6月9日

第11話 6月9日 火曜日

 昨日はあれからお湯を沸かし直して菊池さんにもう一杯お茶を淹れたあとに、またすこし話をし戸締りをして寝た。


 電気は僕が寝るちょうど一時間前に復旧した。

 高校の授業料を払うという前提はあるけれど、これでいちおう普段の生活というものに戻った。


 ふつうに登校して、ふつうの授業を受けることができる。

 まあ、こんなんじゃ当然、進学は無理だろうけど。

 ただ学校にいるあいだ家の電気が点くか点かないかの心配をしなくていいのは本当に助かる。


 悩みがひとつ減っただけで体がずいぶん軽くなったように思えた。

 悩みを抱えた状態というのは心に相当な負担がかかって本当に苦しい。

 おかげで僕は今日一日晴れ晴れとした気持ちで過ごすことができた。

 それは授業を終えた放課後の今でも、だ。


 肩の荷がひとつ降りた僕は軽い背中のまま校門を出る。

 目の前の理髪店をながめると今日も店主は誰かの髪を切っていた。

 営業時間と定休日と「HAIR SALON」のステッカーのすきまからそんな様子が見えた気がする。

 何気ない日常がどんなに大事だったのかをまた身をもって知る。


 理髪店の奥さんが店から出てきて「赤」がトレードマークの飲料メーカーの自動販売機でジュースを買っていった。

 あとすこしで誰かの髪が切り終わる合図だ。


 理髪店にも常連さんがいて散髪が終わったあとでも世間話をしてる人がいたっけ? 僕も小学生のころ区切りのいいところまで漫画を読んで帰ったこともあった。 

 でも早く帰れ、というような顔をされたこともないし嫌味を言われたこともない。


 大納言もだけれどS町の人は人と客との距離がすごく近くてある意味旧時代的なのかもしれない。

 それを嫌がる人もいれば孤独から救われる人もいる。

 

 僕も家で独りだけど周りに人がいるからなんとかやっていけてる。

 窓ガラスが割れて壁に穴のあいている居酒屋を横目に、そのまま交差点まで進む。

 ここを斜め横断をすれば早く電話ボックスに着くけれど、今日だって僕はそれをしない。


 でも、まずはコンビニに寄っていこう。

 なんていったってテレホンカードの残量が「11」しかない。

 「11」なら単純に百十円ぶんしか通話できない。


 これだけあればすぐに使い切ることはないだろうけど、なんとなく心もとない。

 信号が青に変わるの待って僕は横断歩道を渡る。

 コンビニの駐車場で「ようこそ化石の町へ」の旗に出迎えられそのまま店に入った。

 

 昨日はレジ前がすごく混んでいたけれど、今日はすごく空いている。

 曜日や時間帯で人の出入りがぜんぜん違う。

 僕は店に入ってすぐ店員さんに声をかけた、でも、今、ホットスナックの下拵したごしらえをしていたみたいでちょっとタイミングが悪かったなと後悔した。

 

 店員さんは手に持っていた物をキッチンペーパーのような物の上に置き手を消毒してから僕のいるレジのところまでやってきた。

 やっぱりタイミング最悪だ。

 心の底から謝りたいと思った。

 ごめんなさい。

 

 ただ今の僕はカゴも商品も持っていないから店員さんのほうからなにかアクションをしてくることはない。

 だから僕のほうから声をかけるしかない。


 「すみません。50度のテレホンカード一枚ください」


 「一枚ですか?」


 「はい」


 「かしこまりました」


 店員さんはうしろを向いてしゃがみ込むとタバコ棚の右下にある観音開きの引き出しを開いてゴソゴソとしている。

 中にある五段の黒いスケルトンラックの引き出しを上から順番に開けていき、ちょうど三段目の引き出しからビニールケースに入ったテレホンカードをさっと引っ張り上げた。

 「TELEPHONE CARD」というスペルと「50」という数字の入った青いグラデーションのNTT公式のテレホンカードだ。


 本当はもっと違ったデザインのテレホンカードがほしいけど、ここのコンビニにはこの柄しか置いていないからほかに選択肢はない。

 「50度」が「105度」になった場合はカードの数字が「105」になって緑のグラデーションに変わるだけだ。

 僕が最初にコンビニここでテレホンカードを買ったとき店員さん四人がかりでテレホンカードの在処ありかを探していた。

 それだけ日頃テレホンカードは売れないってことだろう。


 今では、僕がちょいちょいテレホンカードを買うのから他の店員さんにもそれが伝わってるみたいだった。

 あの娘もここでテレホンカードを買ったんだろうか?


 結局ここのコンビニには五百円で買える「50度」のテレホンカードか千円で買える「105度」のテレホンカードしか売っていない。

 というのも今は「50度」か「105度」のテレホンカードしか使えないからだ。

 どうして千円のテレホンカードは「100度」じゃないのか? それは「5度」ぶんサービスだから。

 つまり千円でテレホンカードを買えば五十円得することになる。

 千円で千五十円ぶん通話ができる。

 まとめて買うと特になる商品はこの世にはたくさんある。

 

 「こちらでよろしいでしょうか?」

 

 店員さんが僕に確認をもとめてきた。

 

 「はい。大丈夫です」


 「お支払いは」

 

 「コンビニここの電子マネーで」

 

 「では、こちらにどうぞ」

 

 店員さんが手を差し出した。

 僕はヘリポートのような端末にここのコンビニの系列ならどこでも使える電子マネーのカードを財布のままかざした。

 端末から陽気な音がして支払い完了だ。

 

 支払いのもろもろと電子マネーの残高、それにコンビニのオリジナルポイントさらには企業広告とそれに関係するQRコードまでが載っている長めのレシートを受けとった。

 

 「こちらはシールでもよろしいでしょうか?」

 

 「はい」


 店員さんはテレホンカードのビニールケースの端にコンビニのロゴの入ったテープを貼った。

 

 「どうぞ」


 「ありがとうございます」

 

 僕はテレホンカードを受けとって制服の内ポケットにしまう。

 あとでシールを剥がしやすいよう本当に端の端にシールを貼ってくれていた。

 

 「ありがとうざいました。また、お越しください」

 

 僕は今日もまた頭を下げて――こちらこそお世話になりました。を、聞こえないように言う。

 コンビニに入ったときに鳴る――キンコンという音が僕を送ってくれた。

 

 僕はコンビニの駐車場を抜けて十字路交差点の信号の前で止まる。

 この隙に制服の内ポケットに手を入れてテレホンカードに貼られているシールを剥がしてそれを指先で丸めテレホンカードとシールに分けた。


 僕の目の前は国道だから車の流れを遮らないようにと赤信号の待ち時間はとくに長い。

 いつも赤信号で足止めされてる、という感想も間違ってないと思う。


 ここからまっすぐ行って個人経営の歯医者「ブランデンタルクリニック」から右に曲がってもあの電話ボックスには着くし、ここで右折し道の駅のところを左に曲がっても電話ボックスには着く。

 ちなみに僕の左手に見えているスナックのほうに直進するとコインランドリーがある。

 コインランドリーの対面は年末に母さんがカレンダーをもらってきた地方銀行の支店。

 この時間ならもう窓口のシャッターは下りてるだろうな。


 コインランドリーのある歩道をさらにまっすぐ進んでいくと町を北と南に分断している大きな橋がある。

 橋の欄干には「化石発掘の町」という、これまたS町の特産品が化石とでもいうような横断幕がある。


 橋の左右にある街路灯も町をあげて作った恐竜の骨の形をした特注品だ。

 あまり気にしていなかったけれど今、僕がいる交差点の四つ角の街路灯もその恐竜の骨のカバーだった。

 町の広報誌にこれからもさまざまなグッズ展開をおこなっていくと書いてあったっけ。


 町民総出でそれを応援しているみたいだ。

 僕のうしろでばたばたと風にはためいている「ようこそ化石の町へ」の旗がまさにそれだ。

 橋を渡ってさらに進んでいくといっきにシャッター商店街になる。

 

 なのに一店舗だけ未来を約束されたような店があった。

 それはまた別の大手コンビニのフランチャイズ店。

 商店街を右に曲がって蛇がうねるような道を進んでいけば森林のような木の中に学習センターがある。

 

 大手コンビニのフランチャイズ店のさきは緩やかな坂になっていて、その上は地方限定コンビニと中華料理屋だ。

 そこからさらに約百メートル進めば市民や高校生たちがよく行くカラオケ店。

 地方限定のコンビニの前にもピンクの公衆電話が置いてある。

 

 そういや公衆電話にも何種類か色があるな? 青信号を知らせる機械の鳥の鳴き声が耳に入ってきた。

 考えごとをしていると信号が変わるのも早い。

 今日もやっぱり僕は直進する。


 「ブランデンタルクリニック」の前で右折し調剤薬局の前を通ればあの電話ボックス。

 電話ボックスが目に入ったときから見えていた。

 まさかまた会うはめになるとは。

 

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