29 上屋敷にて
加代たちが番屋を訪れてから数日経ったある日のこと。
それは、そろそろ日が暮れようかという頃だった。
「もぅし、お尋ねしたい」
番屋の戸を叩いたのは、立派な身なりの僧侶である。
「どうなさったかい?」
尋ねた留守番の役人に、その僧侶が話すには。
「こちらで、扇が拾われていると聞きました。
実は、我がうっかりものの弟子が、直しに出した大事な扇を落としたもので、どこにあるのかと探しておりました。
親切なお方から、こちらに申し出よと教えていただいた次第でございます」
僧侶の丁寧な物腰に、役人は「そうですか」と応じて、念のためにその扇とやらがどんなものかを聞いた。
すると帳面に書いてある特徴とぴたりと一致したため、これは落とした当人だと断じる。
「分かりました、一筆書きますんで、それを持って今から言うお屋敷をお訪ねくださいな。
そちら様が預かっておられますからね」
役人がそう言って手紙を書くのに、僧侶は笑みを浮かべた。
「ああ、ありがたい。
人とはかようにも親切なのですね」
奇妙な物言いをする僧侶だったが、役人は「坊さんはたまに分からねぇ話をするもんだ」と気にしなかった。
そしてその日の、夜も更けた時刻。
南部家の上屋敷では、殿様がすでに床についていた頃であった。
寝ずの番をしている者たちに守られ、健やかな眠りに落ちていた殿様であったが。
バサバサッ、バサバサッ!
大きな鳥の羽ばたきが聞こえ、殿様は目を覚ました。
その音がやたらに煩く、とても近くから聞こえたので、不気味に思った殿様は障子の外へと問いかける。
「なにか出たのか?」
しかし、これに障子の外からの返事はない。
はて、どうしたものかと殿様が思った時。
「南部殿デございますカナ」
少々耳障りなような、それでいてよく響く声が、そちらから聞こえてきたものだからギョッとする。
「何奴か!?」
しかし、みっともない振る舞いを万が一にも配下の者に見られるわけにはいかず、殿様は布団の上に置きあがり、しゃんと背を伸ばしてきつく問いかけた。
すると、これに相手は答えてくる。
「夜分ニ、このような礼を失する行い、まことに申し訳がナイ。
しかしこの時刻にしかここへは入れなんだノデ、ひらにご容赦いただきタイ」
そう言われてからひゅうっと風が吹くと、なんと障子がひとりでに開く。
そして障子の向こうにいたのは、大きな体躯の全身が真っ黒な羽毛に覆われ、これまた大きな翼を背に広げた、鳥頭の生き物だった。
なんという面妖な生き物か、と驚く殿様に、それは名乗る。
「我、烏天狗と呼ばれし者ナリ。
南部殿トお話をしたく、こうして参った次第」
烏天狗とは、噂に聞く化け物の一種ではないか。
そんな化け物が、この南部家の主である己に用事があるという。
「話とな、それはなんだ?」
殿様が声が震えぬように気をつけながら、烏天狗とやらに問いかけた。
するとこれに答えるには。
「先だっテ、我がうっかり者の弟子が遣いの先で、大事な扇を落としましてナ。
その落とした扇を預かっておられると聞きましテ、返却を頼みたくこうして参っタ」
なんと、下屋敷の遠山から話を通され、預かっていた扇の件であるらしい。
しかもその言葉の後、音もなくすうっと畳の上を滑って殿様の手元まで動いてきたのは、簡素な書き付けだった。
殿様は恐る恐るその書付を手に取り、読んでみた。
「なになに、ふむ、これは確かに番屋で受け取った証であるな」
どうやらこの烏天狗は番屋に尋ねて行ったらしい。
人ならざる身で律儀に人の法に従うとは、見上げた化け物である。
殿様はそう感心してから、「うむ」と頷く。
「扇であればここにあるぞ。
預かりものを盗まれては我が家の手落ちとなるでな、こうして寝所に持っておるのよ」
殿様はそう話すと、枕元の近くにある棚の上にかけてある覆いををひょいと外す。
果たしてそこには、立派な装飾の大きな扇が置いてあった。
するとその扇が書き付けの時のように、すうっと滑るように動いて、烏天狗の元へゆく。
「確かニ確かニ、これぞ我らが宝でアル!
なんト有り難いことであろうカ、感謝いたすゾ!」
深々と頭を下げる烏天狗に、殿様は「なんのなんの」と手を振る。
「頼みごとを引き受けたまで、しばらく美しき扇を眺めていて眼福であった」
「そうも褒めらレ、扇も嬉しかろうゾ」
そう言って烏天狗は「カカカ!」とまるで笑うように高く鳴くと、びゅうっと強く風が吹いてたまらず目を閉じたかと思ったら、次に目を開けた時にはもうそこにはいなかった。
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