葉山理緒と九重美咲 36

「綾乃、おはよう」

「ん、おはよ」


 教室でぼーっと外を見ている綾乃に手を振りながら挨拶する。

 綾乃は眠たそうな目で挨拶を返すと、じっと美咲の顔を眺めるようにしてきた。


「どうしたの?」

「別に」

「別にって……」


 なんとなく呆れる思いで綾乃の後ろの席に座る。実際の座席がこうで、授業中に寝ている綾乃を見ることができる。いや、寝ていたらダメなんだけど。

 十秒ほど見つめ合って、根負けしたように苦笑を漏らす。


「返事、来なかった」

「……そっか」


 とだけ頷く綾乃は、鞄から何かを取り出して美咲の机に置いた。

 紙パックのいちごミルクだった。美咲が好きでたまに飲んでいるものだ。

 普段はしない行動に、美咲はやや面食らって綾乃を見返す。目を合わせて、軽く噴き出した。


「なに? これ」

「お疲れ様、的な?」

「いや終わってないよ」

「?」


 不思議そうにする綾乃に、強がりだけではなく笑って見せる。


「理緒さんから返事は来なかったけど、まだ終わったなんて思ってないよ。もう少し続けてみる」

「……大丈夫?」

「えっと、どっちの心配してる?」


 判断をつけかねて訊ねると、綾乃は即答した。


「美咲」

「……大丈夫だよ。まだ」


 そもそも、一度でうまくいくなんて思っていない。返事が来ないことも想定してはいた……もちろんというか、メッセージを送った後はずっとスマートフォンから意識を離せずにいて、朝起きた時も飛びつくように確認してしまったのだが。

 だからといって、諦めてはいない。

 綾乃はふうんといちごミルクを引っ込めようとしたので、美咲も紙パックを掴む。綾乃のひんやりとした手と重なり、驚いたように綾乃が手を引いた。

 微妙に傷つく反応をしながら、綾乃が言ってくる。


「いらないでしょ」

「激励的な感じでじゃないの?」

「あたしは飲まないから良いけど」


 椅子の背もたれに肘をついてどうでもよさそうにつぶやいた綾乃は、ふわ、とあくびをした。


「で、どうするの?」

「……どうしたらいいのかな」

「そこノープランじゃダメでしょ」

「うーん……また連絡はしてみるけど」


 実際のところ、理緒が応じてくれない限りは美咲にはどうしようもないのも確かだ。このまま連絡だけしても、迷惑でしかない可能性も十分にある。

 けれど、そこで決めつけて引いたら本当にそこで終わってしまう。


「せっかく両想いだったんだしね」

「それはそうなんだけど」


 歯切れ悪く返す美咲に、綾乃の半眼が返ってくる。何か言いたそうだが、それがなんなのかはいまいちわからなかった。


「わたし、理緒さんのこと何も知らないなって思うの」

「…………」

「だから、もっとちゃんと知りたい」


 実は両想いだっただとか、好きだとか。

 そういったことは一回全部抜きにして、理緒のことを知りたい。

 今までだって理緒のことを知りたいと接してきたつもりだったが、肝心な部分には触れてこれなかった。表面的な部分しか知ることができなかったが、一歩踏み込まないと知ることができないものがある。

 そうしないといけないと、そんな気がする。


「朝からポエミーなこと言われても」

「もう、いいじゃない」

「あと教室だし」

「そ、そうなんだけど」


 忘れてたわけではないが、なんとなくキョロキョロとする。大声で話していたわけではないし、いつも通りの教室で美咲たちに注意を向けている人もいないが。

 視線を戻すと綾乃の半眼に再びさらされる。苦笑で応じて、紙パックのいちごミルクを鞄にしまい込む。

 理緒は今頃、何をしているのだろうか。


☆☆☆


 くぁ、とあくびがもれて、手で口をふさいで抑えようとする。

 しかし一度出てしまったものは抑えられず、大口を開けて欠伸を果たす。


「何でも入りそうな口だね」

「入れないでよ」


 口をふさいだまま、言ってきた本人を制するように言う。

 香澄はおかしそうに笑って、何も持っていない手で放るような仕草をした。

 理緒は空中で払う仕草をして、はぁ、と息をつく。


「また徹夜でゲームしてたんでしょ。まったくあんたって子は」

「キャラクラーどうなってんの」


 適当に突っ込みを入れて目を擦る。徹夜とまでは行かなくても、夜中までゲームをしていたのは事実なのでそれ以上は何も言わずに置く。

 相変わらずの学食で、香澄と二人で昼食を摂っている。理緒はあまりお腹が空いていなかったので軽いものにしたのだが、香澄は何品も頼んでばくばくと食べている。


「太るよ」

「いやだあんたって子は。デリカシーがないんだから」

「今日ずっとそれでいくの?」

「ううん、飽きた」

「あっそ……」


 面倒くさく応じて、頬杖をつく。腹が満たされたせいか、眠気が頭を揺らし始めてきていた。


「そもそもアタシ太んないし。理緒もそうじゃん」

「そだね。ってかあたしはそんな食べないから一緒にはならないでしょ」

「アタシは全部おっぱいに行くから、確かに違うか……」

「しみじみ言うな。あとそれ沙耶に言ったら殺されるよ」


 半眼でうめいて、目を閉じて目蓋を揉む。

 理緒はまったく胸がないが、気にしたことはほとんどない。強がりでもなくなくても困っていない。一方の香澄は自分の言葉を体現するようにしっかりと大きい。近くにいるとたまに圧力を感じることもある。理緒の知っている人間の中では一番大きい。

 いや、と内心でかぶりを振る。多分、あっちの方が大きいかもしれないという心当たりがあった。

 そんな考えにふける理緒に、香澄が気軽に箸を向けた。


「今日理緒んち行っていい?」

「あー、今日はちょっと人が来るから」

「美咲ちゃん?」

「……いや」


 言葉少なく否定する理緒に、香澄が首を傾げる。


「なんかあった?」

「……あった、けど」

「けど?」

「あんまり話したくない」

「そっか」


 話を拒否する理緒に香澄はあっさり引き下がって、食事を再開した。

 豪快にうどんをすする香澄を見て、やや慌てて口を開く。


「今はってだけで……」

「うん、話せるときには聞くよ。理緒は酒が入れば口が軽くなるし」


 その言われ方もあまりにも微妙だったが。

 美咲とのことは、まだ倉橋以外には話せていない。ねえ聞いてよと話すようなことでもないし、まだ気持ちの整理がつききっていない。酒が入れば口が軽いのは多少自覚はあるし、話すならその勢いも欲しいところでもある。

 それに、話すとすれば香澄と沙耶が揃っているときにしたかった。何度も話したいことではない。


「それにしても、びっくりした」

「なにが?」


 定食のからあげにマヨネーズをかけながら香澄がしみじみと言う。


「理緒ってアタシたち以外に友達いたんだね」

「おいコラ」


 天井を仰ぐ香澄を睨みつけるようにして続ける。


「あたしにも友達ぐらいいるっての」

「アタシ知ってる人?」

「いや……」


 否定しかけて、ふと考え込む。

 きょとんと理緒の言葉を待つ香澄を見ながら、ぽつりと確認する。


「倉橋のこと、話したことあったっけ」

「倉橋?」

「中学の時の友達」


 香澄はしばらく視線をさまよわせて、ああ、と手を打った。


「理緒が入り浸って漫画読んでた話だっけ」

「うん、まあ、それ」

「それがどうかしたの?」

「最近久しぶりに会ってさ、今日はご飯食べることになったんだ」


 食べるというか、理緒が作るのだが。

 香澄は目をぱちくりとさせて、微笑んで頷いた。


「そっか、良かったね。すごく寂しそうにしてたもんね」

「……そうだったかな」


 照れた心地で誤魔化す。話したとすれば香澄と知り合って間もない頃だろう。一番荒れてた時期でもあり、語り口もかなり愚痴っぽいものになってしまった覚えがある。なにしろ、関係を切られたと思っていたのだから。

 香澄はしきりに良かった良かったとつぶやいている。そうも繰り返されるとやや恥ずかしい。


「そんなわけだから、あんたはまた今度ね」

「ん。楽しんでね」

「はいはい」


 適当に返事をして、お茶のおかわりをとりにいく。


(楽しんで、か)


 倉橋と会って話すのは、楽しみなことだ。

 まだ少しは、美咲のことを考えずに過ごせる。

 届いた美咲のメッセージは、謝罪と改めて話したいという内容だった。どう返せばいいのかわからず、返信しないまま無視している形になっている。

 返さなきゃ、とは思ってもどう返すのかが決まっていなかった。

 話すとも、話さないとも決められない。

 もう少しだけ、気持ちを整理する時間が欲しかった。

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