2-6 恋色カプリチオ
欲しい本があるという一ノ瀬さんを本屋に案内すると、漫画コーナーに移動して一冊の本を手に取り、俺に表紙を見せてきた。表紙には「恋色カプリチオ」と書かれていて、少女漫画風のイラストが描かれている。
「夜空くんに話しかけたのは、この漫画がきっかけなんだよ」
「これって昔
「よかった、知っているんだね。アニメ化もしてるんだけど見たことある?」
首を横に振ると一ノ瀬さんが少し残念そうな顔をした。俺が買うのは「努力、友情、勝利」で有名な少年漫画くらいで、このジャンルは専門外。少女漫画は「※ただしイケメンに限る」という注釈が入る展開が多くて苦手なんだよな。壁ドンとか顎クイを不細工にやられたら、ただの罰ゲームだろ。
というか、一ノ瀬さんはこの漫画がきっかけと言ったよな。つまり漫画と同じ展開が起きたってことなのか。俺の知らぬ間に、そんなイベントが起きていたなんて。少女漫画と同じことをやっていたと思うと恥ずかしすぎて死にそうだ。言葉にならない悲鳴をあげていると一ノ瀬さんが話を続けた。
「この漫画のキャラクターの占いがyocatubeに投稿されていて、ラッキーアイテムがスマホのゲームだったんだ。夜空くんって、いつも教室でスマホを触っているでしょ。だから、どんなゲームを遊んでいるのかなって思って話しかけたんだよ」
「占い……スマホのゲーム?」
なんだ、そういうことか。恥ずか死が杞憂に終わり、ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、授業中はスマホを触らないほうがいいと思うよ」
その言葉を聞いて体がビクッと動いた。見られていたなんて。先生には死角の天国のような席だと思っていたが、ぼっちだから誰にも注意されなかっただけで後ろの席からは丸見えだったのか。
「そ、それは。まあ、今後は控えるように前向きに善処します」
「ふふっ。もうやらないとは言わないんだね。罰として恋ガブを買うのだ~」
一ノ瀬さんが持っていた漫画を俺に押し付け、反射的に受け取った。たった数百円で買収できるなら安いものだ。略すなら「恋カプ」なのに、どうして「恋ガブ」って略したのかを不思議に思いつつレジに向かい会計を済ませる。紙袋に入ったそれを一ノ瀬さんに差し出すと、なぜか受け取ろうとしない。
「これ、私のじゃないよ?」
「……えっ?」
「トラ猫ワルツをインストールしてくれたお返しに、私のおすすめ漫画をプレゼント。男の子が読んでも面白いはずだから、ちゃんと読んでね」
「少女漫画なんて読まないし、そもそも俺が買ったんだけど……」
「細かいことは気にしない。それに食わず嫌いはダメだよ。嫌いなら嫌いでいいけど、まずは食べてみないと。読まないなら、夜空くんが授業中にスマホを触っていたことを先生に言っちゃおうかな?」
生徒や先生に人気がある一ノ瀬さんのことだ。報告されたら授業中に先生が頻繁に見下ろすことが容易く想像できる。今後、高校で肩身の狭い思いをするくらいなら漫画を読んだほうがいいだろう。肩を落とす俺の姿を見て、一ノ瀬さんは手を後ろに組むと背中を向けて歩きはじめた。
「……でも、好きになってくれたら嬉しいな」
漫画のことだとわかっていながらも胸が高鳴ってしまう。その後、本屋を見て回り、トイレに行きたいという一ノ瀬さんを待っていると嫌な視線を感じた。視線から逃げるように看板も見ずに手頃な店に入る。
「いらっしゃいませ」
店員に笑顔で挨拶をされた。このまま立ち去るのは失礼すぎる。逃げられないと悟り、レジまで歩いていく。いつもは行列が出来ているのに、こんな時に限って混んでないなんて運が悪すぎる。
仕方なくレジまで向かいメニューを確認すると、アイスコーヒーは四百円でカフェラテが四百五十円、ロイヤルミルクティーは五百円。流石ニャンマルクカフェ、Sサイズの値段だけを見ているのに、どれも高い。
「あっ、夜空くん、ここに居たんだね。飲み物を買うの?」
そこにはお忍びのアイドルがいた。ブレザーを脱いだ制服の上にクニクロで購入したピンク色のパーカーを羽織っている。俺が制服の上にパーカーを着ても、ずぼらな普段着にしか見えないのに、一ノ瀬さんが着るだけでこうも印象が変わるなんて不思議な気分だ。
「どうかな? さっそく着てみちゃった」
「あ、ああ。似合ってる」
「そっか、よかった」
一ノ瀬さんはそのまま横に立つと、タピオカミルクティーのポップを見て不思議そうな顔をした。
「……この、タピオカって飲み物、おいしいのかな?」
「女子が好きな飲み物らしいけど、一ノ瀬さんは飲んだことないの?」
「ミルクティーはよく飲むけど、こんなの初めて見た」
あの七海でさえ飲んだことがある飲み物だから、女子なら誰でも知っていて飲んだことがあると思っていた。一口飲ませて貰った時は、謎の黒い物体Xが入っているだけで味はただのミルクティーでしかなかった。
あの時はタピオカが入っている意味が全くわからなかった。今も謎のままである。一ノ瀬さんは興味があるけど飲むのは怖いといった表情を浮かべている。でもまあ、飲んだことがないのなら――
「このタピオカミルクティーと、アイスコーヒーのストールを、ひとつずつお願いします」
今日は懐が暖かいから、これくらいの出費は問題ない。なんせ臨時収入があるのだ。戸惑う一ノ瀬さんの前で会計を済ませ、受け取りカウンターで飲み物を受け取る。そしてタピオカミルクティーを一ノ瀬さんに差し出した。
「はいこれ、一ノ瀬さんの分」
「えっと、ありがとう? その、お金出すよ?」
「いいって。さっき漫画を選んでくれたお返し。食わず嫌いはダメなんだろ?」
「そ、そうだね……」
アイスコーヒーを一口飲む。横目で一ノ瀬さんを見ると、ちょうど透明なストローで怖々とタピオカを吸い上げているところだった。タピオカが口に入った瞬間、涙目になりながら可愛らしくけほけほと小さくむせた。
「けほっ、けほっ。喉に何か入って……」
「だ、大丈夫?」
「う、うん。タピオカミルクティーって、なんだか不思議な飲み物だね。それにちょっと見た目が……ううん、なんでもない」
「……大丈夫。言わなくても、なんとなくわかるから。俺も最初同じことを思ったし。俺が言うのもなんだけど、これと交換しようか?」
持っていたアイスコーヒーを一ノ瀬さんに差し出すと、素直に受け取り口直しにアイスコーヒーを一口飲んだ。興味を持っていたのと、女の子なら好きだろうという決めつけ。それと、ちょっとしたイタズラ心があったのは確かだが、ここまでの反応は予想外だった。
「せっかく買ってくれたのに、ごめんね。黒くて丸いのがタピオカなんだよね。それって何なの?」
「そういえばタピオカってなんなんだ?」
スマホで調べながら一口飲んでみる。ずずっ。味はただの甘いミルクティー。ネットで調べると、材料はキャッサバという外国の芋。その芋のでんぷんを丸くしたものがタピオカらしい。もう一口飲んでから一ノ瀬さんに説明する。
「渡したのは私なんだけど、夜空くんは全然気にしないんだね。私が意識しすぎなのかな? でも、漫画だとこういうのって、お互いに顔を赤くしたりして……」
「気にしないって、何を?」
「ううん、なんでもない! 何も気にしてないからっ……その、どんな味がした?」
一ノ瀬さんが言葉を詰まらせながら、細々とした声で聞いてきた。どんな味かと聞かれても、丸いでんぷんが邪魔なのを除けば甘いミルクティーの味しかしない。それは一ノ瀬さんも知っているはずだ。
「どんなって……ミルクティーの味?」
「そ、そっか。ミルクティーの味なんだ」
「さっき飲んだ時に変な味でもした?」
あることに気がついた俺が「あっ」と小さく呟くと、一ノ瀬さんがビクッと肩を揺らした。
「ななな、何か気づいたのっ!?」
「そのアイスコーヒー、ブラックだったんだけど大丈夫だった?」
「ああ、うん、大丈夫。大丈夫だよ。なんだかすごく甘い味がするからっ!」
「えっ、甘かったか?」
うわごとのように「ちおちゃんもこんな味がしたのかな」と呟く一ノ瀬さんを見ながら首を傾げる。俺はブラックといってもアメリカ風の「砂糖入りでも見た目が黒いからブラックコーヒー」という意味ではなく「砂糖なしのブラックコーヒー」を飲んでいたはずだ。ああ、そうか。ミルクティーの甘さがまだ口の中に残っているのか。
「もしも苦いのが苦手なら店に戻ってポーションとかガムシロップ貰ってく――「パシャッ!」――ん?」
普段使わないから貰わなかったが、今さっき買ったのだから貰ってきても大丈夫だろう。そう提案しようとした瞬間、どこからかスマホのシャッター音が聞こえてきた。
音の発信源を探して辺りを見回す。ポスターに印字されているレインの友達コードを読み取っている人物がいる。飲食店アカウントのクーポンでも貰っているのか……いや、友達コードの読み取りってシャッター音なんてしたか?
むしろ画面の向き的に、インカメラで俺達を撮っていたと考えたほうが――
「あっ、も、門限があるのを忘れてた。きょ、今日はありがと!」
自意識過剰なことを考えていると、一ノ瀬さんがそう呟いて走り去っていった。去り際に見た一ノ瀬さんの顔が心なしか赤かった気がする。スマホの時計を見ると十八時を少し過ぎていた。俺もそろそろ帰るか。慌てるように去ったということは家に門限でもあるのだろう。
というか何か大事なことを忘れているような気がする。まあ、忘れるくらいだし、どうでもいいことだよな。ずずずっ。それにしても見た目もあれに似ているし、タピオカはストローに詰まって飲みにくい飲み物だ。
―――――――――――――――
より道ワルツ【恋色カプリチオ】
愛良が好きな少女漫画。略称は恋ガブ。
タイトルに
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