第十八話

 衛兵達の詰め所に着くと、先に連絡が通っていたのか、他の衛兵二人が出迎えてくれた。二人は詰め所にある簡易的な部屋の一室に案内され、オフィーリアはその部屋にあるベッドに横たわらされた。詰め所には二人の衛兵のうち一人が残り、どこからか持ってきた救急道具を使ってサラの怪我を簡単に手当てした。


「ありがとうございます。場所をお貸しいただけるだけでなく手当てまでしていただき。」


 手当てを終えたサラがその場で深くお辞儀をする。手当てをしていた衛兵は心の底から慌てたように首を横に振った。


「とんでもございません!困っている方に手を差し伸べるのが我々の勤めでありますから!」


 若い衛兵なのだろう。初々しさの残った元気な声でそう言った。


「それよりも、そちらのお嬢さんは大丈夫でしょうか?」


 若い衛兵はサラの後ろにあるベッドで身動き一つしないオフィーリアを見て言う。他の先輩の衛兵が若い衛兵の態度を見れば間違いなく怒られるような話し方をしているが、あいにくここには彼しか残っていなかった。他の衛兵達はガルシア家の令嬢が襲われたということで、この事態を大事に考え、総出で現場の確認及び犯人の捕獲に動いているようだ。


「大丈夫だと思います。でも、やはりとても怖かったと思うので、もう少しゆっくり休ませてあげたいです。」

「そうですよね。こんな小さな子が襲われるなんて……。最近では全くなかったのに。本当に災難でしたね。」


 若い衛兵は痛ましそうにオフィーリアを見つめる。何か思うところがあるのだろう。サラはそんな彼の言葉に苦笑いを浮かべる。


 果たしてこれは本当に災難の一つだったのだろうか。これは偶然の事件だと、不幸の一つだと片付けてしまってもいいものなのだろうか。


 あの時、サラは突き飛ばされたせいで一瞬意識を飛ばしてしまった。その後もオフィーリアが捕まっているのを見て頭に血が上り冷静な判断ができなかった。オフィーリアの言葉がなければ、サラは確実にあの襲撃犯をこの手で殺していた自信がある。サラにはそれをするだけの力があった。


 サラは自分の手を握っては開いてを繰り返した。有事の際に自分を強く律せるようにたくさん訓練を積んだはずなのに、いざその場面に直面すれば、それらはなんの意味もなさない事を痛感してしまった。


 本来であれば、あの時、何よりもオフィーリアの安全を優先するべきだった。敵を排除することよりもオフィーリアを確実に守るためにできたことはもっとあったはずだ。なのにサラが取ったのはオフィーリアの安全ではなく、目の前の敵の排除だった。


 サラは自身の行動を反省しながら襲撃犯について考えを巡らせる。


 男の顔に見覚えはなかったが、男の服装には身に覚えがあった。


(あれは、あの青い騎士服は……第一騎士団の制服のはず。……それじゃあ、犯人は旦那様が率いる騎士団のものだというの?)



***



 オフィーリアはサラに運んでもらっている間に泣き疲れて眠ってしまっていた。小さな体にはいろんなことが一気に起きたことで限界を迎えたようだ。


 オフィーリアは目を覚ますと真っ暗な世界に身を投げていた。一瞬ここがどこだか分からなかったが、すぐにこれが夢だと気付いた。


 夢ならば早く目を覚まそうと思ったが、目を覚ます方法がわからなかった。そのうち起きるかと諦めて、今さっき起きたことについて考えることにした。


 襲ってきた男のことについてオフィーリアは身に覚えがなかった。だけど、男は確かに“ガルシア"、"銀髪"と口にした。そのことから、ガルシア家もしくはオフィーリア、シス、ジェイドのいずれかを害する目的で近づいたことになる。


 ガルシア家もこの国の主要な家柄であるため、政敵がいないわけではなかった。しかし、現国王が内部の争いをひどく敬遠している関係で表だった衝突はみんな避けているはずだった。


 政敵を虱潰しに潰すことよりも、国王の覚えが悪くなることを皆んな恐れていた。それだけ、国王の影響力は大きかった。国王の一言で一家が路頭に迷う可能性もある。爵位を剥奪された貴族が平民に混じって生きることは、残念ながらこの国では難しい。


 それにしても、あの男の様子は明らかにおかしかった。あんな錯乱状態になった人をオフィーリアは見たことがなかった。何が原因であそこまで錯乱することになるのか。オフィーリアが持ち合わせる知識だけではあの男の状態を推測するのは難しかった。


 しばらくの間、この暗い空間であれこれと考えていると、ふとどこからか小さな泣き声が聞こえてくることに気がついた。


「?」


 オフィーリアは身体を捻り周りを見渡す。周りを見てもオフィーリア以外に人は見当たらなかった。当然だ。ここはオフィーリアの夢の中なのだから。


 泣き声といえば、あの時は自分の想像以上に取り乱してしまったなと恥ずかしく思った。いくら体に精神が引っ張られるからといっても、あの瞬間にあれほど取り乱していては何もすることができず、足手纏いにしかならない。


 自分の感情の制御がうまくできず、夢の中なのに思わずため息を吐いた。


 その時、また泣き声が聞こえた。今度は先ほどよりも近くに聞こえた。


 オフィーリアはもう一度周りを見渡した。そして足元の向こうに誰かがいるのを見つけた。だいぶ離れているのか、その姿をはっきりと見ることはできない。


 ここはオフィーリアの夢の中のはずなのに、他の誰かがいるなんて、と不思議に思った。


「あなたは誰?」


 オフィーリアは好奇心から足元の存在に声をかける。しかしその子は泣きじゃくるだけでこちらの声が聞こえていないようだった。


「ねぇ、どうして泣いているの?」


 オフィーリアは少しだけその子に近づいた。それでもやっぱりその子はオフィーリアに気が付かない。


「ねぇ……っ!」


 また少しだけ近づいてオフィーリアは気付いた。またその子もオフィーリアに気がついたのか、両目一杯に涙を溜めながら真っ赤に泣き腫らした顔をオフィーリアに向ける。オフィーリアは呆然とその子の顔を見た。


 その子はオフィーリアと同じ銀髪に金色の瞳を持っていた。


 そう、そこにはオフィーリアがいた。


「あ、なたは……。」


 オフィーリアはなんで声をかけるべきか悩み言葉を続けることができなかった。


 小さなオフィーリアは眉間にきゅっと皺を寄せるとオフィーリアから顔を背けてまた泣き始めた。


「ねぇ、あなたは、もしかして、この時代の私、なの…?」


 オフィーリアは手を伸ばして目の前の幼子に触れようとする。しかし、その手が子供に触れる前に子供によって手を弾かれた。


「知らない!私はあなたなんて知らない!」

「!」


 突然子供は癇癪を起こしたように大きな声で叫ぶ。


「なんで!なんで私がこんな真っ暗なところに閉じ込められなきゃいけないの?!私は何も悪いことなんてしてないのにっ!」


 小さなオフィーリアは心からの想いをオフィーリアにぶつける。オフィーリアはただ受け止めることしかできなかった。


 オフィーリアは未来からこの過去に戻ってきた。この先の未来を変えることばかり考えていて、それがどういうことか深く考えたことはなかった。戻った先に、本当のオフィーリアが居る可能性を考えたことがなかったのだ。


 この時代を生きる彼女は、今のオフィーリアが来たことで消えたわけではなく、入れ替わるようにオフィーリアの心の奥底に閉じ込められてしまったのだろう。


 きっと彼女は突然のことで戸惑ったのだろう。この真っ暗な世界がオフィーリアの心の世界だというのなら、オフィーリアが過去に戻ってきてからずっと彼女はこの暗闇の中に閉じ込められてきたのだろう。


 幼い自分が、まだ家族に甘えて、家族から純粋な愛情を注がれていたであろう彼女が、終わりのない世界に追いやられた恐怖はきっと今のオフィーリアには想像することだってできるわけない。


 ぐすぐすと泣きじゃくる背中はオフィーリアの考えるよりもずっと小さく弱々しかった。


 オフィーリアは感情のコントロールができないのは自分自身のせいだと思っていたが、そうではなかった。心の中にこの世界の本当のオフィーリアが居て、彼女が今のオフィーリアを通して外の世界を見て様々な感情を抱き、その想いを無意識のままに受け取っていたからだったのだ。


「あなたのせいよ!全部、全部!私が怖い思いをするのも!嫌な思いをするのも!こんな訳のわからないところに閉じ込められるのも!」


 彼女の心からの叫びに反応するように暗闇しかなかった空間に亀裂が入る。


 何が起きているのかいまだに理解できなかったが、今ここで彼女と別れてしまってはいけないことだけはわかった。


「オフィーリア…!オフィーリア!お願い、私の話を聞いて!」

「うるさい!あなたなんて消えちゃえばいいのよ!」


 彼女の強い拒絶の言葉と同時にオフィーリアの意識は引き上げられる。小さなオフィーリアの背中がどんどん離れていく。


「待ってて!必ずあなたに会いにくるから!!」


 抗えない流れに抵抗しながら、その小さな背中に届くように声を張り上げる。その声が届いたのか小さなオフィーリアは最後にこちらを向いて口を震わせた。




「      」














***



はっと目を覚ますとオフィーリアの手を握りながら心配そうに顔を覗き込むシスと目があった。シスはオフィーリアの目が覚めたことを確認すると一気に脱力してその場に座り込んだ。


「よかった……フィーが目を覚ましてくれて」


 手を握りながら顔を伏せてしまったのでシスの顔を見ることはできなかった。しかし震える声と冷えた指先から多大な心配をかけてしまったことは分った。


「お、兄様……。ここは?」


 乾いた唇をわずかに振るわせる。


「ここは第三区にある衛兵の詰め所よ」


 シスに尋ねたことに答えてくれたのは同じくそばにいたリリーだ。リリーはいつもの温かな笑顔ではなく難しそうな顔をしていた。


「フィー、痛いところや体に違和感のあるところはないかしら?」


 シスの隣からオフィーリアの頭に手を伸ばし優しく頭を撫でる。オフィーリアは自分の体に特に問題がなさそうだと思ったから首を縦に振った。


「そう……。サラから事情を聞いたわ。とても怖い思いをしたでしょう……。もう少ししたらここに迎えがくる予定だから、もうちょっとだけ休んでいてちょうだい」


 リリーは最後に一撫ですると部屋の入り口付近にいた衛兵と一緒に部屋を出て行った。その様子をぼんやりとした寝起き特有の頭で見送る。そしてシスに手を握られたまま何があったのかをゆっくりと思い出す。


(そうだわ……あの変な男に襲われて、それで……それで!)


 それでオフィーリアはこの体の持ち主である本当のオフィーリアに出会ったのだ。オフィーリアはただこの時代に戻ってきただけではなく、本来の幼いオフィーリアの居場所を奪っていたのだ。オフィーリアは思わず顔を覆いたくなった。それくらいその事実は衝撃的で、オフィーリアの心に重くのしかかった。


「フィー?大丈夫、じゃないよね……。でも、もう安心して。怖いものから僕が絶対に守ってあげるから」


 突っ伏していた顔を上げて優しく微笑むシスを見ていたら罪悪感に追い打ちをかけられたような気分になった。


 シスが悪いわけではない。だけどこのシスの言葉は本来オフィーリアが受け取っていいものではない。本当にこの言葉を届けるべき人物は別にいる。シスの献身もリリーの愛情もジェイドの温もりもサラの信頼も、全部本当はあの幼いオフィーリアが受け取るべきものなのだ。


 できることなら全て投げ捨てて彼女に体を返したいと思う。しかし、何故過去に戻ってきたのか自分自身でもわからないオフィーリアには、彼女に体を返す方法も話をする方法もわからない。オフィーリアは彼女の居場所で彼女の代わりとして生きるしかないのだ。


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