異世界と現代を行き来する男の無垢な好奇心によるカオス~異世界配信/魔法講義/渡航チケット販売etc

すー

第1話:異世界アトランダム


 物語が好きだった。


 異世界に行きたいと思った。


 自由に生きる主人公に憧れた。


 そんな夢を描いているうちに時は過ぎ、気づけば惨めな人生となっていた。


 未来の展望はない。

 資格も需要のある技術もなく、学歴も、出世欲も何もないのだ。 故に大学を中退したことも、アルバイトでその日暮らししている現状は、当然の帰結だろう。


 長所といえば――


 繁華街の裏路地。

 道に迷っていたところ声を掛けてきた親切なチンピラに付いていったらカツアゲだったらしい。


「おい兄ちゃん、ちょっと金貸してくれよ」

「貸すほど金はないよ。 あったとしても見知らぬ人には貸さない」

「そういうのいいから。 寄越せって言ってんだよ、分かれよ」


 俺は見た目は普通だし、身長も平均くらいだからカモに見えたんだろう。

 少なくとも強そうには見えない。


「分かりません。 他を当たってください」

「あーもうごちゃごちゃうるせえ! 死ねや!」


 チンピラの拳が放たれた。


(日本でもこういう輩はいるんだなあ)


「襲われてる人を助けるなら絵になるのに」

「っな!?」


 まるで子供が振るうようなぎこちなく、力のない拳を俺は片手で軽く受け止めた。 握る手に力を入れるとチンピラは苦悶の表情を浮かべた。


「これじゃあ、ただ弱いモノいじめじゃないか」


――人より少しケンカが強いくらいだろうか。






「何か起こりそうな気配がする」


 市営の職安所を見上げる。

 どんより曇りな天気も相まってか、この建物から陰鬱な雰囲気を感じた。


 ここにやってくる底辺たちのマイナスオーラなのか、それとも妖怪でも住み着いているのかもしれない。


「どのような仕事をお探ししましょうか?」

「困ってる美少女を助けるような仕事がいいっすね」


「な、なるほど」職員の額を冷や汗が流れた。


「ちょっとそういうのはうちでは扱ってないですかね……警備員とかはどうでしょうか?」

「うーん、ちょっと違うんだよなあ」

「は、はあ。 何か資格などはお持ちでしょうか? 最終学歴が高卒ですと、強みがありますと紹介できる職の幅が広がるのですが……」

「何もないね。 強いていうなら独学で武術をいくつか習得してるくらい? 体も鍛えてるから体力には自信があるんで」

「ではいくつかピックアップした資料をお渡ししますので、ご検討ください」


 俺は生まれた世界を間違えている。


 渡された資料には土木建築、設営、引っ越しなどの文字が並ぶ。

 俺が求めている仕事は一つもない。


 働くことが嫌なわけじゃない。

 力仕事が嫌なわけじゃない。

 社会的地位を気にしているわけじゃない。


 もっと物語の主人公のようなカッコいいことがしたいんだ。


 俺、百花ももかりょうは物語に取りつかれている。


 異世界行きのトラックが通れば飛び込むだろう。

 リア充学生グループの足元に怪しげな魔方陣が浮かんだら喜んでご一緒させていただきたい。

 神の手違いで死んでしまっても笑って許そう。


 けれどそんなファンタジーは二十五年間起きなかった。


 一生起きないかもしれない。


「帰って筋トレするかー」


 それでも諦められない。

 自分のことながらどうしようもない奴だと自覚はしている。


「ただいまー」


 帰るとリビングから「どうだったー?」と母の声がした。


「やりたい仕事なかったー」

「はーい」


 両親に申し訳ない気持ちはある。


(いつか主人公になって誇れる息子になってやるからな)


 俺は誓いを新たにしつつ鼻歌交じりに階段を上がるのだった。






――もう面倒見切れないから


「は?」


 家の扉の前で途方に暮れる。

 パンパンに膨らんだ旅行鞄と手には札束の入った茶封筒。


「おいおい母ちゃん、嘘だと言ってくれよ」


 チャイムを鳴らすがうんともすんとも言わない。

 しばらくして俺は理解した。


 どうやら俺は家を追い出されたらしい、と。







「腹減ったな……カップ麺でいっか」


 四畳ほどの畳が敷かれた木造のアパート。

 水道費電気代込みネット使い放題、トイレ風呂共同で家賃はなんと破格の三万円だ。 とにかく安い部屋という要望に不動産仲介業者は忠実に答えてくれた。


「ここ事故物件かなんかすか?」と冗談半分で尋ねた時の微妙な笑みが忘れられない。


「まあ幽霊が出たらそれはそれでアリかもしれない」


 そんなことを言いつつも、外から聞こえる車の音に安心感を得てしまうのはまだ鍛え方が足りないのかもしれない。 主人公には全てを受け入れる懐の深さと、狂気的な頭の悪さが必要なものだ。


「さてと」


 カップ麺で腹は膨れた。

 新たな環境は新鮮でいい。

 俺の物語はここから始まる。


――始まるはずなのに


「なんでこんな」


――虚しい


 体なんか鍛えたって、強くたって、だからなんだ。


 何も起きないじゃないか。


 ヒロインも悪の組織もチートをくれる神も、魔王に怯える王国もなーんにもない。


 ここにいるのは筋肉質な底辺まっしぐらのただの人だ。


「就職」


――したくない


「結婚」


――無理だろ


「子供」


――可哀そうだろ


 普通の人生を歩んでいる自分が想像できなかった。


『主人公になりたい』


 卒業文集にそう恥ずかしげもなく記した。

 小学生の頃より俺はすでに病気だったのだ。


「諦めるか」


 思ってもいないことを呟いてみると、心の奥が軋んで喉が嗚咽した。


 世間から見て自分が間違っていることは理解している。

 けれど俺の心が本音を隠して生きることを許してくれないんだ。


「無理だ……」


「俺はやっぱり『異世界に行きたい』」


――カチリ


 どこからか、


 ピースが嵌ったような音が聞えた。


 次の瞬間、


「は?」


 景色が変わった。


 匂いも、温度も全てが違う。


 目の前に広がるのはボロアパートの一室ではなく、夕暮れの映える草原だった。


 ケルト音楽が聞こえてきそうな美しい風景だ。


「白昼夢……?」


 言葉とは裏腹に俺はもしかしたらと期待していた。


 もしかしたらここは


――異世界


 夢にまで見た世界なのではないかと。


 恐怖はない。 ただ確かめたい一心で俺は一歩を踏み出した。












 

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