3-5 突撃! 隣の七海ご飯!

 悪いことは連鎖するものだ。


 購買でパンを購入して部室に向かう途中、更なる不幸が襲ってきた。背後から俺のものとは違う足音が聞こえてくる。立ち止まるとその足音も一緒に止まり、歩き出すと再び聞こえてくる。今日もなのか。


 昼休みの特別教室棟の廊下を歩くのは授業の準備をする先生か、忘れ物をした生徒くらいだ。最初は足音の速さから鳳先生だと思い、美術室に着いたら絵を描くふりをしたが、誰かが入ってくる気配はなかった。


 理由はわからないものの数日前から跡をつけられている。振り向いても相手の影すら確認できなくて気味が悪い。階段の踊り場まで上がると二段飛ばしでかけ上がり、下の階から視認できない位置で相手を待つ。誰も来ない。また逃げられたか。これならクソムシ呼びしてきた下級生のほうが、顔が見えた分まだマシだ。


 一ノ瀬さんは今までも困っている先生や生徒を自主的に手伝いつつ、一緒に昼休みを過ごす時間が十分あった。それが今では昼休みにも忙しそうに動き回っている。本人が進んでしているのだから部外者がとやかく言うことではない。


 でも、この状況になる前に何があった?


 一ノ瀬さんと二人でニャオンに出かけ、それを七海に写真を撮られて「愛良」と仲良くしたらダメだと一方的に怒られた。そういえば、あの下級生も付けしていた。何かひっかかる。


 そうだ、あの時は気にしていなかったが、七海に写真なんて撮れるのか?


 七海からは成長した雰囲気を一切感じなかった。現代人なら出来て当然の行為でも、ポンコツで機械音痴な七海に写真撮影という高等技術は不可能。


 それなら、あれは誰が撮ったんだ?


 高校に入学したばかりの頃に机に突っ伏して寝ていたら、聞いてもいないのに一ノ瀬さんの噂話が聞こえてきた。たしか、その噂の中に――


 そこまで考えて、ようやく一ノ瀬さんが昼休みに第二美術室に来なくなった。いや、来ることができなくなった理由に気づいた。こんな簡単なことに気づかないなんて。間違っている可能性がある。確かな証拠が欲しい。高校で会いに行きたくないが仕方がない、思い立ったが吉日だ。


 同じ間取りなのに、どうして自分の席がないと別の空間のように感じてしまうのだろうか。二年二組の入り口から中を覗き、事情を知っていそうな相手を探す。特徴的な容姿だということもあり、すぐにソイツは見つかった。


 一際背の高い、青みがかった黒髪おさげの女子。というか勢いで来たけど夜に家に行けばいいだけだ。教室を去ろうとすると目的の人物と目が合ってしまった。


「……すばるん?」


 それは昼休みの喧騒で書き消されるほど小さな呟き。しかし、俺にはしっかりと聞こえてしまい、その場で立ち止まってしまう。見つかったのなら仕方がない。諦めて教室入り、七海に近づくと食欲をそそるスパイスの匂いが鼻を刺激した。匂いの元を辿ると七海の弁当箱。その中に広がる茶色と白色の世界を見て、目が点になった。


 白米にカレー。


 まごうことなきカレーライスである。


「……もしかして、毎日高校にカレーライスを持ってきてるんじゃないよな?」

「いくら私だって毎日カレーライス・・・は持ってきてないよ。昨日はスープカレーだったもん」

「だったもんって言われても、どっちも同じカレーだろ」

「全然違うよ。スープカレーはスパイスだけで作るからスパイスの味はするけど、固形ルーを使わないから、すばるんが想像するようなカレーライスの味はしないの。カレーライスはその逆で……」


 長々と続く七海のカレー談義に辟易する。弁当箱の隣には保温ジャーが置いてあり、食中毒対策は万全のようだ。普段はポンコツなのに、なんでカレーのことになると本気度が違うんだ。


「君が例のすばるんくん・・なんだ」


 今もなお騒いでいる七海と向かい合うように座っている黒髪ショートの女子が聞いてきた。一目見ただけで体を鍛えているのがわかるスポーツ少女。女子としては高い身長であることを考慮すると、七海と同じ女子バスケットボール部なのだろう。というか――


「……例のって?」


 まさか、あることないこと言っているんじゃないだろうな?


「たしか先週からだったかな? すばるんくんと仲直りできたのに、また喧嘩したってななみんが泣いててさ。なだめるの、苦労したんだよ? ななみんの結婚相手は大変そうだよね。すばるんくんも、そう思わない?」


 その質問をにやけた表情で投げかける理由は全くわからないが――


「その、すばるんくんって呼び方、なんとかならないか?」

「ダメだった? それなら、すばるんくんさん・・・・?」


 知ってか知らずか音ゲーの某マスコットキャラクターみたいなあだ名をつけられた。ただでさえ七海によって名前をゆるキャラ風に装飾されているのに、さらに長くしなくてもいいだろ。もしそんな文句を言えば、次は名前のほうが消えてしまうのだろう。その証拠に七海の友達は目を輝かせてツッコミ待ちをしている。


「呼び方は普通に呼んでくれればいいから」

「でも私、すばるんくんさんの名前知らないけど?」

「それもそうか。俺は夜空昴、普通に名前で呼んでくれればいいから」

「ありゃ、せっかく好きそうなあだ名に変えてあげようと思ってたのに。それなら昴くんって呼ぶね。私は白木佳奈しらきかな、しろっぺでも、かなかなでも好きに呼んでくれていいよ」

「それなら白木さんで。七海に何を聞かされていたのかは知らないが、腐れ縁なだけで同じ高校に入ったのも偶然だから」

「そうなの? でも、ななみんがこの高校に入ったのって――「わーわー! しろっぺわー!」――ななみん、奇声をあげたら近所迷惑だよ?」


 白木さんが話している途中で七海が大声を出して会話に割って入った。


「今度ミルクティーをおごってあげるから、しろっぺは静かにしててっ!」

「もー、素直になればいいのに」

「すばるんは私に用事があるんだよね? それなら廊下で話そうよ。しろっぺ、たまこっちのことよろしくね」

「話をするだけならここでもいいと思うけど、わかったよ。任された」


 七海たちの会話からして、三人で昼飯を食べていたようだ。こんなに騒いでいても話に参加していないということは余程物静かな性格なのだろう。しろっぺは白木さんのこと、そしてもう一人は卵形の携帯ゲーム機みたいなあだ名。ああ、階段でぶつかった子か。


 注意深く探すと七海の陰に隠れる形で座っていた。こうして二人が並んでいると頭ふたつ分以上の身長差がある凸凹コンビだ。かわいいもの好きな七海のことだから、ちっちゃくてかわいいから一緒にいるのだろう。腰まで伸びる長い黒髪をゆらゆらと揺らしながら二人の会話に頷いている様子が、ゲームで徹夜をした翌日の自分の姿と重なってしまう。


「まったくもう。たまこっちったら食べながら寝ちゃって。夜更かしをしたり、ご飯を残すと大きくなれないよ?」

「……ん。ななみん?」


 七海が肩を揺らすと、たまこっちさんは目を擦りながら小さな欠伸をした。そうそう、俺も三徹した次の日なんかは勝手に欠伸が出るんだよな……って、これは物静かな性格じゃない。座ったまま寝ていただけなのか。


 そういえば保健室の先生が寝に来ることがあると言っていた。あの時は先生の冗談だと思っていたが、七海にまで言われているということは、徹夜が原因で寝不足なのは事実らしい。そうだ。せっかくだから、この場で七海に注意しておこう。


「七海、その呼び方は変えたほうがいいんじゃないか? そのあだ名だと卵形の携帯ゲーム機を想連想してしまうから呼ばれる方も嫌だろ」

「なんで? たまこっちはたまこっちだもん。だよね、たまこっち」


 ゲシュタルト崩壊しそうなくらい「たまこっち」と連呼していて、言い間違えるんじゃないかとヒヤヒヤしながら聞いていると、たまこっちさんが「……ん」と相槌をした。


「ほら、たまこっちもこう言ってるよ」

「それは寝落ちしてる奴がやる相槌だ!」

「あははっ! ななみんがそのあだ名を付けた時、私もそんな反応だったなぁ」


 白木さんが袖を引っ張り、七海に聞こえないように小さな声で話しかけてきた。


「昴くんはあのゲーム、ハマっていたんだよね?」

「小学生の頃に遊んでたのは確かだな。どう聞いたのかは知らないけど自分で操作ができない七海が育成放棄を何度もして、そのくせ死んでると泣き出すから俺が代わりに育ててた」

「ふうん。ななみんは買ってすぐに昴くんに取られたって怒っていたけど、やっぱりそんなオチだったんだね」




 ―――――――――――――――

 今回のゲームネタ【くんさん】


 マニアな音楽ゲームシリーズの反射するゲームに登場するマスコットキャラクターのあだ名。公式設定では「〇〇〇〇くん」という名前。


 一時期そのマスコットキャラクターの性能が優秀だったため、ネットの某掲示板で「これからはさん・・付けするべきだ」という書き込みがあり、それがきっかけで「くんさん」呼びが定着したらしい。

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