の一週間ぐらいは」


 目を逸らして答える倉橋に、思わず笑う。

 考えれば、理緒の周囲に自炊をする人もそんなにいない。今年から一人暮らしをしている沙耶はどうだかわからないが。沙耶ならそういうところもきちんとしていそうだから、多分しているのだろう。

 別に自炊しているから偉いというわけではないが、妙に神聖視されることはたまにある。理緒だって料理自体は嫌いではないが、自分が食べると思うとあまりやる気は出ない。


「なんか続けられるコツとかある?」

「コツって言っても……慣れじゃないかな」

「慣れ、かぁ」

「あたしはずっとやってたから」

「……そっか」


 倉橋は言葉少なに頷いて理緒が手にしている買い物かごをすいと取った。

 唐突な行動に思えて倉橋を見上げると、「持つよ」と笑んだ。


「食べさせてもらうんだしね」

「うん……ありがと」


 やや困惑した心地で礼を口にする。気を遣わせたかな、と思いながら改めて買い物かごの中を覗く。考えていたメニューに必要なものは十分にそろっている。

 もう買うものはないかなと、確認する。


「こんなところかな。他に欲しいものある?」

「大丈夫。あとは葉山の腕前に任せるよ」

「あー……酒とかいる?」

「下戸だって……ほんとに好きなんだね」


 呆れの含んだ声に「う」とうめいて動きを止める。

 周囲は酒を飲む人ばかりなので、飲まない人の感覚があまりわからない。倉橋が弱かったのも失念しかかっていた。そういう人からすると、すぐに酒の話を出すのはよくないことかもしれない。

 内心で反省をしている理緒に、倉橋はおかしそうに笑った。


「責めてるわけじゃないよ。葉山が飲みたいならいいよ?」

「いや、うん……」

「嫌なことはお酒を飲んで紛らわせるのもいいだろうしね」

「え?」

「僕の周りでもそういう人いるし。あ、もちろんお酒は嫌なことないと飲まないってことはないだろうけど」


 倉橋のフォローをなんとなくで聞きながら、倉橋の言葉を反芻する。


(嫌なこと……)


 否応なく思い出されることに、胸がきゅっと締め付けられるような感覚があった。一度意識すると、頭の中はそれだけであふれてしまう。

 内心でかぶりを振る。意識しないことはできないかもしれないが、今は考えないようにしたい。

 倉橋は困ったようにして、買い物かごを持ち上げた。


「会計しよっか? お酒じゃなくても他に買うものはある?」

「……ううん、なにもないよ」


 応じてレジを目指そうとした理緒の正面に、


「……理緒さん?」


 目の前で花が咲いたかのような錯覚に、思わずきょとんと瞬きをする。

 信じられない心地にありながら、どこか納得している自分もいた。


「……美咲」


 ほとんど口のなかだけで出たつぶやきは、自分の耳にすら届かなかった。

 買い物かごを持った制服姿の美咲が、そこに立っていた。

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