第2話 出会い

(確か……僕、木から落ちて……あれ? それからどうなったんだ?)


夕陽で赤く染まる見渡す限りの荒野でポツンと座り込みながら、和哉は今の状況を考えていた。


木から落ちたはずなのだが、どこにも怪我らしき箇所はない。

気が付いた時には荒野のど真ん中に身一つで倒れていたのだ。

自分の身に何が起きたのか、ここがどこなのかが全く分からないまま、これまでのこと、そして、これからのことを考えあぐねていた。

すると、そんな和哉の耳に遠くから何かが駆けてくるような地響きが聞こえてきた。


(――!?)


一気に緊張が走り身構える。 

和哉はすぐに立ち上がると、岩の陰から音のするほうをそっと覗き様子を窺った。遠目に見えるあれは……


(馬だ!)


しかもその馬に乗っている人影らしき者が見える――それは、誰かが黒い馬にまたがり、こちらに駆けてくる姿だった。

徐々に近づいてくるその人物は、ストールを頭部全体に巻き付けていて目の部分だけを露出させる、所謂いわゆるゲリラ巻きをしているため、人相までは分からなかった。

ただ、どうやら男性のようだということは分かる。


(た、助かったかもしれない!)


和哉の中に僅かな希望が芽生えた。

疲労と空腹で限界の和哉には“もし彼が悪い人物だったら……”などと疑う余裕も無かった。

藁にも縋る思いとはこういうことなのだろう――気付けば和哉は岩陰から駆ける馬の前に飛び出していた。


「ヒヒヒ~ン!」


いきなり現れた人影に驚いたのか、駆けていた馬はいななきと共に大きく前足を上げ、さお立ちになった。

乗っていた男は振り落とされまいと必死に手綱を握りしめ、馬を落ち着かせる。

なんとか馬を鎮めた男はフウと息を吐くと、巻き付けた布の間から鋭い目で和哉を睨みつけた。


「バカ野郎! 死にてぇのか!」


開口一番、いきなりの怒鳴り声に、和哉はビクリと身をすくませた。


(こ、怖い……!)


しかし、ここで怯んではいられなかった。

なにしろ自分がこの世界に来て初めて出会った〝人間〟なのだから。


「あ、あのっ!」


「あ゛ぁ?」


怖気づく気持ちをねじ伏せながら思い切って声をかける和哉に対して、男は機嫌の悪さを隠そうともしない声色で応えた。

凄みのある声の迫力に和哉は一瞬怯むが、それでもなんとか言葉を続けた。


「た、助けてください! 僕……気が付いたらこんな所で……身一つで倒れてて……」


必死に訴える和哉だが、男は黙って睨み返すだけだ。


(ダメだ……この人、話が通じないのかも?)


男の反応の無さにガッカリする和哉だったが、諦めるのはまだ早かったようだ。

男の目に戸惑いの色が浮かんだのだ。


「なんだ、コイツ……?」


和哉の必死の訴えにただ事ではないと感じたのか、男はボソリと呟くと馬から下りて、警戒するような眼差しのまま腰に携えた剣に手を添え、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。


そので立ちはまるでゲームか物語に出てくる剣士そのものだった。


身長は和哉より高く、おそらく180㎝半ばくらいはあるだろう。

鍛え抜いた、引き締まった筋肉をしていることが服の上からでも見て分かる。

ストールを巻いているので人相までは分からないが、カーキ色の布の間からは金色がかった琥珀色の瞳が鋭く光って見えた。

布の下から覗く髪の色は銀色だ。

出で立ちは、黒いアンダーシャツの上に金糸で縁取りされた藍色っぽいスタンドカラーのロングジャケットをラフに着こなし、その上にマントを羽織っている。

下は黒いズボンに膝までのブーツを履いていた。


(あれ? この恰好、どこかで……?)


和哉は既視感を覚えた。

初めて会った人のはずだが、どこかで見たような記憶があるのだ。

銀髪の男は和哉の目の前まで来ると、見下ろすようにして話しかけてきた。


「おい、お前」


「は、はいっ!!」


高圧的に声をかけられ、和哉は緊張のあまり裏返った声になる。


「こんな所で何をしている」


(――そんなの僕のほうが知りたいよ!)


男の問いに和哉はどう答えてよいのか分からなかった――そもそも、ここがどこなのか、すら分からないのだ。

とりあえず正直に答えるしかなかった。


「あの……分かりません」


「はぁ!? 分からないだと?」


「はい……」


ストールの間から覗く男の眉間に皺が寄る。


「んなわけねぇだろ! どうやってここまで来たんだ? しかもそんな恰好で……ここがどんなとこか分かってんのか?」


「ほ、本当にぜんぜん分からないんです! 気が付いたらここにいて……」


和哉が必死に訴えると男は少し考えるように腕を組み、そして何かを思いついたかのようにハッとした表情を浮かべた。


「まさか……記憶がないとか、か? 自分の名前は覚えてんのか?」


その問いかけを受け、和哉は即答することができなかった。

全く記憶がないわけではない。

ただ、なぜこの状況に至ったかを話すことができないのだ。

ならば、とりあえずここは男が言ったように”記憶喪失”ということにしたほうが都合が良いかもしれない――そう考えた和哉は、聞かれた名前だけを告げることにした。


「名前は……覚えています、僕は一条和哉といいます」


「イチジョウカズヤ? 変わった名前だな……」


銀髪の男は再び暫し考えるような素振りを見せてからおもむろに口を開いた。


「……俺はギルランス・レイフォードだ」


「えっ!?」


男の名前を聞き、和哉は自分の耳を疑った。


(今、この人、ギルランス・レイフォードって言った? この名前って……しかもこの恰好……もしかして? いや、まさか……)


その名前に心当たりがあり過ぎて、つい、まじまじと目の前の銀髪の男を見てしまう。

すると、和哉の不躾な視線に気付いたのか、ギルランスと名乗った男は眉間に皺を寄せ、不快さを露わにしながらギロリと鋭く睨みつけてきた。


「――あ゛? なにじろじろ見てんだよ?」


(こ、怖い……)


「い、いえ、あの……」


和哉がもじもじと言い淀んでいると、ギルランスはさらに不機嫌そうに顔を歪め、苛立ちを隠さず怒鳴り声を上げた。


「てめぇ! さっきから何なんだよ!? 言いたいこがとあるならはっきり言え!」


「は、はいっ!! すみませんが、お顔を見せてもらってもいいですか!?」


咄嗟に出た言葉だったが、実際彼の顔を見たいと思っていたのは事実だ。


「はあ??」


予想もしない言葉だったのか、ギルランスは一瞬何を言われたのか分からなかったようだ。

しかしすぐに気付いたように布に覆われた自分の顔に指を指す。


「あぁ、これか?」


「そうです!!」


「チッ、なんでそんな事しなくちゃなんねぇんだよ!」


舌打ちをして文句を言いながらも、ギルランスは和哉の言う通りに巻いていたストールを外し顔を見せてくれた。


(――やっぱり!)


彼の顔を見て和哉は思わず息を呑んだ――そこには想像していた通りの人物の顔があった。

輝く銀糸のような髪に琥珀色の瞳、前髪の間から覗く額の傷跡……それは和哉が好きな小説『ダブルソード』の登場人物であり、主人公その人だった。


(こ、この人、あの『ダブルソード』のギルランスじゃないか! なんで? どうして? ここはいったいどこなんだ!? まさかコスプレか? ――ってか、カッコよ!)


驚きと困惑で和哉の思考は軽くパニック状態になっていた。

そんな和哉を見た彼は不審そうに眉をひそめた。


「俺の顔が何だってんだよ?」


訝しいぶかしげに聞かれ、和哉は慌てて誤魔化そうとする。


「あっいや、いえいえいえ! 何でもありません! お顔を見せていただき、ありがとうございます! 嬉しいです!!」


「はあぁ!?」


和哉を見るギルランスの目が、ますます不審なものを見るような目つきになっていく。

無理もないだろう、いきなり現れて「顔を見せろ」やら「顔が見れて嬉しい」などと言う男など不審者以外の何者でもない。


(まずいな……何か言わなきゃ怪しまれちゃうよ)


焦る和哉はテンパったまま、なんとかフォローしようと試みるも――。


「あ、あの、お顔がとても素敵だったので、つい見惚れて……」


(――って、何言ってんだよ、僕は!?)


慌てて、取り繕うように口にした自分の言葉に和哉は冷や汗をかいた。


(最悪だ! なんてことを言ってるんだ!)


しかし時すでに遅し。

ギルランスは一瞬驚いたように目を見開いた後、和哉から目を逸らし、困惑したように頭をガシガシと掻きながら呟いた。


「お前……ホントに大丈夫か?」


(ああぁぁ、もう完全に不審者だと思われている……)


「す、すみません! ちょっと僕、おかしいかも、です……ハハ」


(だって『ダブルソード』のキャラと実際に会うなんてビックリするに決まってるだろ!? コスプレにしては完璧過ぎるし、もう訳が分かんないよ!)


とにかく今のこの状況をなんとかしなくてはと、和哉は愛想笑いで誤魔化すが、ギルランスは不審そうな表情を崩すことはなかった。

暫くの間訝し気な視線でじーっと和哉を見つめていたギルランスは、やがて呆れたように大きな溜息を吐いた。


「まぁ、いい……それで?」


ギルランスの促しに、ハッと我に返った和哉は、慌てて自分の状況を説明した。


「あ、あの! 僕、気が付いたらここに倒れてて! もう、何がなんだか……助けてくださ……い……」


とにかく、この状況から脱したい一心でギルランスに助けを求めるが、そう言っている間に和哉は急激に目の前が暗くなっていくのを感じた。


(あ、あれ……?)


視界が霞み、だんだんと意識が遠のいていく――まるで眠りに落ちる前のような不思議な感覚だった。


「お、おい! どうした? おい!」


ギルランスの声が遠のいて行く中、自分の身に何が起こったのか理解できぬまま、和哉の意識はそこでプツリと途切れた。

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