第17話 夜会
胃が痛い。
レイヤーズ伯爵領へ行くときもマチルダは胃の痛い思いをした。そして今は、もっと胃が痛い思いをしているのだ。
マチルダのお披露目だと言ってエーリアは、よりによって王宮の夜会を選んだのだ。
顔見知りのお家にお邪魔してのお茶会ではなくて夜会。それも王宮! 聞いた時マチルダは、貧血を起こしそうになってしまった。
マチルダと2人きりで馬車に乗ると主張するシモンを、腕力で黙らせたエーリアから、問答無用でマチルダは王都に向かう馬車に詰め込まれた。
しり込みしている暇もなく、そのまま王都へと連行されてしまったのだ。
もともと強い自己主張の出来ないマチルダは、何とか口を挟もうとするのだが、その度にエーリアとシモンから、いいように話を持っていかれてしまい、胃が痛むままに、夜会へと参加することになってしまった。
驚くことに、マチルダのために煌びやかなドレスが用意されていたのだ。
エーリアから婚約祝いと言われたが、いつの間にこんなドレスを仕立てられたのか。ゴツイマチルダには、既成のドレスを着ることはできないからオーダーメイドだと分かり切っている。
その上、マチルダのドレスとシモンのタキシードは、刺繍は揃いだし、指し色は互いの瞳の色になっている。誰が見たってペアルック仕様なのだ。
エーリア曰く、デザインを決めている時に、シモンが口を挟んだからだと言っていた。
なぜその時にマチルダにも知らせてくれなかったのか、知らせてもらっていたら、ここまで高価なドレスは辞退したというのに。
何人も連れてきているエーリア子飼いの侍女たちが、マチルダを着飾らせてくれたが、どんなに凄腕をした美のカリスマだろうと、ゴツイマチルダを華奢な美少女へと変えることはできない。
案の定、ゴツイマチルダは、煌びやかな夜会では浮いてしまっている。
シモンがエスコートしてくれているのだが、なおのことマチルダはいたたまれない。隣にいるシモンは、絵本から抜け出た王子様のように美しいから。
背はマチルダより少々低いが、ゴツイマチルダとは正反対のスレンダーなスタイルに、厳ついマチルダとは正反対の甘いマスクの整った顔。その上、伯爵とはいえ、王家ですらないがしろにできない辺境伯家の跡取りなのだ。
周りの女性たちがウットリとシモンを見ているのがマチルダには分かってしまった。
胃が痛い。
未成年のマチルダは、今まで夜会に参加したことは無かった。それも王家の夜会など、余りにも恐れ多い。
今まで体験したことのない、ゴージャスでキラキラの会場に、場違いすぎて、ここからいなくなってしまいたいと、切に願うマチルダだった。
「まあ、久しぶりにシモン様にお会いできたのに、あの隣の方は誰かしら。すごく体格のいい方ね」
「シモン様にお会いできたら、お傍に行こうと思っていたのに。なあにあれ、女性らしくない方ね。シモン様には、似つかわしくないわ」
「本当に、あんなに体格が大きいなんて、女性じゃないみたい」
ヒソヒソとした話し声が、どんな小さな音も聞きのがさないよう魔獣討伐のために訓練されたマチルダの耳に聞こえてくる。
噂をしているのは、一人二人ではない。この会場にいる女性全てがマチルダのことを噂しているように感じられる。
マチルダは落ち込むよりも、自分なんかをエスコートしているシモンに恥をかかせてしまっていると焦る。なんとかシモンと離れなければ。
「フフフ。やっぱりだ」
マチルダはエスコートされている手を離そうかとシモンを見ると、シモンは笑っていた。
シモンにも周りの女性達の声が聞こえたようだ。
「余りにもマチルダが美しいから、周りの女性達は、嫉妬しているようだね。まあ当たり前のことだからしょうがない。ただ女性の嫉妬はしかたないが、男どもが、マチルダにちょっかいを出すのはいただけないな。早く自分の婚約者なのだと、発表をしないと、マチルダからちょっとでも離れることができないじゃないか」
「はあ?!」
シモンの思いもかけない言葉に、マチルダは、うっかり令嬢らしからぬ声を上げてしまった。
シモンが本気で言っているとは、にわかに信じられないが、いきなりシモンから腰を引き寄せられ、ピッタリとシモンと寄り添うことになってしまった。マチルダは、一気に赤くなり、顔を上げることができない。周りの女性達からは、悲鳴のような声が上がっている。
「ああそうだな。王族が来たら、さっさと婚約を発表しようじゃないか」
一緒に入場したレイヤーズ伯爵夫妻も、シモンに同意する。
婚約者としての資格がないと思っているマチルダだけが、婚約発表をしてもいいのかと思っているのだった。
「まあ、ごらんになって、あんなドレスを着て。エーリア様は辺境にいらっしゃるから、ドレスコードもご存じないのね」
「一緒にいらっしゃるお嬢様も、襟の詰まったドレスだなんて、夜会で着るものではないのに、恥ずかしいわよねぇ」
聞えよがしのヒソヒソ声が届いてきた。
豪華なドレスに身を包んでいるマチルダだが、背中の開いたデザインのドレスでは無い。
エーリアのドレスもそうだ。エーリアはマチルダを思い、背中の開いていないドレスを選んでくれたのだろう。エーリアにまでも迷惑をかけることになり、マチルダは申し訳なくなってしまう。
「フンッ、誰だいコソコソと。言いたいことがあるのなら、ちゃんと人の目を見て言ったらいいだろう」
「まったくだ、人に難癖をつけるのなら、堂々と出てきてもらおうか」
レイヤーズ夫妻は、尊大な態度で広間を
辺りは水を打ったかのように静かになってしまった。楽団の音楽さえ止まってしまったようだ。
レイヤーズ辺境伯は、伯爵であり、貴族位は高くない。高くないどころか、この王族の夜会の中では低い部類に入る。
しかし、誰一人としてレイヤーズ伯爵夫妻を咎める者はいない。それどころか、噂話をしていた婦人たちの夫が慌てて駆けつけ、ペコペコと頭を下げながら、夫人達を問答無用で、どこかへと連れて行ってしまった。
マチルダはまだ知らないが、レイヤーズ辺境伯に楯突いたら、それどころか嫌われたら、このガッツィ国で生きていくことはできない。それは純然たる絶対事項なのだ。
ガッツィ国は国土の外周6割を海に面している。海に面した領土を持つ家々は、海からの魔獣と海賊たちを恐れ、高い防波堤で海沿いを囲ってしまっている。それこそ他国との交流や流通のために港を開放するよりも、防御に力を入れざるおえない状態なのだ。
それほどに魔獣は恐ろしい存在だし、魔獣の襲撃に乗じて襲ってくる海賊たちも、油断できない相手なのだ。
魔獣は獣とは違う。特殊な訓練をした者達にしか、討伐することはできない。
もし魔獣が防波堤を越えてやって来た時に、助けを求め、縋る相手はレイヤーズ辺境伯しかいないのだ。レイヤーズ辺境伯家にそっぽを向かれたら、本当の意味で、生きてはいけない。
それに魔獣や海賊たちを気にせずに寄港できるのは、レイヤーズ辺境伯領にある港だけといっていい。外国からの船は、全てがレイヤーズの港を目指してやってくる。
国防と流通。大きな2つの要であるレイヤーズ辺境伯に逆らえるのは、王家ですら難しいということだ。
「まあ、エーリア、お久しぶりね」
シンとした会場に、鈴のなるような美しい声が響いた。
周りの者たちが一斉に頭を下げる。
王族が広間へと現れたのだった。
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