11 お殿様の訪れ
饅頭で人心地ついた加代は、足早にお屋敷に戻る。
「遅くなりまして」
加代が戻りの挨拶をすると、少々戻りが遅いかと遠山様が心配していた。
「実は……」
加代が掏り騒動について語ると、「そりゃあ災難なことだ」と同情される。
「人が困っている時につけ込んで悪事を働くとは、まったく許しがたい輩がおるものよ」
「本当に、同心の方々も親分さん方も、ご苦労様なことですよ」
加代と遠山様とがそんな風に言い合ってからしばらくして。
立派な籠と大勢の侍の集団が、屋敷へと到着した。
あの籠にお殿様が乗っているのだろうが、加代はその姿を見られる場所に出るような立場ではない。
というよりも、緊張するばかりなので出たくないというのが本音である。
そんなわけで、お殿様のお迎えを遠山様に丸投げしてしまった加代は、お茶の用意だけするとそれも障子越しに遠山様に手渡してしまうとすぐに引っ込んでしまう。
そして現在奥の方で、干物の具合を見ていた。
最近晴天が続いたので、干物は良い感じにカチカチになっている。
カチカチ!
「うんいい音、うまく干せた」
干物を打ち鳴らしてみて出来具合に満足した加代が、干物を籠に詰めていっていると。
「そこの者」
突然知らない格式ばった声に、背後から呼び掛けられた。
「ひっ、はい!?」
お殿様御一行様は自分には関係がないと、油断していた加代は腰を抜かしそうになるくらいに驚いてから、かろうじて返事をする。
振り返ると、そこにいたのは立派な身なりの侍であり、彼が加代に呼び掛けたのだろう。
やはりお殿様の御一行様の一人だと思われた。
「な、なんでございましょうか……?」
恐る恐る尋ねる加代に、その侍は真面目な顔で告げた。
「遠山殿のお話に、殿が興味を持たれた。
そこの干物を所望であるゆえ、いくつが融通してくれ」
なんと、立派な身なりの侍が、加代の作った干物をくれと言ってくる。
――遠山様、なにを話しているんですか!?
まさか遠山様は、お殿様に干物作りの話をしたのだろうか?
どうか偉い人同士の話題には、加代を巻き込まないように気を使ってほしい。
加代としては恐れ多いものの、断る理由も特に思い当たらない。
なので今干していた干物の中から、出来がよさそうなものを別の籠に詰めて、その侍に手渡す。
「ありがたく頂いていこう」
その侍は几帳面に礼を述べて、去っていく。
――あとで「素人が作った干物なんて!」とか言われないでしょうね?
どうかあの干物が行く先で揉め事の種にならないようにと、加代は願うばかりである。
それからしばらくして、お侍様たちがぞろぞろと連れ立って歩いている様子が遠目に見て取れた。
どうやらお殿様がお帰りのようだ。
しばらくして加代がお茶を下げに行くと、お茶請けの羊羹はなくなっていた。
――う~ん、さすがお殿様。
これが庶民であれば、羊羹を出された客は食べずに遠慮して残すもので、散々客のお茶請けとして使い回されて砂糖が表面に浮いてきた羊羹を、家の者で「残ったから仕方なく」食べるのだ。
このように羊羹とはすなわち「食べてはいけないお茶請け」と思うものなのだが、お殿様は出された羊羹を素直に食べるお人らしい。
このあたりが、庶民とお殿様との違いなのだろう。
お殿様の来訪があったので、加代が湯屋にいく時間がかなり遅くなってしまった。
暮れの六つの鐘がもうじき鳴ろうかという頃合いであり、漁師連中がやってくる時間もとっくに過ぎてしまったところへ、加代はなんとか滑り込めた。
それでも湯屋でさっぱりとした心地にならなくては、一日を終えられる気がしないというものだ。
「今日は随分と遅かったなぁ。
お客さんだったんだって?」
「ええ、そうなの」
加代は慎さんとそう言葉を交わしてから中へ入ると、パパっと着物を脱いで奥へ行く。
手早く身体を洗うと、ちょっとの時間だが湯に浸かる。
「はぁ~」
湯はずいぶんと温くなっていて、もうじき仕舞いにするのだろう。
しかしこの温さが、加代の強張っていた身体に心地よい。
お殿様と顔を合わせなかったとはいえ、やはり緊張していたのだ。
日暮れ間際なので湯船は本当に真っ暗だが、隅の方に誰かいるの気配がする。
――あたしみたいに遅くにしか来れなかった客って、案外いるのね。
自分だけではないという安心感で、加代は思わず鼻歌が出る。
その後、さっぱりした気分で湯屋を出た。
ちなみに、千吉と顔を合せなかったのは、幸いなのかどうなのか、加代には判断がつかないが、ホッとしたのと同時に、どこかでガッカリしている自分もいたのは、実に不思議だ。
今日の夕食は遠山様共々店屋物で済ませてしまい、疲れたのでさっさと寝てしまった。
だが、その夜のこと――
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