8 お使いに出た先で

ともあれそんなわけで、加代は羊羹を買いに出かけることになった。

 お殿様などという偉いお方が来るのだから、羊羹は最近評判の紅屋のものを、と行きたいところだ。

 けれど、あの店は早い時間でないと売り切れるという話である。

 その紅屋までここ深川からは距離があるため、加代が今から頑張って走ったとしても、売り切れ前に間に合うか微妙である。

 それに帰りがヘトヘトになって、むしろお客が来るまでに帰るのに間に合わないかもしれない。

 なので加代は素直に、近所の菓子店に行くことにした。

 こちらだって、ちゃんと美味しいのだ。


 ――ついでに、自分のお饅頭を買おうっと。


 人とは涼しくなってくると、何故だかお腹が空くものなのである。

 しかし、このお殿様の訪れという予定に、周囲から加代が少々浮ついているように見えたのかもしれない。

 羊羹代を預かった財布を大事に懐に仕舞って、早足で歩いていると。


 ドン!


 誰かと肩がぶつかった。

 朝の時間は誰もが忙しくしているので、こうしてぶつかることは珍しくもないので、普段であれば別に文句を言うわけでもなく、通り過ぎるものだ。

 加代も多少よろりとしたものの、そのまま歩いていこうとした。

 しかし――


 ぞくっ……。


 何故だか加代は悪寒が走って、身をすくませたると。


「なっ、なんでぃ!?」


すぐ後ろで男の悲鳴がしたので、加代は驚いて振り向く。

 するとそこには、生白い顔をした細身の男がいて、その男の手を湯屋「あいあい」の釜焚き、千吉が持ちあげているところだった。

 そしてその持ち上げられた手には、見覚えのある巾着袋がある。


「あ、それあたしのよ!」


そう、あのよれ具合といい、加代の財布代わりの巾着袋に間違いない。

 さらには懐をぱたぱたと探してみれば、袋がたしかにそこにない。

 生白い男は「しまった」という顔になり、千吉の手を振りほどいて逃げようにも、手を外せないでいる。

 この様子に、周囲の通行人たちが「なんだ、なんだ」と足を止めた。


「お前さん、そちら様から盗りなさっただろう?」


大男の千吉に見下ろされた生白い男は、一瞬言葉に詰まらせるが、「これはあっしのでぃ!」と言い張る。

 こうなっては、後には引けなくなっているのだろう。


「こちとら、あんな触り甲斐のなさそうな胸をまさぐる趣味はないやい!」


生白い男がそうわめくのに、周りで様子を野次馬していた連中から、くすくすと笑い声が漏れ聞こえる。

 盗人のくせしてそんなことを言ってのける生白い男にも、これに笑ってみせる野次馬たちにも、いくらのんびり者の加代だって腹が立つというものだ。

 威勢のいいことを言ってみせても、千吉に片手をとられて動けない生白い男に向かって、加代は思いっきり片足を振り上げた。


「~~!?」


それは上手いところ下駄のあたりが生白い男の股の間に当たり、相手は悶絶して倒れようにも、千吉の手が李緩まずに倒れられない。


 わははは!


 さっきのくすくす笑いとは比ではない大笑いが周囲で起きるが、そんな連中は先程まで加代のことを笑っていたのだから、一緒に笑う気になど全くならず、むしろしらけた気分になるばかりだ。


「お加代さん、中身はちゃあんとありますかい?」


するとこの場の中で一人だけ、笑いもしない千吉が生白い男の手から巾着袋を取り上げて、加代の方に差し出しつつ問うてきた。

 そうだ、今の自分はお遣いの途中であって、こんなくだらない騒ぎに煩わされている場合ではない。

 加代は巾着袋を受け取ると、開けて中身を数える。


「全部そろっている、大丈夫」


加代はほっと胸をなでおろすが、それにしてもと思うのは。


 ――この人って、あたしの名前を知っているんだ。


 まあ、加代は「あいあい」の常連の一人なので、名前を知っていてもおかしくはない。

 けれど千吉と会話をしたのは先日が初めてだったので、こうして加代のことをちゃんと知り合いだと思っていたというのが意外だったのだ。


「なんでぃ、どうしたぁ!?」


するとそこへ騒ぎを聞きつけたのか、このあたりをシマにしている岡っ引きの太助親分が、手下と一緒に裾をからげてやってきた。

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