第7話 記憶に残る人びと

 ここで、出会って記憶に残る人に触れてみようと思う。


 断られたんだけど、ものすごく記憶に残っている人。

 お相手は都内で、老舗の蕎麦屋をやっている跡取り息子。そこそこ年上だったと思う。


 会ったはいいが、開口一番「あんたにはうちの店は無理だ」と言われた。(笑)


 え? コレ、バイトの面接だったっけ??????


 なんかもう、その後のことはよく覚えてない。

 語り口がやたら横柄で、こちらを働き手としてしか見てないんだなぁという態度が丸見えだったので、すごい印象に残ってる。


 なんて失礼な、と思ったけど、飲食業タダ働き前提の嫁探しなんて、こちらから願い下げだったので、もうどうでも良かった。


 後年、某地に用事があったときにそれっぽい蕎麦屋に入って、更科蕎麦を食った。とても 美味うまかった。

 けど、もしここがその店だったとしたら。


 老舗らしきたたずまいの店舗だった。

 家族経営の嫁に入るのは、絶対やだなぁと感じた思い出。


 家柄が違うんだよな。うん。

 所詮、縁がなかったんだよね。




 オーネットで活動当初、大手化粧品会社の開発部門で働いている、ひとつ年下の青年と会った。


 すごく品がいい人で、優しかったし、誠実で、間違いなくこの先結婚できるだろうな、という印象だった。

 デートのために親から借りてきた、という車も高級な白いセダンで、内装が品のいい木目仕様でねぇ……。(遠い目)

 もしかしたら、年齢の高い両親のあいだに生まれた人だったのかもしれない。


 向こうもこちらを気に入ってくれて、しばらく付き合ったのだけど、女性化粧品の開発をしているせいか、ちょっぴり尾木ママ(尾木直樹氏)みたいな雰囲気ニュアンスがあって、筋肉ダルマ(当時、A・シュワルツェネッガーとかドルフ・ラングレンとかが好きだった病気かよアホだね)が好きだったので、繊細な配慮と優しさに気が引けてしまったんだよね。


 あの頃はまだ、将来的な未来を考えて付き合う、というものがよくわかってなくて、理由をつけて断ってしまった。

 あくまでもアレは、自分の都合しか考えてなかったな。


 いま思い返せば、後にも先にもあれほどいい人は(夫を除いては)いなかったように思う。

 たぶん結婚してなかったら、今でもどうしてるかな、と考えたりするひとりだったんじゃないかな。


 今、新しい自分の家族と幸せに暮らしてるだろうか。




 ふたつ年上の人と短期間付き合った。


 デートで、劇団四季の李香蘭を観に行った。

 観劇中、しきりと近づいてきて手を握ろうとするのが、とにかく体感的にダメで、ああこれは無理だな、と思ってしまった。


 なんというか無意識に身体が反応して、離れようとする感じ。



 ここで白状するのだけど、小学校低学年のときに知らん若い男に呼ばれて「自転車を直すのを手伝ってほしい」と頼まれた。人けのない場所に連れて行かれて、「自転車を支えててくれ」と言われ、支えてて立ってたら両足の幅を広げげられてわけもわからず局部を触られた嫌な記憶がある。

 すごく怖くて、あの感覚は遠い過去なのにいまだに忘れることができない。

 母親いわく、私は子どもの頃から同年齢の子と比べると体格と肉付きが良くて、特に尻を隠したほうがいいと思っていたらしい。

 後年、通勤中にやたら痴漢のターゲットになったり、飲み帰りの見知らぬオヤジ連中に胸を鷲掴みにされたりした経験があって、私個人を好きになってくれる人はいないのに、性的だけの対象にはなってしまう自分自身の外見を、ものすごく忌み嫌ってる部分があった。


 そもそも人間扱いされずに毛嫌いされた時期があったから、男性が苦手だ。

 一定の距離を取らずに肉薄してくる相手は、個人的な関心以前に性的な興味があるに違いないと感じてしまうから、まずは警戒するしかなかったわけ。



 その人は決して悪い人ではなかったし、他と同様にきっといい人を見つけて結婚できるタイプだと思ったけど、それは自分じゃなかった。


 そばに寄られるのがダメなタイプ、というのはけっこう多くて、自分に問題があるのかと思って悩んだ。

 無理なもんは無理なので、断るしかない。


 結婚相談所に入ったものの、まったく話が進まない娘(私)に、親から「あんたは選り好みし過ぎだ」と断りの回数が増えるたびになじられるわけですよ。

 でもこればかりは本能の部分の拒否だから、どうしようもないわけで。


 結局、ご本人の口から出た「いずれ東北の地元に帰る」という発言で、正式にお断りすることになった。

 知らない土地に移るのは嫌だった。

 自分の眼病が専門医でしか診てもらえず、健診のために渋谷まで来られる保障も無い。都心から離れるのは不安だった。


 地方に嫁ぐ選択肢は、最初から無かった。





 食の好みが合わな過ぎて、だめだと思った人がいる。

 ふたつ年上の人だった。


 デートしているときに、昼食をとろうということになって、「俺はピザとビールがいい」と一方的に決定されてしまった。


 有名私立大学を中途で辞め、海外留学してから帰国して、大学に頼み込んで復学し卒業した、と言っていた。

 そんなこと許されるんかいな、と思った記憶。


 俺様気質の人で、こっちの言い分はまず通らなかったので、これはないな、と感じた。


 ビールとピザ、別にいいけど。

 海の近くで、この日は日が出ててもそこそこ寒かったんだよね。肉が詰まった体格だったから、あの人は寒さの自覚がなかったのかもしれないけど。

 あとピザがすごく油っこくて、胃がしぬかと思った。(^^;;


 別の日には昼食に、背脂マシマシギットギト麺を食べにラーメン博物館に連れて行かれて、このあとまったく食べ物を受け付けなくなるという人生初の体験をした。

 完全に胃がしんだ。


 アメリカナイズ?されてるというか、食べ物の好みが脂っこいものばかりだったので、食の好みが似てないと共生は大変だな、と学習させてもらった人だった。


 当然、断った。




 建築現場の監督をやっている、ふたつ上の人とあった。

 おとなしめな言葉少なの人で、どうにも会話が続かない。


 ちょうど私の誕生日だったので、プレゼントに貴金属のネックレスをもらってしまった。

 自分に自信がないと言っていた。


 5回ほど会ったと思うんだけど、やっぱり話が続かなくて難儀した。

 申し訳ないがデータを返そうと思う、もらったものを返したいと告げたが、返されても困るから、とそのまま受け取ることになった。

 このアクセサリーは後日、まとめて別のアクセサリーを作るときの地金買取りとして手放した。



 初めの数年は年上を対象範囲に入れていたのだけど、会う回数が増えると向こうがかならず甘えてくるために、相手を受け付けなくなる自分に気づいた。


 長女だから、下の弟たちの面倒をみないといけない、気が利かないお前は女じゃないと常に言われて育ったので、ただただ自分より年上の人間が、年下の面倒をみることなく甘える、という行為が心底気に食わなかった。

 男性が女性に甘えるのは当然じゃん、と理解はするのだけど、生理的にまったく受け付けない。


 逆に年下に甘えられるのはまったく大丈夫だったため、データ交換を同年齢から四つ年下までの年齢制限に変更した。


 三十路女は価値が下がるとネットのスレッドでは散々言われてたし、実際に世間の反応(特に会社で)も『行き遅れ』の目で見られるようになっていた。

 年下狙いなんて馬鹿じゃねえの、と罵声を浴びさせられても仕方ないとは思う。


 だが、これだけは条件として譲れないと思った。



 続く。

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