1-6 パステルピンクの悪魔
トラ猫ワルツはプレイヤーの操作する猫たちが敵を倒しながらマップ右にあるゴールまで進軍する横スクロールゲーム。スマホのゲームによくあるスタイルではあるものの普通とは違う部分がいくつかある。
ひとつめは操作方法。画面に表示されている魔法陣に一筆書きの要領で音楽に合わせてリズムよくフリック入力をすると、猫たちに指示を出すことができる。入力タイミングになると画面内のキャラたちが弾むため、慣れるとミュートでも遊べるのだが――
「これ、操作が難しいね」
「次の判定で操作してもいいので急がなくても大丈夫です」
リズムゲームではないから入力判定はかなり緩く設定してあるものの、慣れていないと操作が難しい。
「……あっ、防御が間に合わなかった」
ふたつめはコマンド入力。普通のRPGのように「たたかう」や「防御」のコマンドを押すと、すぐにキャラクターが行動するわけではなく、事前に指示を出しておかないと思うように動いてくれないところだ。
みっつめは操作の都合上、スマホを縦に持たないといけないこと。パソコン版は一般的な16:9の横に長いウインドウで遊べていたが、スマホで横持ちをすると入力エリアの魔方陣が小さくなりすぎて操作が難しくなる。縦持ちにすることでそれを解決したものの、画面の向きを変えたことで表示関連のバグが増えてしまった。
気づけばチュートリアルが終盤に差し掛かり、画面の中ではデフォルメされた猫達がダメージを受けながらも必死に前進していた。一匹、また一匹と猫たちが減っていく。
「また倒れちゃった」
俺が育てたキャラクターが使えたら無双状態だったかもしれないが、今遊んでいるのはチュートリアルクエスト。操作説明で無双されても困るため、チュートリアルではレベル固定の決められたキャラクターで戦うクエストになっている。
「残念、頑張ったんだけど全滅しちゃった。あれ? でもクリアって表示された?」
一ノ瀬さんは操作に慣れないながらも善戦した結果、チュートリアルのラスボスで全滅をしてクエストをクリアした。これは主人公とヒロインが出会う、いわゆる負けイベント。
ラスボスの撃破は可能か不可能かで言えば不可能だ。最後には必ず全滅するような攻撃がくるようになっている。全滅後にクリアと表示されて、ほっとした表情を浮かべる一ノ瀬さんを見ていると罪悪感が沸いてきた。
負けイベントから始まるゲームはよくあるため、ゲーマー目線だと「これ、ボス強すぎるし負けイベントやろ」という直感が働くから特に気にしていなかったが、たしかにチュートリアルで全滅は達成感がない。
自分の操作で全滅するのとムービーで全滅するのは大違いだ。ここはゲームに大きな影響がないし、家に帰ったらボス撃破でもクリアできるように調整しておくか。
「こんな猫もいるんだ。この子もかわいい。あっ、タップしたらあくびしたよ!」
増えたタスクをどうやって処理するか考えていると、クエストを終えた一ノ瀬さんがホーム画面をタップして遊んでいた。この機能は元々実装予定ではなかったが、ゲームイラストを依頼した絵師さんがラフの隅っこに描いていた落書きを見て、頼み込んで追加で依頼した機能だ。
クエストを終えて拠点に戻ると、パーティー編成している猫たちがキャットタワーでくつろいでいるホーム画面になる。そこで猫をタップすると、あくびをしたり、ごろんと転がったり、お尻を上げてぐいっと伸びをするなど、様々な仕草で猫たちが反応してくれる。
絵師さんへ支払う料金が高くなったが、一ノ瀬さんの反応を見て、コストをかけたのは間違いではなかったことを実感した。ゲームの攻略に関係ないおまけ機能って無くても困らないけど、あると嬉しいんだよな。
依頼した絵師さんは個人的に好きな絵師でもあるため、イラストが評価されるのはゲームを評価されるのと同じくらい嬉しい。そして、好きな絵師のことを布教したいのがファンというものである。
「拠点を眺めているだけでも癒やされるんだよな。トラ猫ワルツのイラストは、ことりんさんって絵師が描いているんだけど、本当にいい仕事をする人だよ。それに、サイトに投稿しているイラストにもいつもお世話になって――」
「……あっ、敬語」
一ノ瀬さんのその呟きで正気に戻り、慌てて口を閉じた。今まで素っ気ない態度だったのに好きなものの話をした途端に饒舌になるなんて典型的なオタクムーブをかましてしまった。それに今、俺は何を口走ろうとしていたんだ。
「そのっ、ごめ……むぐっ!」
慌てて謝ると何かで口を塞がれた。口の中にチョコクリームのほんのりと甘い味が広がっていく。パンのチョコクリームって固形のチョコよりもおいしく感じるんだよな。
子供の頃に
やわらかいのは生クリームのおかげらしい。生クリームが入っているのなら舌触りがいいのも納得だ。
……って、どうして俺はパンのチョコクリームについて考えているんだ。心の中で自分自身に突っ込んでいると、一ノ瀬さんがハッとした表情を浮かべて謝ってきた。
「ご、ごめんねっ! 机に置いてあったから、つい……」
なるほど。俺の食べかけのパンが机の上にあったから、つい口の中に突っ込まれたらしい。いやいや、わけがわからない。どうして俺はパンを突っ込まれたんだ?
「えっと、その……砕けた話し方のほうが嬉しいかな。同級生で敬語って、おかしいよね?」
オンラインゲームでは、フレンドでもない限り他プレイヤーには敬語を使うから、全く気にしていなかった。その上、ぼっち歴が長くて忘れていたが、たしかにおかしい。
いくら一ノ瀬さんが猫乃瀬高校のアイドル的存在だとしても、俺と同じ高校に通い同じクラスになった、ただの同級生でしかないのだから。口の中に入っているパンを飲み込むと俺は頷いた。
「ああ、わかった」
「やっぱり駄目だよね……って、いいの? 後で敬語に戻すのはダメだからね?」
サイドテールを揺らしながら一ノ瀬さんがぐいっと顔を近づけてきた。陰キャぼっちの俺には、この笑顔が眩しすぎる。あまりの破壊力で直視できずに視線をそらすと、見慣れた学校指定の紺色のブレザーが視界に入った。
猫乃瀬高校の二年生を表す青と白のストライプのリボン。そのすぐ下の白いYシャツを見て釘付けになってしまう。シンプルながらも可愛らしいレースで装飾されたパステルピンクが透けて見える。
くそっ、こいつはピンクの悪魔以上の吸引率だ。透けてこの色ということは、本体はもっと濃い色……じゃなくて、どうすれば視線が逸らせるんだ。そもそも俺は逸らしたいと思っているのだろうか?
答えは否。男のサガとは悲しいもので、鼻先に人参をぶら下げられた馬のように、眼前に見える誘惑には絶対に勝てないらしい。これが負けイベントだとしても時間が許す限り見続けていたいと思うのは自然の摂理。
そんな俺の不審な態度を見て、一ノ瀬さんは何かに気づいたような表情を浮かべると、すぐに顔を引っ込めて恥ずかしそうに顔を逸らした。
「い、いつもは、その……白とか、透けない色だから……」
「……えっ?」
……もしかして俺、口に出していたのか?
こんな所で、ぼっちスキル【ヒトリゴト】が発動するなんて。ぼっち歴が長い弊害だ。俺の平穏な高校生活よ、さらば。夜空先生の来世にご期待ください。
「そ、そのっ! このゲーム、もう一回遊んでみてもいい?」
「え? あ、あぁ、いいけど――「あっ、でも時間が……」」
壁掛け時計を見ると、はかったようなタイミングで授業五分前を知らせる予鈴が鳴った。今日は水曜だから次の授業は体育か。
「げっ、体育ってことはあと五分で着替えないと。一ノ瀬さん、俺は鍵を返しに行くから先に教室に行って!」
「う、うん。夜空くんも遅刻しないでね」
広い心を持つ校内アイドルの天使様でも、同じ高校に通う生徒である以上、遅刻で焦るのは俺と同じ。今日の出来事で少しだけ仲良くなれた気がするが、ゲームを遊ぶという約束を果たしたから、これで終わりの関係だ。
今日だけで一ノ瀬さんの俺に対する印象が地の底まで落ちた気がする。もう第一印象が最悪な俺には二度と話しかけてこないだろう。悪い噂が広まらないことを祈りつつ、俺は午後の体育の授業を受けた。
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今回のゲームネタ【負けイベント】
主人公が負けて窮地に立たされるイベント。戦闘中にプレイヤーがどれだけ努力をしても確実に負けてしまう。パーティーの全滅以外にも一定ターンを生き残る、敵の体力を一定以上削るなどの条件がつけられていることもある。
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