『魅せ珠』

 今となっては、もう昔の事になりましょう。

 かつて、『未言みこと』という概念を産み出した人がおりました。

 未言とは、未だ言葉としてなかった物事に宛がわれた言葉のいまだ。

 彼人は、未言に携わる者達を『未言屋』と呼んでおりました。

 そして今。未言屋を継ぐ伝承者がいました。


・・・・・・


 八月。盆地の会津は酷く暑くて、陽炎が景色を歪めて、蝉時雨は鼓膜を破ろうとしているかのようです。

 そんな街の中に、ぽつんと一軒の店が『未言屋 ゆかり』と看板を掲げて佇んでいました。

 その店内にはあろうことか、クーラーが設置されてなくて、入り口と窓が開け放たれていて、一台の扇風機が懸命に首を回している、ただそれだけが涼をもたらしています。

 店には、一人の人物しかいませんでした。レジ台の裏がそのまま畳になっていて、だらりと横たわる彼女は、店の外はおろか、店の中にいてもレジの前に立たなければ見えなくなっています。

 綿の白い地に桔梗が咲いた浴衣を、淡やかな梔子色の帯で締めていて、その袖と裾から細く艶めかしい手足が投げ出されています。

「あつい……」

 ぼそりと、死んだように横たわっていた彼女から言葉が零れました。

 彼女はこの店の唯一の店員である紫月ゆづきです。その彼女がこんなだから、当然、この店は繁盛なんてしていないんですけれども、他に収入源がある紫月はちっとも気に留めてません。

 店内には、綺麗な手作りの瓶に入ったサイダーや、とある人物の写真集、切り絵で作られたハンドメイドアクセサリーなどなど、雑多な商品が並べられていて、なんのお店かよくわかりません。敢えて近いものをいえば、土産物屋か雑貨店なのですけれど、その店を取り仕切る紫月はきっぱりと、クリエイターショップだと常々宣言していたりします。

 一見、取り留めもないお店なのかとも思ってしまいますが、ここの商品にはきちんと、とある共通点があります。それは、とても特徴的な造語群を主題としているということです。

「ごめんください」

「ん……?」

 ずっとこのまま、時折紫月が呻くばかりで静かなままに今日も日が暮れるかと思われたこのお店に、なんと来客がありました。

 紫月が緩慢な動きで腕を支えに顔を上げると、入り口から二人の少女が入ってきます。

「いらっしゃいませ……?」

 こんなお店に、女の子が二人、保護者の姿も見えないので、紫月は首を傾げています。

 それに、二人の姿はなかなかに珍しいものでした。

 一人はもう一人の手を引いていて、少しお姉さんに見えます。歳は高校生くらいでしょうか、もう大人とほとんど変わらない体つきをしていて、しかしその身を普通の大人は纏わないようなフリルがたっぷりとデコレーションされた白と黒のドレス、所謂ゴシックドレスに包んでいたのです。

 その重厚な装いでありながら、彼女はこの暑い外から入って来て汗の一滴も垂らしていません。

 もう一人の少女に繋いだのとは逆の手には、一体のこれまたゴシックな洋服を着たお人形を抱えています。

 彼女に手を引かれて店内に入って来たもう一人の少女は、まだ幼さが見え隠れしています。中学生くらいなのでしょう。

 小さな瞳をびくびくと、忙しなく店内に巡らせて怯えた雰囲気を醸し出しながら、手を引いてくれるお姉さんの陰に隠れていました。

 ちらり、ほらりと見える限りでは、この子は薄手で若草色の眩しいタイトドレスを着ているようです。

 二人は戸惑う紫月に向かって、真っ直ぐに近寄ってきます。

 そしてお姉さんの方が、もう一人の少女の手を離し、両手でお人形さんを掲げて、紫月に向き合わせました。その光を跳ね返す緑の瞳が、まるで生き物のように紫月と目を合わせてきます。

「ここは未言屋さんで間違いないかしら?」

 お姉さんの台詞に合わせて、お人形さんが揺らされ、首を傾げたように見える仕草をしました。

 紫月はその慣れた手つきに、また自然な振る舞いに見えるお人形さんの様子に、内心でおぉ、と驚いています。

 しかし、ここでちゃんと答えないのは、大人の沽券に関わるので、驚きは胸の中にだけ仕舞っておきます。

「ええ、この店は未言屋ゆかり。未言をテーマにした作品を扱うお店ですよ」

 紫月の返答に、お姉さんは満足そうににっこりと笑い、お人形さんにカーテシーをさせました。

 それで、お姉さんは後ろの少女に振り返ります。

「ほら、美沙、間違いないですって」

 お姉さんに声をかけられて、美沙と呼ばれた少女は、こくんと頷きました。

 それから、紫月の顔を伺うように、上目遣いの視線を送ります。

「ん?」

 紫月も少し首を傾けて、美沙の言葉を待ってみましたが。

 美沙は、ちっとも口を開く様子も見せず、顔を真っ赤にしてお姉さんの背中に顔を埋めてしまったのです。

「あらあら」

 これはどうしたらいいのだろうと、紫月は頬に手を当てました。

「美沙、あなたが来たいと言ったのでしょう? アリーシャに助けてもらう?」

 お姉さんは手にしたお人形さん――名前はアリーシャらしいです――を美沙に差し出しますが、美沙はふるふると首を振るばかりです。

 なんだかすぐには事態が動くこともなさそうなので、紫月はその間に、店の中にあったテーブルとイスを運んできて、テーブルにはお菓子とペットボトルの紅茶を並べていきました。

「とりあえず、座って、座って」

 紫月がイスを引いて二人を促すと、お姉さんが美沙の手を引いて先に座らせ、自分はイスを引き摺ってさらに美沙の席に近づけてから腰掛けました。

 それを見届けてから、紫月も対面の席に腰を降ろします。

 しばらくは、紫月がお菓子を頬張り、お姉さんが優雅にカップに注いだ紅茶を飲むだけの時間が過ぎていきました。

「あ、の……」

「ん?」

 二十分は経ったでしょうか、まだだったでしょうか、美沙がついに俯いた顔を上げて、紫月に声をかけました。

 けれども、それに紫月が返事をして視線を送ると、美沙はさっと顔を背けてしまうのです。

 紫月は内心で、同類かー、と思いながら、紅茶を飲むついでにまりを店内に移しました。

たま……」

 またぽつりと、美沙は単語だけを零しました。

 そしてそれは、紫月の良く知る言葉です。何を隠そう、『魅せ珠』それも未言、つまりはこの未言屋ゆかりに並ぶ商品を繋げる唯一のもの、とある人物が生み出して三千を数える造語群の一つなのですから。

 紫月はうっかり美沙に視線を向けないように注意しつつ、その言葉がさらに続くのか様子を伺います。

 けれども、肌に伝わる気配から、美沙がどうもその一言を伝えるのが精一杯らしいと悟り、紫月から言葉を紡いでいきます。

「魅せ珠。未言の一つ。ドールアイ、特にグラスアイや宝石で造られたドールアイを指す。それは目でありながら、見るためではなく魅せるためにある」

 未言屋宗主として未言屋店主が生み出したままの未言の在り方を継承した紫月にとって、未言の意味をそらんじることは、未言屋店主よりもさらに得意なことです。

 人形の目、ドールアイ。アリーシャにも、ベリル系の緑の石が嵌められています。

 人間が自らの外を見るための器官を真似た、けれども映したものを自分に受け入れることのない器具。

「見るのではなく、魅せるための……」

 美沙が溜め息のような声を零しました。

「そう。魅せ珠は、瞳の模倣ながらも、その機能は真逆にしたの。人が相手を見るための瞳。それに対して、相手に魅させて自分の存在に惹き付ける。それが、人形の魅せ珠」

「ああ、それは納得ね。いい人形はもちろんどの部分も美しくて素晴らしいけれど、一番目を離せなくなるのは、その瞳だもの」

 紫月の語りに、今度はお姉さんがアリーシャの魅せ珠を覗きながら、感想を添えました。

 それから、美沙への気持ちも、ついでに。

「それなら、私は美沙の創るドールアイが一番魅せられるわ。アリーシャの瞳も、もちろん最高の出来よ」

 お姉さんに不意に褒められて、美沙はまた顔を真っ赤にして俯いてしまいました。

 その可愛らしさに、紫月がくすりと笑みを溢します。

「あなた、ドールアイを作るの?」

 紫月の問いかけに、美沙は俯いた顔をさらに沈めて首肯したのです。

 それから、お店の床に向かって、ぽそぽそと、語りだします。

「魅せ珠、って、ネットで見つけた。……ました。意味は、わからなくて、でも、素敵、だって……」

 そこまでで限界だったようで、美沙は荒い息ばかりを吐き出しています。

「素敵だった?」

 だから、紫月は意地悪くも、その言葉をきちんと締めるためになぞって、美沙に伺うのです。

 美沙は、小さく小さく、カナリアのようにちょぴっとだけ、首で縦を刻みました。

 その仕草に、紫月は満足そうに頷き、お姉さんは満足そうにアリーシャに手を叩かせるのです。

「それで、意味を知って、もっと素敵だと思った?」

 紫月は追撃の手を緩めません。気持ちは表現してこそだと、今まで言葉になっていなかった物事を未言として生み出した未言屋店主と同じでとんでもな思考回路をしているのが、この未言屋宗主なのです。丸っきり全て分かっていながら、それでも本人に意思表示させるのです。

 美沙は細かく、それでいて何度も何度も、髪を揺らしながら頷きを繰り返しました。

 紫月はほんのお詫びに、美沙の前に置いたカップに、冷たい紅茶を注いだのでした。


未言源宗 『魅せ珠』 完

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