16 千吉と狐

狐の気配がどうにも気にかかり、探しに出た千吉だったが、どうやら大きな騒ぎになる寸前で間に合ったらしい。

 烏天狗めのせいでえらい騒動になったのは、さして前のことではないというのに、またもや騒ぎになるなんて、千吉としても煩わしいのは御免である。


「どこの山から下りて来た田舎狐かしらねぇが、江戸の町に棲む連中にだって、暮らすのに決まりってぇものがある。

 それをやたらに騒がすんじゃねぇ」


千吉がそうぴしゃりと、どうやら喜右とかいう名前らしい狐めに言ってやると、背中の三太が「そうだ、そうだ」といわんばかりに水をぴょいぴょいと飛ばしている。

 おかげで狐火で乾いたあたりが湿って、大変よい具合となった。


「なにをわけのわからぬことを、我に意見とは偉そうに!」


一方で、喜右は言われている意味がわからないといった調子で、言い返してきた。

 どうにも、己の立場がわかっていない狐である。


「狐め、鍋にでもしてくれようか」


千吉が声を低くして脅してやると、それに怯えたのは喜右ではなく、福田の方であった。


「千吉殿、そこの狐というのが一応は、拙者の昔馴染みでしてな。

 どうか乱暴なことはご勘弁を願いたい」


手を合わせて拝むようにしてくる福田だったが、それを気に入らぬと言わんばかりに吠えたてるのが喜右である。


「これ甚右衛門!

 なにを、そんなはぐれ鬼に向かって頭を下げるか!

 なんと情けないことよ!」


喜右は福田に向かってきつい口調でわめいてから、ぎろりと千吉を睨む。


「そうか、そこの河童と組して、この甚右衛門をたぶらかしたのだな!

 子分の理不尽は我が晴らしてくれようぞ!」


そしてあちらの方こそ、わけのわからない理屈を述べるのだから、千吉は呆れてしまう。


「お山の大将かよ」

「喜右、さように子どものようなことを言って、人様に喧嘩をするものではない!」


千吉がぼやいていると、福田も喜右を叱りつけるのだが、これが全く当の狐の心に響いた様子がない。


「目にもの見せてくれる!」


それどころか、千吉に向かって牙をむいて跳びかかってきた。


「千吉殿、逃げられよ!」


慌てる福田が声をかけてくるが、千吉にとって相手は所詮狐である。

 避けもしない千吉に、喜右が噛みついてやろうと襲い掛かる。

 しかし。


「ぐっ、むぐっ!」


千吉は喜右の大口を開けたそれを両手でつかむと、ぐいっと閉じると脇で抑え込む。

 口を押さえられてしまい喜右が暴れるが、力を緩めてやる千吉ではない。

 さらに鬼の妖気をぶつけてやると、喜右はとたんに狐のもっさりとした尻尾をぶるぶると震わせ。


「格の違いもわからねぇんだったら、山から出てくるんじゃねぇよ」


千吉は喜右をそう脅してやると、持ってきていた縄でぐるぐる巻きにしてやった。


「なんとした、喜右よ!

 山でも一番の暴れ者であったお前が!」


喜右があっさりと捕まったことに、福田は仰天しているが、千吉はそちらにも目をやった。


「福田様、この狐めはどういう訳で江戸に来たんで?」


千吉が尋ねると、福田は説明しようとしたのだが、目が合った途端にこちらもまた狐と同じくぶるぶると震え出したので、千吉は「ああ、そうか」と頷く。


「福田様も俺の妖力にあてられなすったか、俺が怖いのでございましょう?」

「いや、それは……」


千吉にそう言われて、福田は口ごもる。

 千吉のことを「怖い」と認めるのは、なにをされたわけでもないのに難癖をつけるみたいだと考えているのだろう。

 もしくは、侍の意地として「怖い」と認めたくないか。

 もしくはその両方だとしても、それは難癖でもなんでもない、生き物としての当然の反応なのだ。


「怖くて当然、俺は鬼。

 それも俺ぁあなた様よりも格上だ、恐怖を感じて当然なんでさぁ――福田様、あなた様は狐ですね?」


千吉が言い当ててみせたのに、福田は肩を跳ねさせた、ちょうどその時。


 ぴぃーっ!


 甲高い笛の根が響いてきた。

 おそらくはこの愚か者の狐の狐火を見てしまった町人が、火消しに知らせでもしたのだろう。


「福田様、とりあえずここからずらかりますよ」


千吉がそう促したものの、福田は足が震えて歩けそうにない。

 仕方なく福田のことも片腕でひょいと抱えた千吉は、さらに三太を背負ったまま早足でこの場を立ち去ったのだった。

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