第三話

 オフィーリアが暮らすこの国はシエロ帝国という。シエロ帝国は魔術の国とも呼ばれており、数多くの魔術師がこの国に住んでいる。対して、ごく少数ではあるが精霊と交友を深め、その力を行使する精霊士も存在した。魔術師は王宮内にある魔塔と呼ばれる魔術師の機関を中心としてこの国の根幹に深く関わっている。精霊士はその数の少なさより、国が精霊士を一つの場所に集め、その保護を行なっている。


 魔術師と精霊士の違いはその力の使い方にある。魔術師は自身の中にある魔力を使い、属性にとらわれずその力を使う。属性にとらわれないことから、さまざまな力の使い方ができるとされている。


 精霊士は魔術師と違い、自然の中に存在するとされる精霊の力を借り、その力を使う。精霊士は精霊と契約することで力を発揮するため、原則契約した精霊の属性のみ使えることとなる。属性に縛られる代わりに、その力は魔術師とは比べものならないといわれている。


 精霊士の数が少ないのには理由があった。精霊を見ることができる人が減ったこと、また精霊自体がその数を減少させていることが原因に挙げられる。またその大元の原因には、このシエロ帝国の建国されるきっかけにもなった過去の精霊大戦が深く関わっている。



* * *



朝食を食べ終えたオフィーリアはサラに頼んで魔術師のことを調べていた。回帰する前のオフィーリアは魔術の適性がなかったこともあり、彼らのことはあまり詳しくはなかった。それでも、皇妃になる立場でもあったため、常識の範囲内程度には学んでいた。


(ジャレッドはミアズマ病の特効薬を開発するまでは無名の魔術師であったはず。それでも、特効薬の発表を、たしか魔塔を通して行っていたはずだから、おそらく彼は魔塔に所属しているはず…。)


 オフィーリアは魔術師ジャレッドに会うために回帰前の記憶も含めて情報を洗い出していた。しかしそれは難航していた。


(ダメね…魔塔のことは私の管轄ではなかったからより詳しいことを知るには他の人を頼る必要があるわ。)


 日の当たるところで、サラが持ってきた書物を読んでいたオフィーリアは、頭が痛そうに眉間に手を置いた。いくら未来の知識があるからといっても、なんでも思い通りに進むわけではないようだ。


 それでも、オフィーリアがやらなければ未来は変わらない。オフィーリアだけが、この先の未来を変えられるのだから。


 途方もない道であり、今のところ味方もいないが、それでもやらなければならない。


 オフィーリアはゆっくりと深呼吸をした。焦る気持ちももちろんあるが、今は一つずつ問題を解決していくほかないのだ。


 そうして心を落ち着けたオフィーリアは、外から楽しげな声が聞こえてくることに気がついた。読んでいた本を閉じて、窓に近づく。


 オフィーリアの部屋は屋敷の三階に位置していた。窓から下を覗くと数人のメイド服を着た使用人が、何かを楽しそうに話しながら洗濯物を干していた。

 何の話をしているのかは、ここからでは分からなかった。オフィーリアはそのまま頭を引っ込めて、何事もなかったように過ごそうと思った。しかし、ふと動きを止める。


 以前のオフィーリアであれば使用人たちが何をしていようと気にかけず、ただ使用人とその主人という関係を忠実に守っていた。公爵家の令嬢として、必要以上に使用人と仲良くするのは良くないと、自分を厳しく律していたためだ。だから今も、彼女たちが何をしていても気にならなかった。


 しかし、それでは何も変わらないのではないか、と考える。この先、オフィーリアの選択で何が未来を変えるきっかけになるかわからない。それならば、オフィーリアは以前と違うことを、気がついたことは全て試していく必要があるのではないか。


 オフィーリアは少しだけ考えるそぶりを見せる。そして、部屋の外へ足を向ける。何事もやってみなければ始まらない。そう考えたオフィーリアは手始めに、階下で仕事に励む彼女たちと交流してみようと試みることにした。


 オフィーリアがこの時代に戻ってから、まともに話したのはサラとリリーだけだった。父や兄もオフィーリアを心配してくれていたが、オフィーリアの気持ちの整理がつかず、まだ会えていなかった。


 特に兄、シスには一度殺されたこともあり、今シスを前にしても冷静でいられる自信がなかった。


(あの時、抗うことをやめ、諦めて死を選んだのは私のはずなのに…お兄様を怖がるなんておかしな話だわ。)


 あの時のことを思い出すと震えがまだ少しだけ出てくる。しかし、いつまでも二人を避け続けることはできない。それがわかっていても、オフィーリアの心はいつまでも二人から逃げていた。


 オフィーリアは部屋の扉を少しだけ開いて辺りを伺う。今のところオフィーリアの部屋の近くには誰もいないようだった。


 廊下を通って玄関ホールに向かう。その道中、何人かの使用人が屋敷の掃除をしていたり、何かの荷物を運んだりしていた。


 どの使用人も、久しぶりにオフィーリアが部屋の外に出てきたことを驚きながらも、体調が良くなったことを嬉しそうに喜んでくれた。そんな使用人たちの反応に、オフィーリア自身も驚いた。


(今まで、私が見ようとしてこなかっただけで、みんなこんなにも私のことを気にかけてくれていたのね。)


 声をかけてくれる使用人たち一人ずつ挨拶を返しながら、オフィーリアは心が温かくなるような気持ちになった。それと同時に、回帰前の自分がいかに視野が狭く、自分以外を信用していなかったのかを思い知らされた。


 そうやって使用人たちと関わりながら外に出たため、少し時間がかかってしまった。


 オフィーリアが干し場に辿り着くと、洗濯物を干し終えた使用人たちが楽しそうに喋りながら片付けをしていた。


「ねぇ、少しいいかしら。」


 オフィーリアが声をかけると、一番近くにいたお下げの使用人がオフィーリアの方を見た。そして声をかけたのがオフィーリアだと認識すると、口を大きく開けて手に持っていた籠を落とした。


「お、お嬢様!?」


 その声に他の二人の使用人もオフィーリアのことに気がつき、似たような反応をする。


「な、なんでお嬢様がこんなところに…。いえ!それよりも、もうご体調はよろしいんですか?あぁ、そんなに薄着ではまたお風邪をひいてしまいますよ。」

「キララ、落ち着いて。お嬢様も驚いていらっしゃるわ。」


 キララと呼ばれたお下げの使用人は、短髪の使用人に肩を叩かれたことで少しだけ落ち着きを取り戻した。


「あ!も、申し訳ございません。」

「大丈夫よ。それよりも楽しそうに話していた声が聞こえたけれど、何を話していたの?」


 キララが頭を下げようとするのをオフィーリアは止めながら聞いた。


「私たちが話していたことですか?」


 短髪の使用人の後ろから一つ縛りの使用人が顔を出す。


「お嬢様にとっては、あまり楽しくないお話かもしれませんが……。」


 短髪の使用人が一つ縛りの使用人の言葉を受け継ぐ。オフィーリアはふるふると顔を横に振る。


「私、もっとみんなとお話ししてみたいの。もしも嫌じゃなかったら、私ともお話ししてくれないかしら。」


 自分の気持ちを言葉にしながらも、自信がなくなってきたオフィーリアは両手できゅっと服の裾を握った。それに気がついたキララが慌ててその場に膝をつきオフィーリアと視線を合わせる。そしてその小さな手をそっと解し、握る。


「フェルト!アイラ!」


 後ろを振り返り、二人に目線で訴える。お嬢様を悲しませてはいけない、と。そんな力強い視線に短髪の使用人、フェルトと一つ縛りの使用人、アイラは心を一つにした。


 言葉もなく、目線だけでやり取りをする三人にオフィーリアは置いてけぼりをくらい、一人途方に暮れた。


(やっぱり、私なんかと話したくないのかしら……)


 そして的外れなことを考えていた。


「お嬢様。私どもは普段こういった雑事を任せられる立場で、お嬢様方と話をすることが少なくございます。なので、あまりお嬢様のご期待に添えるかはわかりませんが、それでもよろしいですか?」


 フェルトがキララの様に膝をつき、オフィーリアの目をしっかりと見ながら言う。オフィーリアは許してもらえたのだと分かり、少しだけ目を開いた。


「えぇ!もちろんよ!」


 嬉しい気持ちのまま、目の前にいたキララに抱きついてしまった。そのことに気がついたのは抱きしめた後で、オフィーリアは子供の自分の感情に引っ張られてしまったことに顔を赤くした。


「ご、ごめんなさい。」


 恥ずかしそうに謝るオフィーリアのことを三人は微笑ましそうにみていた。


「大丈夫ですよ。いつでも抱きついてくれて構いません!」

「そうですよ、お嬢様!できたら私にもぎゅっとしてくださいませんか?」


 キララが拳を握り締め作って力説し、アイラがそんなキララを羨ましそうに見ている。オフィーリアは二人の勢いに困惑して言葉を詰まらせた。


「こら、二人とも。お嬢様が困ってるじゃないか。少し落ち着きなさい。」


 フェルトが仕方がなさそうに笑う。三人に優しく受け入れてもらえたことにオフィーリアの心は暖かくなる。


 こんなに優しい人たちが自分の近くにいたなんて、オフィーリアは知らなかった。あの時の、特にリリーが亡くなってからの屋敷内は常に葬式の様な状態だった。あかりは十分すぎるほどあったはずなのに、どこもかしこも暗く、みんな自分の仕事を粛々とこなすだけで笑い声も何気ない会話もそこにはなかった。


 あの時の私たちはお互いに壁を作り、自分で作った壁の中で、ただ自分だけを守っていたのだと、オフィーリアはようやくそのことに気が付いた。それはきっととても寂しいことなのだろう。


 その壁のほんの少し外に出るだけで、たった一歩を踏み出すだけで見える景色はこんなにも変わる。


 オフィーリアは今日そのことを、屋敷の人たちを通して学んだ。

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