第二幕
十四枚目 睡蓮
部屋の中は狭く、お世辞にも片付いているとは言えなかった。
積み上げられた書籍に段ボール、ところ狭しと並んだ実験器具。ひょろ長の白衣の背中を追いながら、七緒は『地下通路』を思い出していた。階段を下に下に降っていくと、コンクリートの壁が剥き出しになった地下室へと辿り着いた。ここにも、何に使うのか良く分からない機材や、ロボットアームなどが散らばっている。
「自宅兼研究室なんだ。非公式だから、政府に見つかると色々とうるさくてね」
爆発した頭をボリボリと掻き、白衣の中年男性が笑った。
「僕は
「どうも……」
差し出された手を、七緒はおずおずと掴んだ。
「どこかで見た顔だと思ったら、そうだ」
三好博士はくるっと背を向けると、ゴソゴソとゴミの山……もとい、開発途中の実験品を漁り始めた。
七緒は狭苦しい実験室を見渡した。
翠色の液体が満たされたビーカーの中には、得体の知れない目玉のようなものが浮いている。段ボールの中から突き出た機械の右腕が、七緒の袖を引っ張って、ひたすらじゃんけんしようと持ちかけてきた。七緒は急に不安になった。この人、大丈夫なんだろうか……?
「ほら! そうだ、そうだ」
三好はそんな七緒の胸中には意も介さず、小さな長方形のプレートを取り出してみせた。良く見ると、写真立てだ。古びた写真の中には、若かりし頃の三好が白衣姿で写っている。大学の卒業式での一枚だろうか。その隣に立っているのは、恐らく三好の教官……。
「この人は……」
「七海
「お父さん……」
「やっぱり、そうだ。道理で面影があると思った。やあ、あんな小さな子だったのに、大きくなったねえ!」
三好が嬉しそうに顔を綻ばせた。七緒は写真に釘付けになった。
七緒の父、七海七竈が行方不明になったのは、彼女が七歳の頃だった。その頃から有名な研究者で、ほとんど家に帰ることはなく、七緒は実際に父親に会うよりも、もっぱら立体TVの中で父親の顔を拝む方が多かった。だがそれでも七緒はそんな父が誇らしかったし、尊敬していた。
父……七竈博士の専門は、三好と同じくロボット工学と能力開発学だった。一昔前、浮遊都市の設計に関わったのが七竈博士だ。だがそのあまりにも高い『能力』のせいで、彼は外国のスパイに命を狙われ……結果、七緒が十歳になった頃、その消息を断つことになる。
今では日本政府に秘密裏に匿われているとか、外国に囚われ兵器の開発をさせられているとか。様々な噂が飛び交っているが、いずれも真偽は不明。当然家族にも何の連絡もなく、母も私も、ただ狼狽えることしかできなかった……。
「実は僕、元々『無能』だったんだけど」
三好が懐かしそうに目を細めた。
「十四歳になんと脇に小さな『花』が咲いてね。最初は脇毛かと思ったんだけど……学問系の『才能』だった。そこを博士に拾われて、大学まで行ったんだよ。君のお父さんは、僕の恩人だ。僕を『道花師』と名付けたのも、博士なんだよ」
三好はそう言って首輪の跡をさすった。七緒は顔を上げた。
「ほら、おとぎ話にあるだろ? 僕ぁ何だか、実現するのかしないのか、夢見たいなことばっかり言ってたからねえ。面白がって、学友たちからもそう呼ばれてた。そのうちこっちもその気になって、だったら『無能』に花を咲かす研究を、実際に、本腰になってやってみようと思い立った。いやはや……」
「父は今、何処に?」
「分からない……七竈博士が行方不明になって、僕も散々取り調べを受けてね。それが嫌になって、浮都から逃げ出してきた。地上じゃ研究費は出ないけど、なに、毎日裸にされて、毛穴の奥まで調べられるよりずっとマシさ。奴ら、僕の脇毛を……いや、よそう。それに、何処にも所属してないから、ある意味やりたいことが自由にできるからね……」
「私の『花』は、ここにありますか?」
七緒は言葉を強めた。
そうだ。脇毛の話をしにきたのではない。当初の目的は、奪われた『花』を取り返すこと。
「あるよ」
「返してください!」
やはり、ここにあった!
七緒の心臓が一段高く跳ねた。
「ちょっと待って……まぁ、見てもらおう」
そう言うと、三好は七緒を部屋の奥へと案内した。
迷路のように曲がりくねった道を抜けると、積まれた段ボールの影に扉が隠れていて、奥は暗室になっていた。そこは比較的片付いていて、室温も低く保たれている。部屋の中央で、巨大な翠色のビーカーの中に浮いているのは、紛れもなく七緒の『睡蓮』だった。
七緒は息を飲み、ビーカーに駆け寄った。
才能の『花』。私のもう一つの心臓。
淡い桃色の睡蓮が、翠色の液体の中で淡く輝いている。
『花』は枯れていなかった。しかし此処まで近づいても、身体に咲き戻らない。思わず手を伸ばしたが、ビーカーはビクともしなかった。一体どんな仕掛けなのか……ほとんど睨むような目つきで、七緒は三好を振り返った。
「返してください」
「人体だと移植したら拒絶反応が出てしまうだろう? だから機械ならどうかと、試しているところなんだよ。機械の生命体……機械獣さ。なにを隠そう、六太くんの機械羊駝は僕の試作品なんだ。羊駝には何の能力もないけど、触媒としては実に優秀で」
「返してください!」
「あと三日……いや、二十四時間くれないか」
三好がずり落ちたメガネを光らせ、口惜しんだ。
「もう少しでデータが取れそうなんだ。大丈夫、決して危害は加えない。きちんと返すと約束する……」
「約束?」
七緒は鼻息を荒くした。
「そんな約束、どうして信じられるんですか!? 博士、人が死んでるんですよ!」
「死んでる?」
三好が怪訝そうな顔をした。
「そりゃ一体どういうことだい?」
三好の様子に、七緒は違和感を覚えた。この人、浮都で起きてることを知らないんじゃないかしら? 彼女は掻い摘んで事件を説明した。案の定、三好は驚いて目を白黒させた。
「そんなことになってただなんて……知らなかった。僕はてっきり、『花』は持ち主の元に無事返却してるものとばかり……」
博士が言うには、つい最近(ちょうど事件が起こり始めた頃だ)、あの黒服の少年がやってきて、協力したいと申し出てきたのだという。自分達が『花』を調達するから、それを研究に役立て欲しい……と。
「あいつらは何者なんですか?」
「詳しくは……僕と同じ研究をしている、地下組織だと聞いてるけど」
三好の顔色は優れなかった。
「博士は、具体的にどんな研究をしているんですか?」
「『人工才能』だよ」
「『人工才能』?」
「ああ。僕が生まれつき『無能』だったって話はしたよね。だけどある日突然、『才能』が開花した……それで思いついた。『才能なんて、脇毛みたいなものなんだ!』って」
「…………」
「魚に空を飛べとか、鳥に海の中に潜れと言ったって、無理な話だろう。それと同じさ。自分の得意不得意を生かすんだ!」
「なるほど……脇毛の例えは良く分かりませんが、概要は理解しました」
「ありがとう。七竈博士は良く言っていた。『人間は皆、生まれながらに何かしらの才能を持っている』……と」
「ええ」
「だけど残念ながら、僕の考えは君のお父さんとは真逆だ」
三好がほほ笑んだ。
「『生まれながらに才能を持った人間なんていない、
「それは……」
七緒はためらいがちに首を振った。
「それはあり得ないでしょう。だって、『音楽家』とか。生まれつきピアノの才能がある人……現にいるわ」
「じゃあもしピアノが発明されてなかったら?」
「え?」
「もしこの世に、ピアノというものがなかったら……モーツァルトもベートーヴェンも、『無能』ということで処分されていたのかな?」
七緒は一瞬言葉に詰まった。
「……三好博士は要するに、何を作っているんですか?」
「言うなれば、『無能のためのピアノ』だよ」
「つまり……『無能』な人間は、才能がないんじゃなくって、まだ自分の能力を発揮する楽器に出会っていないだけ……と仰りたいんですか?」
「御明瞭。さすが『有能』だ、たった一言でそこまで汲み取ってくれるとは」
「だけどそれだと、『生まれつきあった才能が埋もれていただけ』と言うことになりません?」
「そうかい? まぁそれでも良いんだよ。僕は自分の理論が正しいと証明したい訳じゃない、ただこの世には、少しばかり花と音楽が足りてないような気がしているだけなんだ」
三好の顔が熱を帯びてきた。彼は自分の研究に熱中しているようだった。七緒は押し黙った。
人工的に、才能を“作る“。
そんなことが可能なのだろうか?
いや、
そもそも可能か不可能かではなく、
たとえば遺伝子を組み換えて、生まれつき足の速い子供を作る。
そんなことが許されるのだろうか?
「どうして? 何がダメなの? 『有能』だって元はそうじゃない。義手だって、義眼だって作った。才能だけは作っちゃダメなんて掟は無いだろう」
「でも……倫理的に……」
「じゃあメガネは良いの? 孫の手は? 何処までは作って良くて、何処までは作っちゃダメなのかな? それって誰が決めてるの?」
「…………」
「カメラが発明されて間もない頃、昔の人は写真を撮るのにも一苦労していた。ところが、今じゃどうだい? 『無料で気軽に写真が撮れるアプリ』とか、昔の人から見たら物凄い能力、それこそ『万人が手に取れる才能』だと思うよ。かつての偉人先人たちはこう云ったんだ。"名月や コンパス使えば すぐ描ける"」
才能は作れるんだ。自分の研究を語る三好の顔は、少年のように輝いていた。
「……この発明が完成すれば、もう『無能』の人たちは殺されなくて済むかもしれないんだよ」
「…………」
「今時”天然物”しかダメだなんて、神様も、そんな好き嫌いしないだろ?」
今に『能力』とか言うやつが、毎日靴下を選ぶみたいに、誰でも気軽に着たり脱いだり出来る時代が来るだろう。
そう言って彼は笑った。
興奮気味の三好とは対照的に、七緒は言い知れぬ不安に襲われた。
全人類に才能の『花』が芽生えれば、『無能』はいなくなる。
この研究が平和への礎になる。
恐らく三好博士は、そう信じているだろう。
それ自体は尊いものなのかもしれない。
だが哀しいかな、世の中は善意だけでは回っていない。
ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル。
毒ガスの父フリッツ・ハーバー。
原子力の基礎を築いたアルベルト・アインシュタイン。
AI然り、ゲノム編集然り、いつの時代も、最先端の科学技術は軍事利用されてきた。
もし、彼の研究に目をつけたあの地下組織とやらが、『人工才能』を兵器に利用しようと考えていたら……。
もし『無能』に『人工才能』を生やしたらどうなるか。
今まで虐げられていた者に、武器を与えたらどうなるか。
今までのことは全て水に流し、
奴隷と主人は手を取り合って、みんな笑顔で世界は平和……になるだろうか?
否、むしろ血で血を洗う、大戦争になるのは間違いない。
先日出会った河童たちを見ても、すでに様々な思惑が動いていると見て間違いない。或いはあの河童も、黒服の仲間だろうか?
いずれにせよ、下界にどれくらい『人工才能』が広まっているかは分からないが、恐らく各地で戦力が整えられつつあるのだろう。遅かれ早かれ衝突は起きる……。
「あ……ちょっと待って。また来客みたいだ」
気の抜けたチャイム音が、七緒の思考を妨げた。博士が地上へと向かい、彼女は一人暗室に残された。静かになった部屋に、コポコポと泡の音が鳴り響く。
……今すぐ、この研究室を破壊するべきだろうか?
七緒はふとそんな考えに囚われ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
大袈裟でなく、此処が世界の分岐点になるかもしれなかった。
『人工才能』が悪意のある者の手に渡る前に……いや、もう遅いのかもしれない。
心臓が早鐘を打った。冷や汗が背中を伝い、次第に呼吸が荒くなってくるのが分かる。
どうしよう?
今が絶好のチャンスなのかもしれない。
どうしよう……どうすれば。
七緒が迷っていると、博士が見知った顔を連れて戻ってきた。
「だ〜れか忘れちゃいませんか、お嬢さん」
「あ……生きてたんだ」
「タリメーだ! 勝手に殺すな!」
トゲトゲしい声がたちまち静寂を、暗闇を突き破る。
「ハッハァ! 地獄の底から舞い戻って来てやったぜぇ〜ッ!!」
六道六太。
この物語の、もう一人の主人公だった。
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