安物葉巻と靡けない女
米陽りか
安物葉巻と靡けない女
男はよく笑う女の子は好きでも、箸が転がっただけで笑うゲラは嫌いらしい。ついこの前までファミレスのパフェにハマっていた私は、最近はもっぱら近くの定食屋の生姜焼き定食にお熱だ。自他ともに認めるミーハーで、熱しやすく冷めやすい。
昔から「アンタってそういうとこあるよね」と言われて生きてきた。
体をゆるやかに滑らせて追い焚きした湯に浸かると、全身の毛穴という毛穴から悪いものが抜けていくような心地がした。行儀悪く足を浴槽から突き出してても誰にも叱られない。一人暮らしって不自由だけど、自由だ。
缶のプルタブに痩せこけた指を立てかけながら、私は二度目の乾杯を迎えた。うっかりウトウトしたらヤバいような気もしたけど、元から私はギリギリで生きているような女だったから(比喩でもなんでもなく)、こんな命の危険なんて今さら痛くも痒くもなかった。
「チューハイ飲みながら入る風呂がこんなに気持ちいいとはね。寝たらソッコーあの世行きだけど」
たかが一日の入浴で血流の回りを促進したところで、私に日々蓄積された疲労感が完全に取れることはないけど、それでも画面を見つめ続けたせいでドライになった瞳をなあなあにする気休めにはなった。ついでに言うと、立ち上ってくる白い靄が私の不安定な情緒を覆い隠してくれるような感じもした。
「だいたい親も親だよ、そろそろ結婚しろだの孫の顔はまだだのうっさいんだってぇ。私の人生は私が決める! ってね」
年齢が上がるのも悪いことばかりじゃない。この歳になるともう上司はツバつけに来ないだろうし、新人の子も私に見向きもしなくなる。前に口説かれたこともあるにはある。カルティエの指輪や花束を差し出されたこともある。でも、私はそれらに一度として頷かなかった。彼らのプロポーズの仕方が悪いんじゃなくて、私の勝手だ。
私の世界には仕事しかない。だからプライベートは殺風景だけど、その分生きることにやりがいの感じられる人生。だって、生活に彩りを与えてくれたのが恋人じゃなくて、煙草や酒といった嗜好品だったってオチは実に私らしいじゃないか。傑作。
脳を麻痺させるニコチンやタールは私を誰も知らない場所に連れて行ってくれる。邪魔な前髪をゴムで結んで、生と死の狭間のグレーゾーンに逃避行。
前からアル中っぽかったとは自覚しているけど、ここまでハマったのは私の独立独歩加減に「付き合いきれない」と離れていった元カレと別れてからかもしれない。
思い出すだけでムカムカしてくるほど、嫌な男だった。残業を終わらせて帰ってきた私を労わるどころか、「テレビ見るのにテキトーな肴が欲しいから」とツマミを作らせようとするやつだった。
多分、喜ばせてもらえた回数より嫌な思いをさせられた回数の方がずっと多い。だいたいなんだったんだ、あのホストみたいな髪型は。流行ってんのか。
だから、好きなだけ贅沢できる独り身は最高だと思う。でもこういう強い夜風で寒気を煽られる日には、頬を撫でる指先の、あの温度が恋しくなる。何なら友達でも家に呼ぼっかと思ったけど、社会人になってからろくに友達作ってないんだった。この時間から呼んでも多分来ないだろうしさ。
口では賑やかさを求めてても、人っ気がないおかげでゆっくりできてるのも事実。私はカウチのソファーに寝転がって、懐からタバコを模した菓子を取り出した。雑なケアの賜物、保湿クリームの塗り忘れ。
以下の要因でカピカピになった唇になぞるようにそれを押し当てながら、大して悔しくもなさそうに言葉を発する。
「本当はこうしてタバコ吸いたいんだけど……なーんでこういうときに都合よく口寂しさを解決できるアイテム、持ってんのよ」
ちっとも嫌じゃなさそうに肩をすくめて、私はココアシガレットを咥える。煙を吸い込むときの要領で息を吸うと、気の抜けた甘い匂いがする。どんなに強く舐めしゃぶっても刺激臭がやってこなくて、これはこれで楽でいいかもしれない。ラッキーストライクって、やけに名称も古いし。
「この状況で死ぬとしたらコイツが間違って鼻の穴に入っちゃって息ができなくなるとかだよね。まっさかないと思うけど……」
──あ、どう考えても不審死。どう見ても孤独な女が奇行に走った挙句の、バカ死。私はキスするみたいに突き出した唇でソイツを挟んでいたのを、慌てて吐き出した。将来について考えると背筋がぞわっとする。
手間だけど、万が一のことを考えてココアシガレットは始末した。これだ私の秘密の痕跡は綺麗さっぱり無くなったわけだ。
「こんなとこまで心配しちゃうなんて、浮気がバレそうで急いで部屋を掃除するバカじゃないんだから……」
病気するのだけは嫌だから、とりあえず煙草に一番近いと思って買ったのに。コレがダメなら、明日になったらまたガムでも買い直しに行こうか。いや、それはそれで気管支にひっついて死んだりするかな。
安物葉巻と靡けない女 米陽りか @Haipipiko
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