葉山理緒と九重美咲 16
美咲との会話は理緒が心配していたよりもうまくいっていた。
盛り上がっているというよりは、お互いが穏やかに程よく話しているという感じだ。美咲の方も前回のことを意識しているのが伝わってくる。壁があるだとか無理してるとまでは言わないが、若干のぎこちなさはあるように思えた。
だがそれも、話しているにつれてほぐれてきていた。美咲も楽しそうに笑い、理緒も楽しんでいる。
美咲と理緒は持ってきたケーキの量にかなりの差があったのだが、食べ終わったのはほとんど同時だった。理緒が合わせたわけでもない結果に苦笑すると、美咲は恥ずかしそうに唇を引き結んだ。
次も理緒は控えめに、美咲は最初ほどではないにしても多めに持ってきていた。
「……よく食べるね」
太るよ、と言おうとしたのだがさすがにデリカシーがないかと言い換えた。
美咲はむしろ不服そうに理緒のプレートを指して。
「理緒さんこそもっと食べないんですか? せっかくのバイキングなのに」
「あたしは少食だから、味わって食べるタイプなの」
適当に言い返す。バイキングや食べ放題でがつがつ食べるよりも、ゆっくりと味わって食べたいのだ。
美咲はケーキを口に入れて、対抗するようにゆっくりと咀嚼し始めた。理緒も付き合って、自分のケーキを口に含む。咀嚼して、たまたま同じタイミングで飲み込む。
タイミングがあまりにも一緒だったのがおかしかったのか、美咲がこらえきれなかったように噴き出した。
「やっぱり色々食べたいですね。せっかくなんですし」
「美咲はよくケーキ食べてるんじゃないの?」
「え、そんなことないですよ?」
「だってあたしが家に行った時もあったし」
「あれはたまたまですよ。そんなにしょっちゅう食べるわけないじゃないですか。太っちゃいますよ」
「まあ、そりゃそうか……」
なんとなく納得する理緒にこくりと首を縦に振って、美咲はコーヒーを口にする。
「コーヒーは毎日飲んでるのかな」
「そうですね。家では毎日、喫茶店も行きますし」
「ほんとに好きだね」
「はい。お小遣いもいつもギリギリですよ」
「あー、コーヒー代も馬鹿にならないからね。バイトはダメなんでしょ?」
「そうなんですよ。早く大学に行ってアルバイトできるようになりたいです」
「どこの大学とかは決めてるの?」
美咲が口にしたのは、市内の大学だった。理緒も名前だけは知っている。
「もう決めてるんだね」
感心した思いでつぶやく。理緒はどこの大学に行くのかというのはかなりギリギリに決めたものだった。本来は行くつもりもなかったのだが。
美咲はそうですね、と返事する。
「勉強したいことがあるので」
「そうなんだ、やりたいこととかなにかあるの?」
理緒が訊ねると、美咲は少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「いつかは……自分でもお店やりたいんです」
「お店って……喫茶店?」
「はい、いずれはって思ってるので今は勉強してるんです」
「すごいなぁ……」
本気で感心して小さくつぶやく。
自分が高校生の時なんて、先のことなんて何一つ考えていなかった。いや、今だって先のことなんてほとんど考えていない。
美咲はいろいろな意味で自分とは正反対の人間だなと改めて思わされる。
それが今こうして一緒に食事しているのだから、よくわからないものだなとおかしくもあるが。
「理緒さんは三年生ですよね? 就活とかは……」
「あー、どうするのかな」
他人事のように言って頭を掻く。考えなくてはならないのは当たり前なのだが、足踏みすらできていないというのが本当のところだ。つまりは、考えることすらしていない
前に進むと言っておいて、課題は山ほどある。最近はそんなことを思い知るばかりだ。
目の前の美咲に意識を戻す。
「あたしは得意なこととかもなくてさ、何をしたいっていうのもなくて……何も決まってない」
決まり悪くぼやく。なんだかみっともないことを言ってしまっているなと頭を掻く。
「なにか決めないといけないのにね。美咲はすごいね」
「別に、決めてるからいいってわけでもないと思いますけど」
美咲は気恥ずかしそうに続ける。
「わたしはこれだって思ってやってますけど、それで本当にいいのかなんてわからないですし、急いで何かを決めなくちゃってことはないですよ。いつ何が見つかるかなんてわかんないんですから」
「……そっか」
美咲の言葉に頷く。そう言われるとそうなのかもしれない。
美咲はぺろりと舌を出した。
「なんて、半分は受け売りなんですけど」
「受け売りなんだ。でも、なんか納得しちゃったな。受け売りでも、美咲の言葉になってるんだなって感じたよ」
「えっと……ありがとうございます?」
美咲が照れたように応じる。褒めたという意識もなく、思ったことを言っただけだったのだが。
「美咲はどうして喫茶店をやりたいの?」
「昔からコーヒー好きなんですよ。変わった子供だったので」
ふうんと相槌を打って、続きを促す。
「小学生の時から親にねだって連れて行ってもらってたんですよ。まだ味がわからないだろって言われましたけど、ちゃんと連れていってくれて」
美咲の目がどこか遠くを見るように眇められた。
「コーヒーも好きなんですけど、喫茶店が好きなんですよ。お客さんがそれぞれの時間を過ごしている空間がすごく心地よく思えて、コーヒーが美味しくて。とても素敵だなって思ったんです」
「それで、自分もやりたいって?」
「はい。安直ですけどね。いつか、来る人が心地よく過ごせる場所を作りたいんです」
そう言って照れくさそうに笑う美咲は、これまで見た表情で一番素敵に見えた。
理緒は喫茶店にはほとんど行ったことはない。が、美咲の言っている雰囲気はわかる気がした。理緒がかつて通っていた店は、まさにそういうものだった。
「美咲が喫茶店を出したら、あたしも行ってみたいな」
「はい、理緒さんにはぜひ来てほしいです……いつになるのか見当もつきませんけど」
たはは、と美咲がおどけたように言う。
少し言い回しに引っ掛かるものがあったような気がしたが、気のせいかと流すことにする。
「それはもうずっと美咲の夢?」
「そうですね……幼稚園の時にはなんか変なこと言ってたような気もしますけど」
「魔法少女とか?」
「みたいな感じですね。理緒さんはどんなでした? 子供のころの夢とか」
「あたしは……」
回想するまでもなく、返事は用意できていた。
「別になかったな、何も。つまらない子供だったから」
「そう、ですか……」
美咲の困ったような表情に、内心で自分自身に舌打ちする。
どうしてこう、無駄な一言を加えてしまうのだろうか。
二人して黙ってしまった。何か言わなきゃと思うと頭が空回って何も出てこない。
焦る理緒に、美咲が控えめに質問してきた。
「あの……理緒さんって、付き合ってる人いますか?」
「……え? いや、いないけど。どうしたの?」
「いえ……理緒さんだって訊いてきたじゃないですか」
そういえばそうだった。あれも、なんでそんなこと口走ったのか自分でもよくわからないのだけど。
(……いや)
内心でかぶりを振る。わかっていないわけがない。わからないと言うのは、自分への誤魔化しでしかない。
「理緒さん、モテそうだしいるのかなって思ったんですよ」
「モテないよ……ていうか美咲がそれ言うの?」
美咲は誰がどう見てもかなりの美少女だ。性格も明るいし、これでモテなければおかしいだろうと理緒でも思う。
理緒の半眼に美咲はたじろいだようにうめいた。
「わたしだって別にモテるわけじゃないですよ……」
「高校生になって何回告白された?」
「……わたしのことはいいじゃないですか!」
指折り数え始め、すぐに正気に戻って顔を赤くして叫ぶ美咲を変わらず半眼で見やる。
考えれば、高校に入ってまだ2か月も経ってないはずなのだが。
「いいなって人はいなかったの?」
「……ですね」
「じゃあさ、好きな人はいるの?」
踏み込む気持ちでそっと問いかける。
美咲はやや間を空けて、
「……いない、です」
(……いるな)
直観した。美咲の否定は恐らく嘘だ。というか、直観するまでもなく美咲は非常にわかりやすい。
美咲なら、誰も放ってはおかないだろう。それならそれで仕方ないのではないかとも思う。
「そっか。じゃあ美咲はどういう人が好きなの?」
「うーん……あんまり考えたことないです。恋愛したいとかって思ったこと、とくになかったですし。この人素敵だなとかも別に……」
「じゃあ好きになった人がタイプって感じなんだ?」
「そう……ですね。なんで好きなのか、自分でもわからないんです。これが好きっていう気持ちなのかもとか思っても……い、いや、想像の話ですけどね!?」
建前を思い出したのか、美咲は顔を赤くして慌てて両手をわたわたと振りだした。
理緒としてはそこは気にしておらず、案外穏やかな気持ちでいることに自分自身驚いていた。
美咲が理緒と話そうとしていたのは、恋愛としての理由ではない。言葉にすればあまりにも当たり前のことで、疑問の余地もない。それならそれでいいかとも思う。踏み出す前に潰された感触はあるが、それでも構わなかった。
「美咲に好かれた人は、きっと幸せだろうね」
「そう、思ってくれますか?」
不安そうな美咲の言葉に、理緒は強く頷いた。
「あたしが保証するよ。あたしがしても仕方ないかもだけど」
「相手も、そう思ってくれたらいいんですけど」
もはや建前も諦めた美咲に苦笑する。
好きな人がどう思っているかというのは、確かに不安だろう。それに対して理緒にできることは何もない。自分の感情を確かめるという目的だって、こうなってしまっては自然分解しているようなものだろうが。
それでもいいと思うのは、ただの逃避だろうか。
気持ちは穏やかで凪いでいる。良い状態ではないが、悪い状態でもない。
このままでいれば、いずれもっとちゃんと落ち着くはずだ。
今日はこのまま話を終え、徐々にフェードアウトしていけばいい。美咲なら相手を捕まえることができるだろうし、たとえできなくてもこの明るさならきっと立ち直るだろう。そしていずれ、合う相手を見つければいい。
そこまで思うのは余計なお世話だろうが、理緒の中ではそうまとまっていた。
「うまくいくといいね」
「……はい」
不承不承認める美咲に、何かを言おうとして。
「また、こうやって出かけようよ」
「え?」
「バイキングでも喫茶店でも。美咲とまた、話したい」
「……はい!」
美咲が勢いこんで返事をする。その嬉しそうな満面の笑みに、自分が言ったことを悟った。
内心と正反対なことを言っている自分をとても馬鹿だと思う。
(正反対じゃ、ないのかな)
なにより、発言したことを後悔していない自分がいる。
「理緒さんがそう言ってくれて嬉しいです。無理やり付き合わせてるのかなってちょっと思ってたので……」
「そんなことないよ。あたしも美咲といると楽しい。あたし、人付き合い苦手なんだけど美咲は話しやすくて好きだよ」
「す、好き……」
過剰に反応する美咲に、理緒は慌てて釈明する。
「変な意味じゃないから、大丈夫だから」
「は、はい……わたしも、理緒さん好きですよ?」
お返しのように言われて、おかしさがこみ上げた。
吹き出すのは我慢して、自然を笑みが漏れた。
「好きって言われるのは、嬉しいね」
「…………」
美咲は顔を赤くして硬直していた。
恥ずかしいことを言ったかなと理緒の頬も少し熱を持っていく。
美咲が呆けたようにしながら指摘する。
「理緒さん、笑った……」
「いや、あたしだって笑うよ」
拍子抜けすることを言われて、呆れ交じりに言い返す。とはいえ、思い当たることがないでもない。
自分を指さして、苦笑いで訊ねる。
「あたし、笑ってなかった?」
「えっと……」
「あ、ごめん。あたし笑うの下手ってよく言われるんだ。機嫌悪いとかじゃないから気にしないで」
手を振って話をまとめる。
飲み物が無くなったので、理緒もコーヒーを飲もうと席を立つ。
コーヒーを淹れながら、美咲とまた会いたいと言ったことを振り返っていた。
考えるまでもなかった。理緒もただ、美咲に会いたかったのだ。それが何を意味しているのかも、考えるまでもないのだろう。
(でも、まだ……)
諦め悪く内心でうめいて、コーヒーが注がれたカップを持ち上げる。
テーブルでは美咲が幸せそうにケーキをほおばっている。理緒の視線に気づいて、恥ずかしそうに笑った。
それを見て、理緒も自然に笑えた。
後のことは後で考えればいい。
今はただ美咲といるのを楽しもうと、素直に思えた。
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