第2話 あの日

「和哉!いつまで寝てるの!?早く起きなさい、遅刻するわよ!!」


階下から響く母の声で和哉は目が覚めた。

昨夜は遅くまで大好きな小説の新刊を読み耽ってしまっていたため寝不足だ。

しかし、学校がある以上いつまでも寝ている訳にはいかない。

和哉は渋々ベッドから這い出し、欠伸をしながら階段をおりた。


キッチンでは母が朝食の準備をしており、リビングからはテレビの音が聞こえてくる。

父は既に出勤しているようだ。

洗面所で顔を洗い、ダイニングテーブルに着き朝食を摂る和哉に母が話しかけてきた。


「あんた、今日も道場でしょ?お父さん、ちょっと行くの遅くなるから、代わりに道場の鍵開けといてって言ってたわよ。よろしくね」


「うん、分かった」


和哉の家では父親が弓道の師範をしており、和哉自身幼い頃から自宅近くの道場で父親から弓の指導を受けているのだ。

母親とそんな話をしていると、ドタドタと階段を駆け下りてくる音が聞こえてきた。

和哉の妹の美緒みおだ。


「あっぶなーい!セーフだよね!?」


中学三年生だがまだ子供っぽい雰囲気を残している。

ショートボブにした明るい茶色の髪を寝癖がついたまま整えようともせず、彼女は慌てて食卓についた。

そんな美緒に和哉は呆れて注意する。


「美緒、朝からうるさいよ、もう少し静かに出来ないのか?」


「え~、だってギリギリだったし――っていうか、お兄ちゃん、また雑誌で特集組まれてたよ!もう、友達みんな“お兄さん紹介いて~”ってうるさくてさ~」


そう言うと美緒は広げた雑誌をバサッと和哉の前に置いた。

その見開きには――


『弓道界の貴公子!!』

『アイドル顔負けのルックスで女性に大人気!!一条和哉の素顔に迫る!!』


と大きく見出しが書かれ、その横にはインタビュー記事とその時撮られた写真も載っている。


(そういえば、そんな取材を受けたな……)


和哉はそれをチラリと一瞥した後、すぐに視線を戻した。


「別にわざわざ僕の事なんか宣伝してくれなくてもいいのにね」


「何言ってんの?お兄ちゃんのファンが聞いたら泣くよー?ほら、このページとか凄くカッコいいよ!!」


そう言って美緒は先程の雑誌の写真を指差す。

そこには弓を構えて立っている和哉の姿があった。


(う……これは確かにカッコよく撮れてるな……)


それはまるで映画のワンシーンを切り取ったような絵になっていた。

“キリリとした眉、少し憂いを帯びた眼差し、そして風に揺れる艶やかな黒髪……”という文章と共に、まさに映画俳優のように盛りに盛って写された和哉が掲載されていた。

和哉は気恥ずかしさと居たたまれなさで、慌てて雑誌を閉じつつ美緒に苦言を呈した。


「――そっ、そんな事より早く朝ご飯食べないと遅れちゃうだろ!?」


「あ、そうだった!急がないと!」


美緒は慌ててパンを口に詰め込むと牛乳で流し込んだ。


「じゃあ行ってくる!」


バタバタと慌ただしく玄関へ向かう妹を見送りつつ、和哉も急いで朝食を食べ終えると、自分も学校へ急ぐため、鞄を掴み慌てて家を飛び出したのであった。


****

****


「きゃー!!一条君よ~!」


「ホントだー!カッコイイ~!こっち向いてぇ~」


学校に付き、昇降口へ向かう和哉へ女子生徒たちの黄色い声がかかる。


(あー……またか……毎朝の事とはいえ困るな……)


内心げんなりしつつもそれを表に出さないよう気を付けながら、和哉は愛想笑いを浮かべつつ手を上げ「おはよう」と挨拶を返す。

すると更に黄色い声が大きくなった。


(はぁ……勘弁してほしいよ……)


和哉自身は自分がそこまで騒がれるようなルックスをしているとは思っていない。

”弓道界を盛り上げたい”という考えの大人たちに良いように利用され、持ち上げられているだけだと理解しているのだ。


(メディアの影響ってすごいな……)


そんな事を考えながら教室に入ると、友人の一人が話しかけてきた。


「よっ!和哉、おはようさん」


「あぁ、優斗、おはよう」


彼は高橋優斗といい、サッカー部の主将でもある爽やかなスポーツマンタイプのイケメンである。

彼の周りはいつも男女問わず多くの生徒に囲まれている。

そんな人気者の彼がなぜ自分に話しかけてくるのか不思議だったが、なぜか気が合うので一緒にいる事が多かったし――『親友』と言ってもいいぐらいには仲が良いと和哉は思っている。


「相変わらず凄い人気だな!」


揶揄うようにニヤニヤと笑う彼に、和哉は少しうんざりしながら答えた。


「いや、毎日本当に困ってるんだよ……」


「まぁそう言うなって!――そういや、お前、また女と別れたってホントか?」


「はは……本当だよ。実は彼女に振られちゃってさ」


実は和哉には少し前『彼女』と呼べる存在がいたのだ。


「え!?マジかよ!?お前、これで何人目だ?ったく羨ましいぜ……」


「いや、全然羨ましくなんかないよ……最初は女の子から告白してきて“どうしても”って言うから付き合うんだけど……そのうち“和哉の事が分かんない”とか言われて結局いつもフラれるんだよなぁ」


「えぇ~?それってお前が悪いんじゃね?」


「なんでだよ!?」


和哉が思わずムッとして言い返すと、優斗は苦笑した。


「だってさぁ、お前の中身も見ずに『見た目』だけで告ってくるその子たちもまぁその子たちだけど……そんな女の子たちに流されるように付き合うお前が良くないんだよ。もうちょっとしっかりしろよ!」


(うっ……まぁ、確かに……)


優斗のもっともな意見に和哉は返す言葉もなかった。

そんな和哉に優斗はニッと笑い掛けると冗談めかして言う。


「もう、いっその事自分が誰かを好きになるまで独り身でいたらどうだ?そしたらフラれる事もなくなるし――俺もお前と遊べる時間が増えるしな!あははっ」


「フッ……まぁ、それでもいいか――って、それよりさ、昨日、新刊出たんだよ!」


優斗の言葉に苦笑いをしつつ和哉は話題を変えるべく鞄の中から一冊の本を取り出し、優斗に見せた。

タイトルは『ダブルソード』――今話題の人気小説だ。

それを受け取った優斗はパラパラとめくりながら呟いた。


「……へぇ、これがお前の言ってた小説かぁ……面白そうだな、どんな内容なんだ?」


優斗からの問いに、和哉は待ってましたとばかりに熱く語り始めた。


「主人公はギルランスっていう『勇者』の称号を持つ冒険者なんだけど、相棒のラグロスと一緒に魔王から世界を守るって話だよ!」


「ふ~ん、なんか王道のファンタジーって感じか?」


「そうそう、ギルランスとラグロスの熱い友情!そして、幼馴染のアミリアとの恋愛模様!――で、なによりそのギルランスがめちゃくちゃカッコいいんだよ!貴族の出で双剣使いの剣の達人!しかもイケメンで強くて優しくてとにかく完璧なんだ!もう最高だよ!!」


「お、おお……そうなんだ」


あまりの和哉の推しっぷりに若干引き気味になりながらも、優斗も興味深そうに聞いていた。


「あと、相棒のラグロスもカッコいいんだ。ギルランスと同じ師匠に育てられた兄弟子あにでしで弓の達人――」


興奮を抑えられずに更に和哉が語り出したその時だった――

キーンコーンカーンコーン……

話を遮るかのようにチャイムが鳴り響いた。


(あ、やば……)


和哉は時計を見て焦った。

もう朝のホームルームが始まる時間になっていたのだ。

大好きな小説についてもっと語りたかったが仕方がない――和哉は渋々その本を鞄の中にしまった。


「いいとこだったのに……続きは後で話すよ」


「おう!頼むわ」


そう言うと二人は慌てて席へと着いたのだった。


****

****


(はぁ……やっと終わった……)


帰りのHRが終わり、和哉が帰りの支度をしていると優斗が声をかけてきた。


「なぁ和哉、今日部活休みだし、これからどっか行かねぇ?」


その提案にやぶさかではない和哉だったが、今日は父親の言いつけで道場の鍵を開けなければならなかったし、何より弓道の大会が近々開催される予定もあり、それに向けての練習もしなくてはならない。


「あー……ごめん、今日はちょっと用事があって……また今度誘ってよ」


「あ、そっか!そういえばお前んとこの道場、来週大会だったよな?悪い、忘れてたぜ」


申し訳なさそうに頭を搔く優斗に和哉は笑って答えた。


「こっちこそ付き合えなくてごめん――終わったら連絡するから」


「おう!じゃあまた後でな!」


そう言うと二人は別れそれぞれ帰路についたのだった。


****

****


和哉は道場で袴姿に着替えると、いつものように練習をはじめた。

まだ誰も来ていない。

和哉はこの静けさが好きだった。


射場に立ち、矢道(中庭)を挟んで向かいにある的に向かい矢を番える。

意識を一点に集中させゆっくりと呼吸を繰り返すと、周りの雑音が消え去り、頭の中がクリアになるのを感じる。

ギリリと弓を引き絞り、的を狙い――カンッという弦の音と共に矢を放つと、パンッと乾いた音が道場内に響いて的に刺さった。


(うん、悪くない)


手ごたえを感じながら次の矢を番えようとしたその時だった――どこからともなく「ミャ~」と猫の鳴き声が聞こえてきた。


(――ん?猫?……どこから?)


和哉はあたりを見回すが、広い道場内に猫の姿は見えない。


「気のせい……か?」


首を傾げつつ気を取り直して練習に戻ろうとした時、再び聞こえてくる猫の鳴き声。


「ミャー、ミャー」


和哉は弓を置き、声を頼りに辺りを探す事にした。

矢取道を通り、的場を横切り道場の端の扉を開けた――すると裏庭に出た所にある一本の大きな楓の木が和哉の目に入った。


(――あ、いた!)


なんと、白いふわふわの毛をした小さな子猫が高い枝の上でこちらを見下ろしていたのだ。

おおかた登ったはいいが降りられなくなっしまったのだろう――そう思った和哉は急いで物置小屋から脚立を持って来くると、その子猫がいる場所まで登り、手を差し伸べながら声をかけた。


「おいで、怖くないよ」


しかし、その子猫は怯えているのか、中々降りて来ようとしなかった。


「ほら、大丈夫だよ」


そう言って和哉は手を伸ばすが、なかなか届かない。


「もう少し……――あっ!!」


その時だった、足場にしていた脚立がグラリと傾き、体制を崩した和哉はそのまま真っ逆さまに地面へと落下してしまった。

頭部に強い衝撃を受け、そのまま和哉の意識が遠のいていく――


(あれ……これ……ヤバいんじゃ……)


薄れゆく意識の中、遠くで声が聞こえた気がしたが、和哉はそれが何かも分からず暗闇に飲み込まれていったのだった……。

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