あなたを想う人がいて
朝霞肇
CAT DROP
葉山理緒と九重美咲 1
何の変哲もない一人暮らしの部屋だ。
そこまで片付いていないテーブルの上には、酒の空き缶やお菓子の空き袋が散らばっている。テーブルの脇にはどかされたのだろうかノートパソコンが無造作に置かれている。テレビはやや大きく、据え置きのゲームハードがテレビ台に鎮座している。
小さい本棚には漫画や小説がこだわりなさそうに並べられている。教科書の類も並んでいて、若者が住んでいることがうかがえる。
部屋の主である
紫煙がぐるぐると換気扇に吸われていくのを眺めてうめく。
「だる……」
土曜の午後に差し掛かったところだった。昨夜酔って転がり込んできた友人を適当に介抱して――いや面倒なので床に転がして放っておいたのだが――朝になってさすがに追い出して、家事などを片付けてこうして一息ついている。テーブルの上などは、まあ後でいい。
理緒は非常に小柄で――正確な身長は言いたくない――換気扇の下に置いているさほど大きくないスツールにあぐらをかいて座っているが、その体はすっぽりと収まっている。
顔つきははっきりと童顔で、小柄な体と相成って実年齢と同じにはまったく見られることはない。すでに20歳になっているのに、いまだに中学生に間違えられる。行きつけのところ以外では煙草を買うこともできない。
中学生に間違えられることにはとっくに慣れた。まあ、慣れたところでムカつかないというわけではないのだけど。
理緒は今、大学3年生だ。簡単に言ってしまえば暇な大学生で、今日は特に予定もない。完成させるべき課題がないわけでもないのだが、どうにもやる気はない。
だからこうしてだらだらと煙草を吸っている。友達に電話してゲームでもするか、それとも諦めて課題を終わらせるか。
結論が出ないまま、すっかり短くなった煙草を灰皿でもみ消す。なんとなくスツールを回して体ごと回転する。肩ほどまでかかる茶色の髪もあわせて回る。動く視界に何を意識していたわけではなかったが。
ふと引っ掛かりを覚え、コンロの縁をつかんでスツールの回転を止めた。
止まった視界の正面、ベランダのところに黒猫がいた。
「どこから……」
目を合わせて独りごちる。もちろん、理緒の飼い猫ではない。
ここは2階だ。けれど野良猫なら登ってこれないことはない、のだろうか。猫なんて飼ったこともなければ、触ったことすらないはずなのでよくはわからない。
同じアパートの住人の飼い猫だろうか。そういえばこのアパートは、
「ペットオッケー……だっけか。覚えてないや」
首をかしげてうめく。そもそも入居するときにそんなこと確認してはなかった。
黒猫は姿勢よく理緒と目を合わせたまま、窓の向こうでじっとしている。
しばらく目を合わせていたが、やがて根負けしたように吐息して立ち上がると、ベランダの戸を開けてやった。
黒猫はさも当然という足取りで部屋の中に入ってきた。ぐるりと部屋を見回すように首を回して、理緒に向き直るとなーと一声鳴いた。
「なーって言われてもね」
苦笑し、頭を撫でようと屈んで手を伸ばすと黒猫は寸前でさっと身を引いた。もう一度試すと、理緒の指をすんすんと嗅いでまた身を引いた。
臭いかなと自分の指のを鼻にあてる。かすかな煙草の臭いに、ああと納得する。
洗面所で手を洗って戻っても、黒猫はそのままじっとしていた。窓は閉めてしまっていたが、それにしても落ち着いている。改めて手を伸ばすと、今度は嫌がらなかったのでそっと頭に触れた。軽く撫でてみるが、黒猫は動くこともなく、喜んでいるように嫌がっているようにも見えずにされるがままでいる。
手応えのなさに早くも飽きを感じて、首の方まで撫でてみる。と、指に引っ掛かりを感じた。手繰ってみるとすぐに首輪だと分かった。
「やっぱり飼い猫か」
これだけ人を嫌がらないのならそうだろうとは思っていたが。慎重に体を押さえて首輪を確認する。毛に埋もれて見えずらくなっていた白い首輪には、小さく数字が並んでいた。電話番号だろう。
手を離して立ち上がると、黒猫はつつと理緒の足元にすり寄ってきた。なつかれた、のだろうか。
蹴らないように注意しながらキッチンに置きっぱなしにしていたスマートフォンを取りに行く。その間も黒猫は理緒にぴったりとついてきている。
スマートフォンを手にして、その場に座り込んで黒猫と目線を合わせる。
「お前のご主人様に電話するけど、いい?」
黒猫は目を逸らすことなく少し甲高い声で鳴いた。
それを許可だととらえることにして、首輪に記されている番号を打ち込んだ。
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