二十一世紀の夢追い人たち

春雷

二十一世紀の夢追い人たち

 夢を叶えるってのは、なかなかどうして、難しい。しゃにむに足掻いたってどうにもならないこともあるし、悪魔に魂を売ったって悪魔がリターンをくれるとは限んないし。

 だから僕は、今日もじっと息を潜め、部屋の中で静かに呼吸をする。

 僕の寿命は残り何年なのだろう。

 僕の夢はいつ叶うのだろう。

 考え出すとキリがない不安。二十一世紀型の憂鬱病に罹った僕は、布団にくるまりながら、キング・クリムゾンというバンドの「21st Century Schizoid Man」って歌を聴いていた。その歌を聴いていると、「ドラえもん」を読んでいる時のような安心感に浸ることができた。

 漠然とした不安。その不安を消すためには、どうしたらいいのだろう。現実逃避は、問題を先送りにしているだけで、結局は何の解決にも繋がらないのだ。人生はままならないものだ。人生は、「HUNTER×HUNTER」の最新刊のように複雑なんだ。

 昼。コンビニで買ったチキン南蛮弁当を食べ終わると、僕は薬を飲んだ。その薬は僕の何かを治す薬である。具体的に何を治すのか、それは知らない。知りたくもない。

 

「ここへ行け」

 阪上さんは地図上にある一点を指で差す。皺くちゃになった手書きの地図。それは市内の地図で、僕らの大事な仕事道具である。阪上さんが差したのは、とある学習塾。

「塾、ですか」と僕は言う。

「そうだ。ここにいるガキどもを洗脳しているんだとよ。競争社会で疲れ切ったガキは、安易な逃避を求めている。でも今はもう、校内の窓ガラスを割って回るような時代じゃあねえんだよ。盗んだバイクで走る時代は終わりってわけ。今のトレンドは、大人に見つからねえように裏でこそこそすることだ。薬やったり、ゲームやったり、いじめたり……。まあ、何でもいいが、分別のついてねえ阿呆なガキほど騙しやすいってこった。勉強で疲れ切って頭の回んねえガキを洗脳して、一儲けしてる。それがこの塾なんだ」

 阪上さんの話はいつもよく分からない。話し方が下手なのかもしれない。あるいは僕の理解力が足りないのかもしれない。

「洗脳して、どうするんですか」

「知るか。金巻き上げるんだろ」

「この塾は誰が経営しているんですか」

 がん、という鈍い音。阪上さんが僕の頭を掴んで、壁にぶつけたのだ。後頭部がじんじん痛む。この痛みは嫌いじゃないけれど、今は気分じゃないな。

「ガキはガキらしく、大人の言うことに黙って従ってりゃあいいんだよ」

 確かに僕はガキだ。大学も中退して、職もない。社会的に何の地位もない人間だ。でも、黙って大人の言うことを聞くのは、ちょっと、嫌だ。

 でも僕は阪上さんに従うしかないんだ。

 阪上さんはこの安いアパートの一室に住んでいる。彼の部屋はとても汚い。いつもグラビア雑誌や空き缶、弁当箱が散乱している。畳は腐って変な色になっている。いつも何かが腐った臭いがしている。非常に劣悪な環境だ。

 その部屋の主たる阪上さんは、天然パーマでロン毛の怪しい男で、僕の大学の先輩だ。当時は同じ経済学部に所属していて、日本経済史概論の講義で知り合った。彼も二年の時に中退している。

 そんな彼の仕事を僕は手伝っている。あまり合法的ではないバイトだ。

 

 その学習塾は、街の外れにあった。

 古い建物で、白い外装が剥げて汚らしい。ドアをノックすると、中から坊主頭の女性が出てきた。右耳に髑髏のピアスをしている。白いシャツに黒のパンツといった格好だった。

「何?」彼女は不機嫌そうな表情。

「えーっと、阪上さんの紹介で来たんですけど」

「あんた誰?」

「僕はイダです」

「私は国木田」

「国木田さん、これ」

 僕は持っていた紙袋を差し出す。

「新しい奴?」

「中身は知りません」

「で、いくらなの?」

 僕は阪上さんに言われていた金額に、ちょっと色をつける。ピンハネしているのだ。

「ふうん」と彼女は言って、ポケットからくしゃくしゃになった紙幣を取り出して、僕に渡す。

「じゃあ、僕はこれで」

 僕が去ろうとすると、彼女は僕の腕を掴んだ。

 彼女は無言で僕を見つめる。

 誰もいない学習塾の教室で、僕と彼女は寝た。


 空はどんよりと曇っている。

 僕は阪上さんの部屋のトイレで、ゲロを吐いた。

「何だ、慣れない酒でも飲んだんか」

「いえ……」

 塾から帰った後、僕は阪上さんの部屋を訪ね、お金を貰った。その後で自分の部屋に帰ろうとしたのだが、何故か急に体調が悪くなった。

 僕は何度も嘔吐した。胃液が上がり、口の中が酸っぱい。鼻にもゲロが詰まっていて、気持ち悪い。

「はあ……」

 僕は便器を見つめる。宇宙の真理がそこにあるわけでもないのに。

「お前、もしかしてあの女に会ったのか?」阪上さんが後ろから声をかける。

「あの女?」

「坊主の女だ」

「ああ、彼女に紙袋を渡したんですよ」

「お前……、外れを引いたな。運が悪かったんだな」

「はい?」

「あの女は悪霊だ」

「悪霊?」

「憑りつかれれば、食われちまうぜ」


 自分の部屋に戻り、布団に入ってキング・クリムゾンを聴いても、気分は晴れなかった。熱が上がって、眩暈がする。耳鳴りが酷い。頭が回らない。死にそうだ。

「ああ、あああ」

 僕はうなされていた。悪夢でも見ているようだった。

 どこまでが現実なのか、よく分からなくなっていた。

 僕は、枕元に置いてある市販薬を適当にブレンドして、水で流し込んだ。しかし病状は悪くなるばかり。視界がぼやけている。何も見えないし、何も聞こえない。何も考えられない……。ただ苦しみだけが、そこにある。

 

 二日後、僕は何とか回復した。回復した、と言っても、体重はかなり減ってしまったし、視力も落ちたし、今もずっと軽い目眩がある。でも仕事をしなきゃお金が貰えないので、僕は阪上さんの部屋を訪ねた。

 ボロいアパートの二階に上がり、ドアをノックする。

「阪上さーん、僕です。イダです」

 反応がない。もう一度ノックした。反応がない。さらにもう一度。しかし結果は同じだった。

 留守なのかな、と思ったが、一応部屋の中を覗いてみようと思った。ドアを引くと、開いた。鍵は掛かっていないようだ。

「阪上さ――」

 部屋に入ると、いつも以上の異臭があった。

 部屋の中央。吐瀉物と糞尿に塗れて、阪上さんは死んでいた。首が切り離されていた。蝿が彼の顔にいっぱい集っていた。

「ああ……、死んじゃったか」

 僕はそのまま部屋を出て、今日見たことは忘れようと思った。


 阪上さんのアパートの近くにあるコンビニに入った。時刻は九時だった。チキンと缶コーヒーを買って、イートインスペースに座った。缶コーヒーは飲めたが、チキンは食べられなかった。体調がまだ悪いらしい。

 仕方がないので煙草を吸っていると、店員が駆け寄って来て、「困ります」と言った。室内は禁煙らしい。僕はチキンをゴミ箱に捨て、コンビニを出た。

 次のバイト先を見付けなきゃな、と途方に暮れていると、僕に声をかけてくる人がいた。

「ハロー」

 国木田だった。彼女は先日と同じ格好をしていた。彼女は僕に手を振りながら、近づいて来た。

「どうも」と僕は軽く頭を下げる。

「一人?」

「ええ」

「どっか飲みに行かない?」

「飲みに……、ですか。僕、金がないんですよ。バイトも無くなっちゃって」

「あたしが奢るよ」

「でも、悪いですよ」

「いいからいいから」

 彼女は強引に僕の手を引っ張っていく。強引な女の子は嫌いじゃないけれど……。

 ふと、阪上さんの言葉を思い出していた。

 悪霊。

 悪霊って……、どういう意味なんだろう。


 彼女が連れてきたのは、バーだった。爆音で韓国アイドルの歌が流れていて、店の奥にある大きなモニターにプロモーションビデオが流れていた。店内は狭く、十名くらいしか入れない。

 客は僕らしかいなかった。夜の早い時間だからだろうか。

「何にする?」

 両手に何かのタトゥーを入れている、ニット帽に眼鏡の店員が僕らに訊く。何のタトゥーなのかは、店の中が暗すぎて分からなかった。

 彼女はギムレット、僕はホワイト・ルシアンを頼んだ。

 カウンターに座る。僕はぼーっと店員がカクテルを作る様子を眺めていた。

「阪上を殺したのはジバって男」彼女が唐突に言った。

「へえ」僕は空返事。

「ジバは……、阪上のルートを奪いたかったみたい」

「へえ」

 僕らの前に、注文通りの酒が入ったグラスが置かれる。僕らは軽くグラスを合わせた。

「塾を経営してた遠野って人も消えちゃった。どこかへ逃げたんだと思う」

「塾はどうなったの?」

「今日遠くから見たんだけどね、警察がいっぱいいた」

「じゃあ、戻れないね」

「うん……、だから、あたしも無職ってわけ」

「職なんて呼べるほど大層なものじゃなかったでしょ」

 彼女は笑った。

「あんたはどうするの?」

「僕?」僕は酔ってきて、頭がくらくらしてた。「さあ……」

「何かしたいこととかないの?」

「したいこと……」僕は完全に酔っていた。「僕、ギタリストになりたかったんだ」

「へえ!」彼女は眼を輝かせて僕を見る。「凄い!」

「凄くないよ……。下手だもん。スタジオミュージシャンになりたかったんだけど、本当に下手で……。止めちゃった」

「どうして止めちゃったの? 下手なら上手くなればいいじゃない」

「いや……、無理だよ。無理だと思っちゃったから、たぶん、無理なんだと思う。高校ん時に軽音部入ってさ、僕より上手い人をいっぱい見たんだよ。もう……、絶望したね。みんな上手いんだ。エリック・クラプトンだらけ」

「でもギターが好きなら、きっといつか上手くなるよ」

「いや……、駄目だよ。僕がどんだけ努力しても、本物には勝てっこないんだ。天才には……、敵わないんだ」

「敵わなくたっていいじゃない!」

 彼女は大声でそう言った。店がしーんとしてしまったように感じたけれど、実際には爆音で音楽が鳴っていた。

 彼女は泣いていた。

 どうして泣いているのだろう。

「君は……」僕はぼんやりしている。「君は、何、何なんだ……。僕を、どうしたいわけ?」

「あたしだって」と彼女は言う。「俳優になりたかった」

「俳優? なればいいじゃん。君ならなれるよ」

「馬鹿!」

 僕はかちんと来た。「誰が馬鹿だって?」

「あんたよ」

「何で俺が馬鹿なんだ」

「ほら、そうして澄ましているつもりでも、本当はそうじゃないんだ。『僕』なんて言っちゃって、優等生じゃないんだから……」

「僕が……」

「『俺』って言いなさい!」

「指図するな」

「もう!」

 彼女はカウンターに金を叩きつけた。そうして足早に帰っていった。

「何なんだ、全く……」

 結局、ホワイト・ルシアンは飲み切れなかった。



 次の日。僕の部屋の訪ねてくる人がいた。出てみると、長い髪の女だった。

「えっと?」

「あの……、私国木田トモカって言います」

「国木田……」

「国木田アイの妹です。お姉ちゃんがさっきまでこの部屋の前にいたんです。私、お姉ちゃんを付けて来たんです」

「お姉ちゃんって、坊主頭の?」

「はい。そうです」

「妹さんがいたんだ」

「ええ……」

「さっきまでここにお姉ちゃんがいたの?」

「はい。でも、ノックせずに帰ったみたい……」

「何の用だったんだろう?」

「さあ……」

 国木田トモカはずっと俯いていた。何かの宣告を待っている人みたいに見えた。前髪が長くて、表情が見えない。

「それで、君はどうしてここへ?」

「あの……、私、お姉ちゃんが心配なんです。色々、辛いことがあったみたいで……。それで、あの、あなたはお姉ちゃんのことをどう思っているんですか?」

「お姉ちゃんのことを?」

「はい。どういうご関係なんですか?」

 彼女とは一回寝たよ、なんて、そんなこと言えるはずもない。

「別に……、何でもないよ」

「そう……、ですか」

「うん……」

「あ、じゃあ、私はこれで……」

「え? もう帰るの?」

「はい……」

 そう言って、彼女は足早に去っていった。

 彼女と入れ替わりに、スーツの男がやって来た。

「あの女は?」と彼が言う。

「友達だよ」

「そうか。ああ、俺は小田と言う。まあ、阪上の代わりだな。これからお前の上司になるわけだ」

「そうですか」

「よろしくな」

 彼は右手を差し出したので、僕はそれを握った。


 そして五年経った。

 ある日、書店に行ってみると、国木田の写真集が売っていた。俳優になるための一歩を踏み出しているらしい。僕はその写真集を三冊買った。サイン会があるらしいのだけれど、そこに行く勇気は出なかった。

 僕はと言えば、相変わらず社会復帰できずにいるのだった。ギターは七、八年触っていない。それなのに、僕はまだ、ギタリストの夢を諦めきれずにいる。自分はまだギタリストになれるはずだ、と心のどこかでそう思っている。

 今思い返せば、国木田トモカと名乗ったあの子は、国木田アイの変装した姿だった。長い髪は、ウィッグだったのだ。彼女は、僕が彼女のことをどう思っているかということを訊きたかったんだと思う。それで、変装までして僕のアパートに来たんだ。

 僕はあの時、何て言えばよかったんだろう。

 彼女はきっと、僕に手を差し伸べようとしたんだ。

 彼女は僕をどこかへ連れ出してくれたかもしれない。

 それなのに、僕は……。


 僕は今、塾を経営している。そこで子供たちに教育的な指導を行っている。もちろん、合法的な教育ではない。僕は時々、無性に自分が腹立たしくて堪らなくなる。自分を滅茶苦茶に殺してやりたくなる。こんなこと間違っている。でも僕が消えたところで、代わりの誰かが経営者になるだけだ。それが世界の法則なんだ。

 きっと、国木田が阪上を殺したのだろう。

 僕を、解放するために。

 それなのに、僕は、彼女と共に表へ出ることができなかった。

 勇気が足りなかったのか。覚悟がなかったのか。

 いずれにせよ、僕はここに残った。

 彼女は夢を再び追いかけ始めた。

 僕は焦っている。何かを始めなきゃと思うのだけれど、何から始めればいいのか分からない。ああ、彼女と一緒に行けばよかったんだ。

 今更後悔しても遅い。

 彼女は阪上にとっては悪霊だったかもしれないが、僕にとっては救世主だったんだ。

 僕はいつ死ぬのだろう。

 阪上のように突然死ぬことだってあり得る。

 ああ、僕はどうすればいいのだろう。

 どうすればよかったんだろう。

 もうすぐ、日が暮れる。

 日が暮れたら、僕は、あのバーに行くんだ。

 そして……、ホワイト・ルシアンの残り半分を飲むんだ。

 でも……、それで憂鬱が晴れるわけじゃない。

 僕は今日も薬を飲む。

 不安がずっと消えない。

 ずっと、ずっと、それは僕の身体の中で溜まり続けて、彼女との輝かしい幻想を見せ、さらに身を焦がす。

 僕は少年少女に夢を持て、と教える。

 どの口が言っているのだろう。

 僕はきっと、どこにも行けない。

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