16 困った弟

「はぁ? なによそれ?」


加代は最初大介がなにを言っているのかわからず、眉を寄せる。

 逢引きとは、我ながら自分に一番似つかわしくない言葉であろう。


 ――大方、どこかで嘘を吹き込まれて揶揄われたのね。


 加代がそう考えていると、しかしどうやらそうではないようで。


「だって、姉ちゃんが千吉さんと二人並んで、饅頭を食ってたって聞いたんだ」


大介が子どもっぽく口先を尖らせて話したのは、加代にとって覚えのある内容であった。


「ああなぁんだ、そのことなの」


加代はほっと息を吐く。

 大介が逢引きだなんて言うものだから、もっと艶っぽい話がまことしやかに流れているのかと思ったのに、全く驚かせないでほしいものだ。

 安堵する加代と逆に、大介が顔を赤くして怒り出す。


「なんだよ、本当のことなのか?

 俺ぁそんな話聞いていないぞ!」


この言い分に、加代は呆れてしまう。


「なんであたしの行動を、いちいちあんたに教えなきゃいけないのよ」


加代はぴしゃりとそう言ってやった。

 それにしても、大介が話すのは千吉との饅頭を食べた話ばかりで、その前にあった掏り騒ぎについては言わないので、そちらのことは知らないのだろうか?

 不思議に思いつつも、加代は誤解のないように事の経緯を伝えてやった。


「確かに、あたしが千吉さんを誘って、菓子屋の店先でお饅頭を食べたけどね?

 千吉さんにはちょっと……そう、お礼をしなきゃいけなかったからよ」


加代は「掏りが云々」と言いそうになって、慌てて誤魔化す。


「なんだよ、そのお礼っていうのは?」


しかしその誤魔化した辺りが気になるらしい弟が、追及してくる。


「色々よ、この間はお屋敷からたくさん出た焚き物を運んでもらったし」

「そんなの、あっちの仕事じゃあないか」

「仕事でも、重い物を持ってもらったらありがたいでしょう?」

「そんなの、俺に言ってくれればいいのに」


この弟も、いい加減にしつこい男である。


 ――大介が女に人気がないのって、こういうところなんでしょうねぇ。


 こういう少々ねちねちとしたところは、一体誰に似たのやら。

 大介のことだから、掏りにひっかかりそうになったなんてことを聞かせたら、もっと騒いで加代との同居を言い出して、お屋敷に入り込みそうな気がする。

 加代としても、さすがにそんなことをされては鬱陶しいし、遠山様に迷惑をかけてしまうわけにはいかないので、真実は言わぬが花だ。

 それにこうなるとわかっていたから、恐らくは太助親分が弟の耳に話を入れないように配慮してくれたのだろう。

 それを大介は野次馬の話だけかいつまんだものだから、その後加代と千吉が一緒に菓子屋へ行った話ばかりを聞いたのだろう。

 掏りがなんのという江戸で毎日起きている話よりも、人の惚れた晴れたの話の方が盛り上がるのは、人の世の常である。

 このように大介と言い合いをしていると、姉弟をいいかげんに取り成そうというのか、大造が話しかけてきた。


「しかし加代よぉ、おめぇも出歩くのには気ぃつけな?

 なんでもどっかの大店に盗人が入って、死人が出たっていうじゃないか」


いささか唐突だが、話を変えようとしてくれた父親に加代はホッとしながら、「そうねぇ」と頷く。


「盗人がうろつくような夜中に外へは出ないようにしているもの」

「そうならいいが、本当に気ぃつけてくれよ?」


大造がなおも不安そうに言い募る横で、大介が「俺も一緒に住む」と言い出しそうな顔をしているので、加代は魚を選んでしまったら、早々に退散することにした。

 この様子だと、外へ出ないのは盗人云々以前に、千吉から忠告されたからだということは、今は言わない方がいいだろう。

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