第十二話

 帝国暦一〇二三年 五の月のニ〇。


 シスに買い物に誘われてから数日経った今日、リリーの都合がようやくついたため街に行くことになった。


 朝から慌ただしくサラや他の使用人たちが出かける準備をしてくれていた。シエロ帝国は気候が比較的落ち着いている地方に位置するため、五の月にもなれば薄着でも十分であった。


 本日もいつものようにサラに服装を選んもらった。白を基調にした全身にクリームイエローが織り交ぜられた、さっぱりとした印象の服だった。


 髪は両側で編み込んでもらい、それを一本の三つ編みに纏めてくれた。長い髪を一つにまとめたことで、いつもよりすっきりした気持ちにもなった。


 オフィーリアの身支度が終わると、サラはオフィーリアの他の身の回りの準備をするために部屋を離れていった。


 オフィーリアは誰もいなくなった部屋の中で、一人鏡の前でくるくる周りおかしなところがないかを確認する。


「フィー、おはよう。準備はできたかい?」


 そうこくするうちにシスが部屋の入り口まで来ていた。オフィーリアはシスのことに気がつくと目尻を下げた。


「お兄様、おはようございます。サラが朝から気合を入れて準備してくれたので、いつでも出れます。」


 シスのそばまで近寄るとシスは流れるようにオフィーリアの頭を撫でてくれた。優しく、セットされた髪の毛を崩さないように撫でるシスの手は、長年そんな扱いを受けてこなかったオフィーリアには少しだけ恥ずかしくもあった。


「も、もう、やめてください。」


 オフィーリアが止めるまで撫でていたシスは、目を丸くした。まるで撫でていたことに気がついていないかのようだった。


 オフィーリアはほんのりと頬を赤く染めた。恥ずかしがるオフィーリアを微笑ましく思ったのか、シスはくすくすと笑った。


「ごめんね、フィー。今日もとっても可愛かったからつい、ね。」


 そんなことを言うシスを、本当にこの人は自分の兄なのかと疑う気持ちで見る。もちろん、正真正銘オフィーリアの兄であるが、長い間冷めた関係であったため、まるで砂糖菓子のように甘やかしてくるシスに全く耐性がなかった。


「フィー、そんな顔をしないで。せっかく今日は楽しい日になるんだから、ね。」


 シスはオフィーリアに手を差し出す。遠慮がちにその手を取ると、綺麗な顔で笑ったシスに手を引っ張られる。


「きゃっ!」


 突然のことに驚いたオフィーリアは小さな悲鳴をあげる。急に引っ張ったことを恨めしそうにシスを見上げた。するとシスはいつも以上に顔を破顔させていた。


 その表情からはオフィーリアを大切に思う気持ちしか感じられない。過去に一度でもその表情を見たことがあっただろうかと思うほどだった。


 オフィーリアの手を引きながらシスは玄関ホールに向かった。


 玄関ホールにはリリーと今日一緒に来るのであろう護衛の騎士が数名、また準備に走る数名の使用人が揃っていた。オフィーリアはその中からサラを見つけるとシスに繋がれていない方の手を上げた。


「サラ!」


 他の使用人と話していたサラに声をかけると、サラはオフィーリアに気がつきそばに来てくれた。


「お嬢様。それにシス様も。準備はもうよろしいですか?」


 サラの言葉に二人は同時に頷く。二人はお互いに息があったことに驚いて顔を見合わせた。その動作も息ぴったりで、そんな二人の様子がおかしかったのかサラはクスリと笑った。そしてすぐにはっと口元を押さえて笑いを止め、頭を下げた。


「も、申し訳ございません!」


 一介の使用人であるサラがオフィーリアやシスのことを笑うのは、普通であれば不敬に当たる。そのため、サラは思わず漏れてしまった笑いに対してすぐさま謝罪をした。


 オフィーリアはシスの方をチラリと伺う。シスは何も言うつもりがないのか穏やか表情でオフィーリアを見ている。


 サラはオフィーリア付きの使用人でもある。そのため、サラの不手際はオフィーリアの責任となり、その処分もオフィーリアが行う必要がある。


 オフィーリアは頭を下げるサラの顔を下から覗くようにして見る。サラは下からオフィーリアの顔が出てきたことと視線がぱっちりあったことに目を点にさせた。


 そんなサラを見てオフィーリアはにっこり笑った。まるで悪戯が成功した子供のようだった。


「サラ、そんなに固くならなくていいのよ。私、もっとサラと仲良くしたいもの。サラが笑い時に笑って、私も笑いたい時に笑って……それで同じものを一緒に共有できたら、私はもっと嬉しいわ。」

「お嬢様……。」


 オフィーリアは自分の気持ちや考えを直接言葉にするのは苦手だった。これまでの人生の中で、オフィーリアの意見や希望は誰からも望まれなかったから。だから、いつも味方だとわかっているサラにも、自分の言葉で自分の気持ちを伝えるのは少しだけ緊張した。


 でも、ここで言葉を惜しんでいたら、これまでと何も変わらない。いつでもオフィーリアを優先して、オフィーリアの気持ちを一番に考えてくれたサラとオフィーリアはもっと仲良くなりたかった。


 オフィーリアはサラの顔を上げさせ、その手を小さな手で握った。


「ダメ、かしら?」


 眉を下げて自信なさそうに聞いたオフィーリアにサラは慌てて首を横に振る。


「とんでもございません!本当に、身に余る光栄です!」


 口元を綻ばせたさらにオフィーリアは安心して嬉しそうに笑った。二人の様子を見守っていたシスもどことなく安心したような様子だった。


「シス!フィー!準備はできたのかしら?」


 少し離れたところからリリーが声をかけてきた。シスとオフィーリアはまた顔を見合わせて、一緒に頷いた。

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