第12話 マチルダの怪我


マチルダの傷は、思ったほど酷くはなかった。キチンとした装備をしていたおかげで、怪我を負ったが致命傷にはならなかった。

それでも魔獣の傷は治らない。

怪我としては治るのだが、醜い痕が残るのだ。どんな治療をしても傷跡を消すことはできない。

マチルダは肩から背中にかけて、赤黒い引き攣れが残ることになってしまった。



「僕のために、マチルダ済まない」

何度聞いたか分からない謝罪の言葉をマチルダは受ける。目の前のシモンは項垂れ、顔色は悪い。


マチルダが魔獣に怪我を負わされてから、もう2週間が過ぎようとしていた。その間シモンは、学園に行くことなく、マチルダにつきっきりだった。

マチルダにすれば、傷は見た目に反して、強い痛みもなければ、障害が残るようなことも無かった、気にするシモンに逆に申し訳なく思ってしまうのだ。


「シモン様、何度も言っていますが、シモン様が謝ることなど何もありませんわ。私が怪我をしたのは魔獣にやられたからです。シモン様のせいなんかじゃありません」

「だが、僕を庇った怪我だ。僕が気を抜いていたから魔獣が近づいていたことに気が付かなかった。僕の責任だ」

「もう、シモン様ったら……。父様のせいですよ」

マチルダはシモンと共に部屋に入って来た父親にしかめた顔を向ける。


「シモン君、マチルダもああ言っているから、謝ってくれなくても……」

「父様」

「ああ、いや、ほら、私かシモン君を無理矢理討伐に連れて行ったから、悪いと言ったら私が一番悪いのだよ」

マチルダの睨みに、ウインスター伯爵が慌てて言い繕う。


この怪我を負った時、マチルダは伯爵へと、さんざん文句を言ったのだ。海の魔獣討伐しか経験の無い、ほぼ素人といえるシモンをいきなり森の魔獣討伐に連れていったうえに、専用の護衛も付けずにいたのだ。いくら後衛だとはいえ、魔獣はどこから襲ってくるか分からない。マチルダが怪我をしたから問題にはなっていないが、もしシモンが怪我をしていたなら、レイヤーズ伯爵家からどれほど責められたか分かったものではない。もしかしたら国同士の問題に発展してしまっていたかもしれないのだ。


「いいえ、討伐に参加していたのに、気を抜いていた僕の責任です。マチルダには消えない傷を負わせてしまって……」

シモンはマチルダの肩へと視線を向ける。


いまもマチルダは自室のベッドの上で、上半身を起こした状態だ。

寝間着の上にガウンを着ているから、ほぼ肌は見えていないのだが、首近くに少し包帯が見える。

怪我に包帯はしているが、マチルダにすれば、ほぼ完治したようなものだ。怪我を診てくれた医師も、マチルダの回復力に驚いていたぐらいだ。

もうベッドから離れて、通常の生活を送りたいと思っているのに、周りの誰一人として、それを許してはくれない。シモンにいたっては、毎日マチルダの寝室に入り浸って、少しでもマチルダの世話をしようとしてくる。

未婚女性の寝室に簡単に入ってこられると困るのだが。


「シモン様、私に怪我の痕が残っても、なんら問題はありませんわ。元からこんな厳つい顔をしているのですもの。傷の1つや2つ、どうってことないですわ」

ウフフ、と笑うマチルダに対して、シモンの顔は暗い。


「マチルダ、どうかそんなことは言わないでくれ。傷なんて無い方がいいにきまっているのだから。僕は自分の婚約者をこんな目にあわせてしまって情けない」

項垂れるシモンを見て、マチルダは父親へと視線を向ける。その凄く冷たい視線に、伯爵はピクリと肩を震わせる。

今までマチルダから、こんな視線を向けられたことは無かった。マチルダは素直な優しい娘で、マチルダ自身が不幸な目に合っても、決して不満も文句も言うことは無かった。今の状況がそうで、マチルダが怒っているのは、マチルダが幼い頃より好意を寄せていたシモンが苦しんでいるからだ。

シモンは悪くない。そんな状況を作った伯爵をマチルダは非難しているのだ。


「え、えーっと、シモン君、今回の件は、申し訳なかった。それでなのだが……。うーんと、あの、ほらあれだ。マチルダとの婚約だが、解消ということで」

「はあっ、ど、どういうことですかっ。いきなり婚約を解消だなんて。僕が情けないからですかっ、僕が不甲斐ないからですかっ!」

いきなりの伯爵の申し出に、シモンは一瞬、何を言われたから分からなかった。その意味を理解した途端、悲鳴のような声を上げていた。


「そうではない。シモン君には何一つ落ち度は無い。マチルダがレイヤーズ伯爵家に嫁ぐことができなくなったのだ」

マチルダは傷物令嬢になってしまったのだ。

貴族令嬢に傷があってはいけない。背中の醜い傷は、もう一生治らないのだから。


ガッツィ国の貴族女性は、夜会や舞踏会などに参加する時、背中の開いたイブニングドレスを着ることになっている。暗黙の了解というもので、王妃が若い頃に広めた慣わしで、すでに40年ほど続いている。どんなにデザインが優れたドレスでも、背中の開いたものでなければ、礼儀にかなっていないとされる。

逆にアフタヌーンドレスでは、肌は出さないようにする。


マチルダは、もうイブニングドレスを着ることはできない。社交の場に出ることができなくなったのだ。

レイヤーズ伯爵家の跡取りであるシモンの妻が、社交の場に顔を出さないなど、許されることではない。マチルダがレイヤーズ伯爵家に嫁ぐことはできなくなった。いや、ガッツィ国の貴族家に嫁ぐことはできなくなったのだ。


「そんな……」

「シモン様、どうかお許しください。私はレイヤーズ伯爵家には、相応しくありません」

「シモン君、何度も言うが君のせいじゃない。私の考え無しの結果だ。私はもちろんだが、私の跡を継ぐガイザックもマチルダを可愛がっている。けっしてマチルダの将来が悪いものになることはない。シモン君が思い悩む必要はないのだよ。せっかくマチルダと婚約をしてもらっていたが、こんな結果になってしまって申し訳ない。レイヤーズ伯爵家には、私の方から、詫びを入れさせてもらう」

頭を下げる伯爵を、シモンは呆然と見ていた。


「嫌です、嫌です、絶対に嫌ですっ。僕はマチルダとの婚約を白紙になんかしないっ。そんなことは絶対にさせないっ。僕はマチルダが好きなんだ。絶対にマチルダと結婚しますっ」

シモンの叫ぶような宣言をする。


伯爵は驚きに目を見開き、マチルダは驚いたが、それよりも顔を赤らめ、下を向いてしまうのだった。


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