2 釜焚き男

 湯屋「あいあい」は漁師町のある油堀沿いにあって、漁師たちがよく通う湯屋である。

 かくいう加代も、幼い時分から湯屋といえば「あいあい」にばかり行っていたし、今でもそうだ。

 そしてなにより、今遠山様が出かけている湯屋であった。

 湯屋の釜焚きは、一日に数回ああやって釜の焚き付けにつかえる燃え物を集めに、車を引きながら町内を巡る。

 主に引き受けるのは材木や解体家屋の端材だが、町人の燃え物のごみを処分してもらえるので、ありがたい存在だろう。

 そして燃えかすの灰は肥料として農民に渡されるので、無駄がないことだ。

 そして「あいあい」の常連である遠山様は焚き付けに貢献したいようで、燃え物を上屋敷からも集めてきて、釜焚きに渡してやろうと用意していた。

 なんとも気の利く上に親切な遠山様だが、それを渡す役割は加代のものだったりする。

 そしてこれが肝心だが、加代は実のところ、あの釜焚き男があまり好きではなかった。

 けれど別段、あの釜焚き男からなにか嫌なことをされた経験があるとか、そうした理由があるのではない。

 ただ、なんとなく虫が好かないというか、近寄りたくない男なのだ。


 ――ああ、嫌だなぁ。


 加代は内心でそう思いはしても、それはそれだ。

 せっかく遠山様が集めた物を渡さないわけにはいかないし、そんなことをすれば、さすがに叱られてしまうだろう。


「もうし、湯屋の人」


加代が塀越しに声をかけると、釜焚き男が立ち止まった。

 遠山様がよく焚き物を出すので、彼もゆっくりと進んでいたのだろう、すんなりと車が止まる。


「へぇ、なんぞありますか?」


そう返してくる釜焚き男は、名をたしか千吉と言ったか。

 年の頃は本人から直に聞いてはいないので詳しくは知らないが、恐らくは加代よりも少し上だろう。

 身体つきはよく日焼けしていて、筋骨隆々とはまさにこういうものを言うのだなという見本のような、逞しい男である。

 背もたいそう高いので、加代が背伸びしてやっと向こうを覗ける塀であるのに、千吉はその塀を上から見下ろす程だ。

 この見下ろされるのも、加代は好きではない。

 頭に手拭いを深めに被っているので顔は見辛いのだが、それでも噂によると顔立ちは強面ながらも整っているそうで、「あいあい」に通う女たちから人気があったりする。

 客の身体を洗う三助にならないのか? と女客にせっつかれているようだが、本人は釜焚き場から中に入ろうとはしない。

 加代にとっては結構なことだ。

 そんな千吉だが、実は「あいあい」に昔からいるわけではなかった。

 三年ほど前だろうか、湯屋の主が突然どこかで拾ったとか言って連れてきて、それから働き始めたのだ。

 加代の妹などはこの千吉が「あいあい」にやってきた当初から熱を上げており、旦那をやきもきさせているようだが、加代は当初から彼のことが好きではない。

 しかし以前ならば、加代が湯屋に行っても裏方仕事である釜焚き男と会う機会もなし、燃え物を出すにしても弟妹に頼めば済む事だったので安心だったのが、まさかこうして直に顔を合わせて会話する羽目になるとは、人生わからないものである。

 それはともあれ、今は焚き物の受け渡しだ。


「焚き物に出すようにと言われているのだけれど、あたし一人じゃあ重たいので、動かしてもらえる?」


加代は千吉にそう頼む。

 どうやら上屋敷の方で屋敷の手入れがあったようで、その際に出た端材などの様々なものが結構な量こちらに流れてきたのだ。

 とてもではないが、塀越しに受け渡せる量ではない。


「そりゃあ、お安い御用で」


請け負った千吉に裏の木戸に回ってもらい、そこのすぐ奥に積まれた焚き物を指し示す。


「これだけど」

「いただいていきます」


頷いた千吉は、ここへ男衆が数人がかりで運んできた燃え物であるのに、それを片手で軽々と持ち上げてぽいぽいっと車に積んでいく。

 身体に見合う、いや、見た目以上の怪力ぶりで、これもまたなんとなく怖くて加代が嫌なところだ。

 つまり、加代が好くような所が今のところなにもない、それが千吉という男である。

 しかし、これで千吉もとっとと去るだろうと思っていると。


「……ああ、そうだ」


千吉がふいに加代に話しかけてきた。

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